2018年3月号『雲』 ~句集を歩く

岩淵喜代子句集『句集』評  筆者・関矢紀静

穀象とはまったく不思議な名である。本来は米につく害虫をさす、これを句集の名としたところから、もう作者の世界がはじまっている。

穀象に或る日母船のやうな影

小さな虫と、母船の対比がみごと、思わず納得させられてしまう。そして作者の目は水中の水母へと向いてゆく、この生き物も不思議な生き物だ。

水母また骨を探してただよへり
水母死して硝子のやうな水を吐く
生涯は水母のごとく無口なり

一句日、水母は骨を得て、人間に近づくのだろうか。二句目の水母は生の証として、体内の水を硝子に変えてゆく。三句目の無口な水母、無口だが、存在感がある。

みしみしと夕顔の花ひらきけり
雨乞の龍を崩せば藁ばかり
さざなみのやうに集まり螢狩

夕顔の大きな花の咲く時は、音が聞こえて来るようだ。人は雨ごいに藁の龍を作り、役目が終えれば元の藁に一戻ってゆく。螢の夜は誘い合わせたように人が集まり、話すこともなく螢を見る。日本の美しい景がある。

極楽も地獄も称へ盆踊

日本の民謡は、口頭で祭りや農作の手順を伝え、踊りも所作で伝えてきた。この盆踊りも古くから伝わったものだろう。

菱の実をたぐり寄せれば水も寄る
曼珠沙華八方破れに生きるべし

菱の実と共に寄って来たものは、水だけではなくもろもろの思い。最後の句、あの赤い花を見ると、気持ちが高ぶってくる、八方破れもまた然り。句集を通読すると作者の自在な心が見えてくる。花や動物、虫までも作者の分身なのだ。

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