2014年4月2日 のアーカイブ

田吉 明句集『幻燈山脈』  2014年  霧工房

2014年4月2日 水曜日

帯文には自らのことばで以下のようにある

《組曲》のかたちに行(句)を構成することには、時間のなかに行を解き放つことである。それは《物語》がそこに在らうとする、そのなかへ行をあそばせること――《物語》の予想される団円に、そしてより多くは、その予感に生れる情意を、行たちのあひだに《組曲》は構成する

帯に書かれた作者自身のことばを書いておくのが一番わかり易い。いつもののように一句ずつ気になる句を抽出するという句集の読み方を拒絶しているからだ。
第一章のタイトルが「瑜伽台地」その一章の中に  白き夏果て  手  母がわたしに  夕帰  白き佛・・・などなど50くらいの見出しがならぶ。
その小見出しだけ読んでも詩の匂いがしてきそうである。しかも、どこを開いても物語的だ。


母よこの濃き夕翳はあなたの手

母がわたしに
母がわたしに教えてくれた歌の日暮
わたしは右手に花の日暮を摘む
母が私に教えてくれた歌の涙

夕帰
日暮来るたびに焼かれし銀閣寺
鳩吹く暮のひとりは帰らず

作者自身が組曲ということばを使っているように、一節から次の一節へとうつってゆく時間の流れの中に作者の過ごした時間が立ち上ってくる。

したかげ
あぢさゐに鼓を隠し夜ごと打つ

くさかげ
くさかげのひとりの夏にねむる私
昼の深さの奈落に匙の落ちし音

清水和代第一句集『風の律』  2014年  本阿弥書店

2014年4月2日 水曜日

帯文・上田日差子

上田五千石を師系とする山田諒子氏から俳句の手ほどきを受けた清水和代氏は現在「春塘」主宰。

ゴム毬の倒す鶏頭二三本

勢いをもって投げられた毬によって鶏頭の数本が倒れた。鶏頭はまた起き上がったかもしれない。その一瞬の出来事として提示されている。
それだけにも関わらず、その光景が読み手にいつまでも揺曳するのは、ゴム毬の感触と鶏頭の花の感触の不思議な調和が手伝っているかもしれない。

蝌蚪の紐くらりくらりと影もちて

たとえばこの句など、「蝌蚪の紐くらりくらりと」までは誰でも見えている光景である。ここに「影もちて」の措辞が加わることで俄然蝌蚪の存在感が増幅されていく。それが清水和代氏の本領なのではないかと思った。

今生を水鳥でゐて夫婦かな
くちなはの道わたるとき道の幅
踏板を水の乗り越す初螢
船虫にちよいととどまるひげのあり
遠蛙そろそろ膝をくづしても

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