2011年8月13日 のアーカイブ

池田澄子第五句集『拝復』 2011年  ふらんす堂

2011年8月13日 土曜日

俳句は「存問」の詩と言われている。それを現代的に言えば「拝復」となるのだろう。この句集には,出会った対象、即ち湧き水でも自然薯でも雲雀でも、目に触れたものが、池田さんの身体を通って言い表されている。

 湧く水は流石に飽いているらしく
 引く鶴の気持ちになれば胃痛し
 自然薯の永き我慢を摺りほぐす
 気が済んだらしや雲雀の落ちきたる

もうひつ気がついたのはリフレインの多い事。口語で俳句を詠むことは韻律から離れやすい。それが無意識のうちにリフレインによって韻律を持たせようとしているようにも思える。

 生々世々春は春菜を胡麻汚し
 じゅうろくささげ昔しゅるしゅる焼夷弾
 古今東西恋や未練や邪恋や芽
 あかしあと偽あかしあとか老いながら
 相模さみだれ笹叢の蜘蛛の囲さやか
 墓立っている我立っている凍晴

池田さんの珍しくも唯美主義的な一句を見付けた。

  指牢の蛍を覗かせてもらう

この「指牢」は造語だろうか。掌を軽く握って蛍を閉じ込めておく指の隙間から洩れる蛍の光が妖しい光に言い現わされている。ジャンケンに負けて生れたホタルの成れの果てのようにも思える。

佐山哲郎句集『娑婆娑婆』2011年   西田書店

2011年8月13日 土曜日

一言でいえば、とても多彩な作家だと思った。パソコンで句集名を書こうとして気がついたのが、バサの漢字変換は出るが、サバは出ない。仕方がないから婆娑を三回書いて前後を消したら、「娑婆娑婆」になった。 

  紋付でかしこまりたる蝶だもの
  さつきまで猫の直会青葉闇
  一村をあげてそらまめ合唱団

作者が「コクリコ坂から」の原作者だと思わなくても、このあたりからは、アニメ的な映像を想像させてくれる。三句目の「一村を」などは表情も見えてきて、ことに好きな作品。そういえば、映画「コクリコ坂から」は昭和を再認識させてもらった。東京オリンピックの前年があんなに懐かしい風景になるのだ。アニメの映像も色彩も柔らかくて、心地よい映画だった。

   赤帽も浮浪児も陽炎の駅
  あの勅語から動かざる蝸牛
  大泣きに泣いてからつぽ夏柳
  焚火から離れて薄くなりゆけり

このあたり一瞬、戦中派かとおもったが、作者は戦後生れ。多分勅語は直後からの発想かもしれない。こうした多彩なことばは、作品からも伺うことが出来る。最後の「焚火から」が、なかで一番情緒的な句柄で、しかも感覚の冴えもさりげなくていい。

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