2018年3月号「歯車」~句集の散歩道

俳句の香りを楽しむ   筆者・門野ミキ子

岩淵喜代子さんの『穀象』は、『朝の椅子』、『蛍袋に灯をともす』、『硝子の仲間』、『嘘のやう影の やう』、『白雁』に続く第六句集である。岩淵さんの略歴をご紹介すると、 一九七八年原裕に、1979 年川崎展宏に師事、2二〇〇〇年より「ににん」代 表。エツセイや評論でもご活躍である。また、現俳 協研修部の通信俳句会では今期( 24期)の講師をご担 当くださっている。

「ににん」のwebサイトを覗いてみよう。
「俳句の俳とは、非日常です。日常の中で、もうひ とつの日常をつくることです。俳句を諧誰とか滑稽 など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細 かいことに終わらせないで、もつと俳句の醸し出す 香りを楽しんでみませんか」とある。

句集『穀象』は九つの章から成っている。

〈穀象〉から
穀象に或る日母船のやうな影
青空の名残のやうな桐の花
椎匂ふ闇の中より間を見る
あとがきに「米の害虫だという小さな虫に、穀象 と名付けたことこそが俳味であり、俳諧です。それ にあやかつて句集名を穀象としました」とある。 穀象に母船とはなんだろう、そして或る日とは…。無限に想像の膨らむ奥の深い楽しい句である。

(水母〉から
水母また骨を探してただよへり
全身が余韻の水母透きとほる
天道虫見てゐるうちは飛ばぬなり
水母の句。骨のない水母が骨を探している滑稽、骨が見つからず余韻と断定された水母、透きとおるしかなかったのか。

〈西日〉から
夕焼けに染まりゐるとは知らざりし
人類の吾もひとりやシャワー浴ぶ
みしみしと夕顔の花ひらきけり
夕焼けの句。染まっているのは自分ではない。他 の人かモノだと思う。視点が新鮮。

〈盆〉から
赤子笑むたびにざわめく魂祭
踊の輸ときに解かれて海匂ふ
踊手の句。同じ動作を繰り返す盆踊り、そう言わ れればみな真顔である。鋭い観察、発見である。

(半日〉から
半日の椅子に過ぎけり竹の春
梨を剥くたびに砂漠の地平線
鶏頭へぶつかってゅく調律師
半日の句。半日何をしていたのか。そんな事はど うでもいい。各人各様の半日なのである。竹の春がいい。

〈冬桜〉から
狐火のために鏡を据ゑにけり
足音を消し猪鍋の座に着けり
冬桜遠くの方が明るかり
狐火の句。狐が口から火を吐くと言われている暗夜山野に見える怪しい火、それを鏡に映そうと言うのだろうか。鏡に映れば本物だ。

〈氷柱〉から
水仙を境界として棲みにけり
炬燵から行方不明となりにけり
呆れてはまた見に戻る大氷柱
炬燵の句。行方不明になったのは何だろう。考え るだけでも楽しい。そんなに深刻な行方不明ではな い。談笑の間こぇる愉快な句である。

(凡人〉から
凡人に真赤な椿落ちにけり
星暦のやうな物種もらひけり
麦踏みのつづきのやうに消えにけり
麦踏みの句。単に仕事を切り上げただけなのだろ うが、いつの間にか麦踏の人が消えてしまった。麦 畑の静寂さが伝わってくる。

〈巡礼)から
お遍路の踵に蟇のぶつかり来
貼り混ぜる切手とりどり巣立鳥
暗闇とつながる桜吹雪かな
お遍路の句。道連れは墓だったのだ。 ュニークな 取り合わせが楽しい。

どの句も自然な調べが心地よく、すんなりと心に 入って来る。そしてどの句にも余韻があって、それ がどんどん膨らんで、一句の世界が無限に広がって いく。決して答えを押し付けない自由さが、また心 地よい。「俳句の醸し出す香り」なのだろうか。発 見あり、共感あり、納得あり、 一句の世界の奥深さ を実感した。得難いお勉強をさせて頂いた。

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