‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

夏めくや斧横たへてある土間も    茨木和生

2016年5月16日 月曜日

この斧は樵を生業にしている家のそれであろう。山の木を切るために用いる大きさがあるから(横たへ)の言葉も生きるのである。あるいは(横たへ)があることで、斧の存在感が浮き上がる。

横たえてあるのは、多分これから山に入るのからだろう。静物画を見るような印象的な構図で、まるで斧が生き物のようにも思える。

「第13句集『熊樫』東京四季出版」所収。この句集は1年を区切って創られたものだとある。ほとんどが、住んで居る奈良生駒の地で得た作品.

「熊樫」抄
酒蒸はよけれ麦藁鯛なれど
松茸飯炊くにぎやかに火を育て
どの家の裏も湖秋の風
鱧の旬すなはち祭近づけり
湖のなきごとけぶる雪解かな
どぶろくはぐいぐいと呑め鎌祝
神酒提げて山に入り行く年の暮

かたはらに水の光れる猫柳   伊藤敬子

2016年5月5日 木曜日

猫柳は銀白色の毛の目立つ花穂、ことに春先には河辺などで目を惹く植物である。「ネコヤナギ」と呼ばれる和名は、その花穂がネコの尾のようでもあるからだろう。確かに動物の毛並みを感じさせる感触である。

だがここでは、傍らを流れる水のひかりに焦点を当てながら、猫柳の花穂のひかりを重ねて、春のもっとも春らしい息吹を言い表している。

(伊藤敬子第十六句集『初富士』2016年  角川書店より)。この句集の装丁も素晴らしい。白の表紙に金文字の句集名。帯も純白、見返しが萌黄色。なぜか白無垢の花嫁衣裳のようである。

ほかに、(福笹を担げる人に蹤きゆけり)(秋草の吹かるる原を振り返る)(天平の色の玉虫掌に貰ふ)など、どの一句も俳句の王道をゆく句群が並ぶ。

発掘の石に番号鳥の恋    菅 美緒

2016年4月7日 木曜日

菅美緒第三句集『左京』2016年 ふらんす堂

即物的な描写で発掘の石に番号の振られてゆく光景が展開されている。
日常のようでいて日常とは少し違う空間。発掘の石同様に、そこにある鳥の恋も太古から続いているのである。(菅 美緒第三句集『左京』2016年 ふらんす堂)他に、(炎昼の牛舎に牛の目があまた)(引き抜きし根ぞたのもしき薺摘み)(日脚伸ぶ甍に糸屑ほどの魚)など。

白南風や吹かれてゐたる鬼瓦   成内酔雲

2016年3月31日 木曜日

白南風は梅雨明けの頃に吹く南風、あるいはそのころの昼間の南風である。その風に鬼瓦が吹かれている、というのが諧謔である。風にはさまざまなものが吹かれていたとは思うのだが、あえてその中のいちばん影響を受けそうにも思えない鬼瓦に焦点を当てている。いや、作者はその鬼瓦そのものに、ただ真正面から向き合っているのだ。そのことを、白南風によって現わしているのである。

成内酔雲句文集『おやぢ』  2016年 文学の森から。他に(竹の秋ストンとしまるドアの音)(人の世の余白にをりし夜の秋)(さりげなく逢うて別るる花八手)など。

編集子来る山梔子の花白し   加藤耕子

2016年3月31日 木曜日

編集子は自分の出版する本のための編集子なのか、あるいは自分の月刊雑誌の定期的な編集日だったのか。そろそろ訪れてくるだろな、と思い始めた視野に山梔子の花の白さがことさら感じられた。何気ない取り合わせだが、なぜか編集と山梔子の花が呼応するのである。

(加藤耕子第七句集『空と海』2016年 本阿弥書店)から・他に(茄子に花村に百万 遍会所)(忌を修すほたるぶくろを風に吊り)(汗の身とひとつひかりに空と海)。

花冷えの文焼きて身の透くごとし   藤木倶子

2016年3月31日 木曜日

今はシュレダーというもがあるが、手紙の類は焼いて処分することも多い。焼かなければならい手紙というふうに捉えると、何やら重々しい気分になるが、あながちそうではないのだろう。溜り過ぎた手紙の類を整理することは、よくあることだ。文殻の火が透きとったと発見するとき、あるいはそういう表現をえらぶとき、作者自身が透き通っていくように感じたのだ。燃えさかる火そのものが透きとおってゆくことと作者が一枚になっている。、

(藤木倶子句集『無礙の空』 2016年 東奥日報社)から。他に(ねん淋代や枯れはまなすと日を領ち)( 飛べさうな風湧く葦の枯れにけり)( 枯るる中己が足音に怯えをり)( 蓮の実を噛んで小暗き森見をり)など。

ひめぢよをんひめぢよをんとて遠回り   境野大波

2016年3月31日 木曜日

境野大波第三句集『青葉抄』 2016年 ふらんす堂

ひめぢよをんとは漢字で書いても見知らぬ花のような気がする。大雑把に言えば春紫苑と殆ど混同しそうなくらいよく似ている。どちらにしても中心が黄色で花びらが真っ白な小さな花は可憐である。そんな花に気を取られているうちに、遠回りをしてしまったのである。

境野大波第三句集『青葉抄』 2016年 ふらんす堂)より。他に(白山羊も黒山羊も食む秋の草)(猿山の子猿の拾ふ秋のもの)(秋の蚊の雨情旧居を去りがたく)(ねこじやらしばかりの原となりにけり)。

鬼百合がしんしんとゆく明日の空  坪内捻典

2016年3月12日 土曜日

IMG_20160312_0001色紙を百枚そのまま本にした、という感じだ。一頁に一句という句集もたくさんある。一句ならこんな風に色紙でもいいのではないかと思ったりしながら、あっと言う間に読み終える。一句は坪内さんにしては情緒的な作品だが、鬼百合を詠むのが坪内さんであり、今日ではなく明日の空だとするのが坪内流なのかもしれない。
『坪内捻典自筆百句』2016年 沖積舎より

馬に生れ馬に死にたる朧かな   高橋比呂子

2016年3月12日 土曜日

一生を言い留めること、振り返ることを、どれだけの人が繰り返しているか。そんなことがたったの17文字に託せると知ったときに、俳句はやはり凄いなーと思う。他にも、(干鱈の一年分は窮屈なり)(日蝕やああ太古よりにがよもぎ)(夏薊そしてみんなやさしあつた)などにも言える。

高橋さんの句には掲載句のような人生の深遠を見詰める句がおおいが、その表現方法は言葉の感覚を駆使した象徴性にある。(砂の聖書ふくろうの火であり)(脳天に美童あふれし冬の地震)(砂の聖書ふくろうの火であり)など。

第四句集『つがるからつゆいり』  2016年 文学の森

雨あとの今朝は大きな梅日和    関口恭代

2016年3月12日 土曜日

一句はひとえに(今朝は大きな梅日和)にある。逆にどこかに小さな梅日和もあるのかと、思いを寄せてしまうのだが、(大きな)が梅日和の明るさや日差しや花の白さに輪郭を作っている。

「関口恭代九句集『冬帽子』2016年(株)ウエップ」。他に(高層の窓は灯の海大石忌)(ステテコの人黒飴のにおひせり)(むかご蔓あの日のやうに引き寄せる)(野菊晴れ八十路の坂は日々発見)

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