2度目の出雲神話の旅に行ってきた。夜行列車で行って夜行列車で帰ってくるのは疲れれそうだが、この出雲に限っては個室寝台に慣れてしまったせいか快適で有効な時間の使い方が出来るのである。東京を22時に乗り込んで翌日10時に出雲に着くという時間も長いようだが、行きはすぐに就寝の体制に入り、朝食も列車の中で済ませておくので、到着と同時に目的地への行動が始まる。帰りは19時出発で東京着が朝7時なので、眠る前に2日間の旅の整理に集中出来る時間が充分あった。
今回は出発の夕方にも大きな余震があったりで、どこかに怯え心も潜んでいたが安心という日など当分訪れないだろうと思う。記紀の土地を踏破しているWさんに先導されての旅だが、その先導者Wさんは私が睡眠薬で寝てしまうことを知って、ふたりとも寝込んでしまっては大変と睡眠薬を我慢したらしい。そんなことを知らずにぐっすり眠った私とWさんは出雲の手前、宍道駅に降りた。
お願いしておいたタクシーの運転手さんは初対面だったが、一回目の旅の時に偶然乗り込んだタクシーの運転手さんの紹介してくれた方なのである。多分、私達、ことにWさんの記紀の知識に合わせられる人を選んだようだ。それを知ったのは二日目の佐香神社の前でお土産を持って待っていてくれた時である。こう書くと、一回目の旅で持ってる知識を振りかざして運転手さんが困らしたのではないかと思われそうだ。
しかし、絶対そんなことはない。Wさんはそれは物静かな方なのである。私達は帰りに偶然だがよく知っている人で幸運だった、と話合ったくらいなのだ。それで2回目の案内もお願いしたのである。さすが、紹介して下さった2回目の旅の運転手さんは記紀の講演も出来そうな方だった。出雲のタクシー運転手さんは篤い。もし出雲の旅をする方には紹介しまーす。
前にも書いたと思うが、この旅を思いついたのは石鼎が出雲の土地や神社を語るときに、いつも出雲風土記を引用するからである。そうしてことに、「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」を得た場所が、神武天皇の斎場跡であることが検証された昭和5年以後に急に神の句が増えているからである。稲佐浜での神迎え神事の始まる一カ月前から歌舞音曲を控え家の新築も控えるというのは今も踏襲されているという。