コロナ禍籠りの間に

新型コロナは始まって以来の感染者数である。いささか気の重さも加速してきた。ニ、三日前に東京は4千を超える感染者が出た。埼玉県は今日千人を越えた。どういう手立てをすればよいのか、専門家にもわからないのではないだろうか。

わたしは相変わらず、書くことは石鼎に繋がる事である。『頂上の石鼎』を書いていた時に、次々に出会うユニークな「鹿火屋」人たち、その人々に興味を覚えた。鹿火屋が創刊されたのは大正十年である。大正ロマンという時代の終わりかけていたころである。

その終りかけのころ、即ち石鼎が龍土町に住んでいたころに尋ねてきた人々を書くだけでもわくわくする。鹿火屋を創刊して間もない号に、思いがけない人物が寄稿していた。歌人の柳原白蓮である。どこで知り合ったの?と石鼎さんに聞いてみたい。

寄稿が掲載されたのは大正十年十月、その翌月の朝日新聞に柳原白蓮の離縁状が載った。勿論離縁させられるのは九州の炭坑王伊藤伝衛門だった。

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