何処に居ても暑いので、こんな日に健康診断を済ませてしまおうと、いつもの病院に出掛けた。行く道中でどう考えてもあのバリュウムを飲むのだけは耐えられないから、何とか受診しない言い訳はないものかと思ったが、思いつかないまま病院についてしまった。受付の人が腸癌の用紙、胸のレントゲンの用紙、そのあと胃のレントゲンの用紙を差し出した。
それで思わず「胃はいいです」と言うと、受付の人は「あ、そう」とさっさと、胃癌検診の用紙をしまいこんでしまった。待合室で待ちながら、なーんだ、そんなに思いめぐらすことも無く簡単なことだったんだと気分が楽になっていた。ところが、呼ばれて診察室に入ったら開口一番「どうして胃癌検診しないの」と先生がおっしゃる。家を出て来る道中での言い訳が思いつかなかったのだから、そこで急に聞かれては、素直にバリュウームを飲むのが嫌だと言うしかなかった。
「あなた、この周辺の四市で朝霞市だけが無料なんですよ。それにうちのは集団検診で行うバスのなかの機械とは全然違うんだから」とどうも受けなくてはならない雰囲気になってきた。「バリュウムは後でお薬もあげますからね」と看護婦さんも援護射撃をしてくる。そうだ、ここは胃腸外科だった。そこで肝心の胃腸検査を受けないですむ筈か無い。それじゃ受けますと渋々応じたが、「バリュウムは50グラムにしてください」と言い添えるのを忘れなかった。先生がいろいろ私を説得させる言葉の中に、バリュウムが嫌なら普通は100グラムだけど50ギラムでいいから、と言っていたのをしっかり胸に畳み込んでおいたからである。
体重47キロ・身長149.6センチ・最高血圧105と最低血圧75。そこだけ覚えて帰ってきた。あとは二週間後のすべての検査結果が出てからということで。待たされるのを覚悟で、家を出るときに持って出たのはカントの「プロレゴメナ」。こんなときには難しい本に限るのだ。いまさら、とは思ったのだが、先日岩波文庫本の並ぶ棚で目が合ってしまったのだ。カントの著書の中ではやさしいらしいが、初めから理解出来ない本である。「プロレゴメナ」とは序論というギリシャ語。もっとも、序論と言っているように、カントの大著『批判』を自ら解説し要点を絞っているのである。だから、「プロレゴメナ」を読んでからその著を読めば分かり易いのだという。
一頁目で面喰ってしまって、改めて目次を開いた。自分が興味を持っている分野なら少しは辛抱出来るかなーと思ったのである。そこで行き着いたのが、第三章の能五五節「神学的理念」である。ここの箇所の冒頭にもーー(3)神学的理念(「批判」」第571頁以下)とタイトルに添え書きされている。あきらかに自著『批判』を解説しているのが解る。
これはカントが悪いのか、訳者が悪いのか、とにかくセンテンスが長い。そのなかのーー神学的理念の場合には、我々が思惟の主張の主観的条件を物自体の客観的条件と見なし、また我々の理性を満足させるために必要な仮説を教義と見なすところから生ずる弁証論的仮象は、たやすく露呈せられるのである。ーーという箇所から好き放題に主観的に論じてもすぐに底が見えてしまう、ということを見付けたところで、名前を呼ばれた。
この文庫本の親切なところは、言葉からの索引が成されていること。「神」の項目には「神学的理念」の頁のほかに、神の本性については197、228頁があり、神の働きについては197頁にあることが付されていた。そのあたりから探れた神論も完結はしないように思える。