日本語からの500句という言葉が付け加えられているのは、世界俳句協会を立ち上げ、国際的な交流をし、自らが年に幾度も海外へ出る生活が背景にあるからであろう。そうした夏石氏の俳句表現は、例えれば何というべきなのか。
老婆と鳩と風と噂が集まる広場
父と子のあいだの山・川・火の港
こうした俳句は中では分かる俳句、というべきだろう。だが分かる俳句と言うのは予定調和的な範囲にとどまることになる。
水仙や怒涛の国は死者の国
巨人のため息ときどき届く空飛ぶ法王
この飛躍、あるいは断定をシュールリアリズムと片付けるには理が勝ち過ぎているように思えるのだが、とにかく意欲的である。ここでは気分とか詩情とか情緒とかを廃棄して、これから向かう世界を先取りしているように思える。