石榴から硝子の粒のあふれだす  岩淵喜代子

「空」2017年2・3月号
俳句展望  筆者・天谷 翔子

(『俳旬』十二月号より)柘榴のあの赤い美しい粒を詠みたくて何度か考えたことがあるが、ルビーのようなという平几な言葉しか浮かばなかった。硝子の粒、そう、あれはまさに硝子の粒。しかも〈あふれだす〉という措辞の上手さ。

同時掲載の〈道祖神今日は団栗山盛りに〉にも惹かれた。道祖神の前に団栗が置いてあるという平几な景が、〈今日は)という措辞で一気に佳句になる不思議。毎日道祖神を訪れる子供たちがいるのだろう、昨日、一昨日は何がおいてあったのだろう、と想像させる。〈山盛りに〉も映像が鮮明で、道祖神への愛情の溢れた表現だ。

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「火星」2月号 俳壇月評より
筆者・坂口 夫佐子

『俳句』十二月号「子規忌」より).割れた柘稽の実はその色、形から凡そ美しいものの代名詞からはかけ離れたもの、寧ろグロテクスなものとして扱われることの方が多いように思う。

それがあの割れた赤い実の粒粒を「硝子の粒」と捉えたことによつて、日の光を返す宝石のように見えてくるのだから、言葉の持つ力は大きい。俳句は詩。固定観念を捨て去り、素の心で対象に向き合うとき、思いがけない発見があり、詩情豊かな句が生まれる。
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『麻』1月号       現代俳句月評
筆者・川島一紀

『俳句』十二月号「子規忌」より。柘溜の実は、熟れてくると、堅く厚い皮が割れて中にぎつしりと詰まった淡紅色透明の液体を周囲に含む種が見えてくる。この淡い赤色の透明な粒は非常に美しい。ますます割れ目が広がってくると、その粒がこぼれそうになる。その透明な淡赤色の粒を硝子の粒と称した表現に詩情が溢れる。石榴の粒を硝子の粒に喩えた感性に感服。

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