原発事故

寝台特急でぐっすり眠ることが出来て、東京駅から小一時間後には自宅の朝風呂に入ることが出来た。だがその後が大変だった。二件のフアックスの一つが校正。それも出発した日に入ったもので、翌日には印刷に入るというもの。

原稿に大きな間違いがあったようだ。大変とばかりに電話を入れると、あのまま印刷所に入っているという。「すみませんー」と訂正のお願いをしたら、間に合うみたいだった。編集者の女性はいつものように優しい声だった。ホッ。

夕方は飲み会の約束があったが、話題はさすが大震災、しかも原発に集中した。5時から9時半までその原発の話題からそれることはなかった。この原発の在り様に対してあまりに無知だったということは集まった7人全員の意見だった。

原発をその地に誘致した人達も私達同様に無知だったのである。今回の事故はその国民の無知さ加減が露呈したのである。今後、この原発を新設する県はないだろう。中の一人が自分の貧しい村がなぜあんなに裕福になったのか不思議であったが、今回の原発のことで調べてみたら、その施設のある町村には年間に莫大な金額が電力会社から支払われていることが分かったそうである。

そうだとすれば、今回の事故では今まで電力会社から下りていたお金を根こそぎ取り返されてしまったような被害だったのではないだろいうか。それだけならいいが、福島原発のそうした恩恵に浴していない隣町も被害を受けているらしい。帰りに買った「週刊現代」の中に「危険性を訴えたら監視、尾行された・迫害され続けた京都大学の原発研究者たち」という記事があった。

結果、俳句のはの字も出ないまま私は中締めで失礼したが、熱気はそのまま続いて深夜になったのではないかと思う。

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