人はみな闇の底方にお水取り   岩淵喜代子

「天衣」2015年6月号
現代俳句鑑賞  筆者・吉田正道

東大寺二月堂の修二会。僧侶たちが人々の煩悩による罪を一身に背負い、一日に一汁一菜を命の糧とし、約一ヶ月にわたる懺悔の苦行を断行し、世の中の平和や五穀豊穣を祈願する壮大な行事である。そのクライマックスが「お水取り」(三月十二日の深夜)である。真夜中、松明の先導により僧侶たちの列が二月堂階下の井戸へ降り、ご本尊の十一面観音に供するための香水が汲み取られる。大勢の参詣の人々は闇の中でこの厳粛な儀式をじっと見守っている。

「闇の底方に」との措辞により、闇の底にいるのは人というより、人間の煩悩による罪深き魂が犇めき合っている様を思わせる。「お水取り」が下五に置かれることにより、掬い取られのは犇めいている罪深き魂そのものであるような趣を呈している。
『俳句四季』四月号(花辛夷より)

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