2018年3月号「鷹」  ~本の栞

筆者・植苗子葉

岩淵喜代子句集『穀象』〈ふらんす堂 2017年11月 2700円)

作者は1936年生まれ。「鹿火屋」にて原裕、「貂」にて川崎展宏に師事し、2000年「ににん」創刊代表。本作は第六句集となる。
表題の「穀象」はごく小さな虫で、体に比して長い吻部を持つことからこの名がある。作者は巻頭に、

穀象に或る日母船のやうな影

の一句を置き、さらに表題句に採用した。
その心を次のように明かす。

知らなければその名を聞いて、体長三ミリしかない虫とは思わないかもしれません。その音律からも、字面からも、音語   りに現れてきそうな生き物が想像されます。米の害虫だという小さな虫に、穀象と名付けたことこそが俳味であり、俳諧です。(「あとがき」より)

確かに、この句集には俳味が溢れている。それは私が思うに、自由闊達な発想であり、想像であり、諧謔である。

水母また骨を探してただよへり

水母が骨を探しているという見立ての発想もさりながら、「また」の二文字を加えて物語性まで帯びさせたのが尋常ではない。一瞬でも骨を見つけたと思ったのか。切ない。

半分は日陰る地球梅を千す

季語と取り合わされているのは必ずしも新奇な発見ではない。むしろ当たり前じゃないかとさえ言われそうな事柄である。にもかかわらず、巨大な天体の運行とミクロな人の営みの配合はお互いを愛おしむべきものとして引き立てている。配合の発想の勝利といえないだろうか。

発想といえば、本作では収録句の約一割に「やう(な)と「ごと(く)といった直喩が使われている。藤田湘子が戒めたように、直喩の安易な使用には月並みか独りよがりに陥って失敗する危険がある。しかし、新鮮でしかも納得できるような直喩が強い印象の句を生むことも事実である。以下、本作から数句挙げてみる。

緑蔭の続きのやうな書庫に入る
葛の根を獣のごとく提げて来し
くらやみのごとき猟夫とすれちがふ

ひんやりした空気、立ち並ぶ高い書架。本のページを「葉」と数えることを考えに入れずとも、卓抜な喩えではないか。二句目は「獣」の一字が葛の茂る山の冷たい空気や、葛を提げる節張った指をイメージさせる。三句目は下五が比喩の鋭さと重さを増幅している。
そうかと思うと次のような軽やかなユーモアも見せる。

筆者とは吾のことなり青瓢
呆れてはまた見に戻る大氷柱
山楯子の実を盗み来て本棚に

青瓢との取り合わせや少し大仰な言い方に、照れくさそうな、あるいはいたずらつぽい作者の姿が見えて愉快だ。
この他にも、

放たれて桶に添ひたる大鯰
踊手のいつか真顔となりにけり
足音を消し猪鍋の座に着けり
音もなく西日は壁に届きけり

といった句に好感を持った。最後に、八十一歳の作者の高らかな宣言を紹介しよう。

曼珠沙華八方破れに生きるべし

守りに入るなよ、という叱咤とも取れようか。

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