2013年1月13日 のアーカイブ

『暁』2013年1月号  主宰・室生幸太郎

2013年1月13日 日曜日

▼現代俳句鑑賞▲   筆者 原尚子
  
人が人へ闇を作りて螢待つ      岩淵喜代子
              (俳句九月号「半夏生」より)

 闇に螢の飛んでいる、非常に美しくロマンチックで幻想的な情景であるが、この句はそんな様子ではない。私は考えて考えて、何となく作者の内面的な深い思考へたどりついたような気がする。人が人へと作る闇とは、人が人をいためたり、傷つけて作られてしまうことだと思う。人によって作られた闇が、かぼそい螢の光によって救われるというか、光明として人にやさしさを与える。それは傷つけた側にも、傷つけられた側にも同じことである。少し淋しいが人間と人間の関係の微妙な存在が感じられる。
 作者岩淵喜代子氏は第五句集『自雁』を上梓された。句集中の自選句に

  狼の闇の見えくる書庫の冷え
  十二使徒のあとに加はれ葱坊主

などがあり、言葉選びが感覚的で、知的な方だと想像できた。「半夏生」の十二句もていねいに的確に書かれた句が並んでおり、その姿勢に敬意を表したいと思った。

小川軽舟第三句集『呼鈴』 2012年12月  角川書店

2013年1月13日 日曜日

 この作者は第一句集を作った時にすでに俳句の方向を見定めていたのだろうと思う。第一句集「近所」・第二句集「手帖」、そして今回の「呼鈴」,この作者の句集名をたどるだけでも、作者の志向が浮かび上がってくる。

紫陽花や流離にとほき靴の艶
釘の嵩揺すつて減らす日永かな
セロテープ地図に光りし遍路かな
紅梅や雨戸一枚づつ送り
死ぬときは箸置くやうに草の花
ならやいのうすゆき踏める人出かな
末枯や鳥籠に敷く新聞紙
不知火や竹輪工場販売所

諧謔という言葉を思い出す。一句目の遥を想像しながら足元の靴の艶に行き着く。遍路を描くのにセロテープで繕われた地図というのも独特な意外性である。

『青垣』2013年1月号  主宰・大島雄作

2013年1月13日 日曜日

俳句の秀峰   筆者  藤井みち子

ガラス吹くたびに聳える夏木立    岩淵喜代子 「俳句」9月号

そんなことはあり得ないでしょうと思いつつも、心惹かれて放すことのできない句である。ガラス玉がしなやかに、かつぐいぐいと膨らんでいくとき、夏木立もまた目に見えて伸びていくと言う。
 ガラス吹くーー簡単そうに見えていても息の吹き加減はプロにとっても神経を使うところ、いわば、一連の作業のハイライトに違いない。明るい作業場の窓越しに見える緑の夏木立と、熱を扱う工房内の閉ざされた空気。ここは両者の間に呼応を感じている作者がいる。敢て(聳える)とまで言ったことで、読み手には夏木立の丈高い爽やかさが印象に残る。

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