新幹線が仙台までは繋がったので一泊してきた。この時期の福島のあたりは桃畑が満開だったが、家家の屋根は地震でかなり傷んだようだ。応急処置を施した屋根が続いていた。わが娘の家も一見何でもなようにも見えたが、よく見ると至る所ではがれた壁紙をテープで応急処置をしていた。

連休明けからやっと授業再開の孫はせっせとアルバム作りに励んでいた。同級生で津波に家が流されてしまった人もいて、そうした友人たちのために作っているらしい。そういう応援もあるんだと思いながら眺めてきた。テーブルの上には安否確認の問い合わせのハガキがあった。ボランテア先の障害者福祉事業所からのものだ。ハガキには「ご家族は」、とか「家は」というの質問項目が並んでいた。そんな感じでやっと平常に戻りつつあるようだ。

石巻あたりでは、それまで売れなくて値下げをしていた建売住宅が、あっという間に売れてしまったという。被災直後から買い求めるひとたちが、携帯電話の番号と共に買うから連絡をという紙を、売り物の住宅にべたべたと張っていたらしい。ガソリンもない時で、お互いが身動きできないときだったが、たしかにこれから建てるのでは数カ月待たなければならない。

今年は桜を地元で眺めたあと出雲でまた満開の桜に出会ったが、仙台は辛夷の花と桜が同時に散っていた。テレビで弘前の桜の見ごろが5月1日くらいと報道していた。

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