恒例のゴーヤ棚2018年度公開

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 毎年公開しているゴーヤ棚、珍しくもないのだが今年最盛期のゴーヤ棚をパチリ。我が家の記念行事みたいなものである。多分、これまでのなかでいちばん大きいゴーヤが収穫されていると思う。いつものゴーヤの倍くらいある。

 そんなにたくさんの実はいらないのだが、ゴーヤ独特の艶やかな翡翠色を、どうするともなく打ち眺めている。勿論、夏の日よけとしての役目も立派に果たしてくれている。

この光景を石牟礼道子ならどんな表現で綴るのだろうか。最近何度も読み返してしまう本に、『苦界浄土』がある。

当世流のこのエスロン波板の壁といえども
山腹にたぐり揚げられた朽ち舟が苔むして、
おのずから竜骨を保護するおもむきを有しているこの江津野家の縷々たる年月に早くも溶けあい、
ゆらめくような波型の青い光を放ち、
その海底のもののような光線は、
人口の土間に置かれた古い大きな水甕や、
庭先にころがりこわれたままになっているボラ籠や、
そのようなボラ籠の庭先にかげりはじめている日ざしとまじわりあい、
まだ電灯をつけない家の中に
――この家のたったひとつの裸電球は、
いつも家族たちの食堂の上に垂れているのだった――
不思議な明るさをもたらしていた。  (講談社文庫『苦海浄土』 189ページ)

、敢て句読点ごとに改行してみたが、ほんとうは一節なのである。文庫の7、8行を費やしいる文章は、訪れた家の神棚の後ろの壁が塩化ビニールの波型板で補強されていることの印象を書き込んでいるのである。

 石牟礼道子がそれを書くと一編の詩になるのである。そして、大理石で補修したのではないかと思わせるような文章となった。まさに「だまし絵手法」なのである。

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