2018年3月号『栞』 ~俳書の棚

筆者・富田正吉

第6句集『穀象』岩淵喜代子(ふらんす堂)

見慣れたる枯野を今日も眺めけり
人類の吾もひとりやシャヮー浴ぶ
椎匂ふ闇の中より闇を見る
順番に泉の水を握りたる
花野から帰り机の位置ただす
踊の輪ときに解かれて海匂ふ
穀象に或る日母船のやうな影
水母また骨を探してただよへり
冬桜ときどき雲の繋がれり
青空の名残のやうな桐の花

岩淵喜代子は見巧者である.自分も他人も闇も風景も動物も植物も凝視している。
〈見慣れたる)は枯野に興を感じる俳人がいる。〈人類の)は透徹した自己を浮き彫りにして面白い。〈うきずりのえに
しがすべて親彎忌)には宗教観が窺える。〈椎匂ふ)は〈暗闇とつながる桜吹雪かな)と同様に暗闇派の面目がある。

(順番に〉は(麦秋や祈るともなく膝を折る)と共に鋭い身体感覚がある。〈花野から)は日常の些事を日記のように残している。〈踊の輪)は嗅覚の働きによる写生で場所が出ている。

〈踊手のいつか真顔となりにけり)も秀吟である。句集中最も光彩を放っているのは動物作品である。(穀象に〉の母船の卓抜な比喩、(水母また)の「骨」の人とのダブルイメージ、〈夜光虫の水をのばして見せにけり〉〈生きてゐるかぎりの手足山椒魚)はいずれも凝視の勝利と言ってょい。

〈冬桜〉も〈青空の〉も〈紅梅を青年として立たしめる〉も見巧者の面目躍如の作品ではないか。〈このごろは廊下の隅の竹夫人)の発見もさすがである。二六六句収録。

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