金子 敦句集『音符』 2017年 ふらんす堂より。
盆踊りの踊り手として踊り尽くしたあとの手足の疲れを言いとめている。まだ気分の中では踊りの音楽に合わせて手足が浮遊しているのであろう。それを、「手足がただよへる」とする措辞にしたのは上手い。他に、(本ひらくやうに牡丹の崩れけり)(冴ゆる風まとひて星を売りに来る)(白餡の匂ひのしたる桃の花)など。
金子 敦句集『音符』 2017年 ふらんす堂より。
盆踊りの踊り手として踊り尽くしたあとの手足の疲れを言いとめている。まだ気分の中では踊りの音楽に合わせて手足が浮遊しているのであろう。それを、「手足がただよへる」とする措辞にしたのは上手い。他に、(本ひらくやうに牡丹の崩れけり)(冴ゆる風まとひて星を売りに来る)(白餡の匂ひのしたる桃の花)など。
青木青三郎句集『青』2017年 現代俳句協会より。
日焼け子の骨格を想像しながら、その骨格に肉がついている、とは本来の叙述とは反対の方向からせめている観方である。それが新鮮に聞こええ、日焼け子のますます筋肉質な肢体を感じさせる。他に(おぼろからおぼろ楽屋の非常口)(昭和へは歩いて帰る花みかん)など。
曼殊沙華の地上から噴き出たような茎の立ち上がりの印象がことばに置き換えられたんの。言われてみれば、あの赤さは慟哭のそれだ。比喩ではあるが、ときにわれわれは、おもいっきり大声を張り上げて、泣いてみたり、怒ってみたいものである。
註現代俳句シリーズ12期19・句集『川口 襄集』2017年 俳人協会
花野ゆく師とともがらと浮雲と
蒼空を砕氷船の戻り来る
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