冬瓜のいつもごろごろしてゐたり   加古宗也

先日アニミズムについての中沢新一氏の講演を聴いた。気が付いて見回してみれば、人は、ことに日本人は見えるものすべてに魂を感じ取っている国民である。冬瓜だって(ごろごろしてゐたり)と言い留めるのは、すでに冬瓜に魂のようなものを感じて呼びかけているのである。(木犀や子が出て昼の鐘をつく))(白雨てふひかりをながす樺林)など。現代俳句文庫『加古宗也句集』2015年 ふらんす堂。

(岩淵喜代子)

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