原爆投下は誰が

恩師が買い物ついでに立寄りませんか、というご案内を下さった。一度お邪魔したことのある会で、丁度原稿も送って一息入れたところなので夕食をとる気分で銀座に出掛けた。昭和3年生れのO先生はいろいろな会を持っているらしくて、今回のは以前の明治書院が主催しているのとは違うようだ。「河南省を訪ねる会」だという。そういえば同窓会の折りに中国へ行く話をたびたび伺っていた。

お隣の人がこれまでに訪れた地名の一覧表を見せてくれた。たくさんの地名の中から天津・旅順・大連・ハルピン・蘇州だけは知っている地名だった。そうして敦煌・トルフアン・ウルムチ・なんかは行ったことがあると言うと今度行きましょうよ、と言う。しかしこのごろは何故か飛行機に乗るのが怖いのである。この会員は毎年訪中していて20年続いているのだという。「もう惰性みたいになってしまった」、とその女性は言う。

で今日のお話は、O先生が広島で原爆に遭遇した話であった。始めて聞く話であるが、当時先生は江田島海兵隊学校にいたのだという。何時も敵機が来ると警報が鳴るのにそのときは鳴らなかった。それは三機だけで爆撃するようには感じられなかったからだろうという。「見ているうちにきのこ雲になったが、写真によく出るのとは違っていましたね。僕は下から見ていたんですから。この写真はアメリカ軍が上から撮ったもので、残念ながら日本にきのこ雲の写真はないんですよね」とおっしゃった。先生は原爆慰霊碑に「安らかに眠ってください。あやまちはくり返しませぬから」ということばに憤慨なさっていた。いったい誰があやまちをしたんですかとおっしゃるが、確かに原爆投下は日本が行ったのではないのである。

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