飯を焚く山の椿の満開に    高浦銘子

女性でなくても主婦でなくても、飯を炊くという行為に関わらない人は少ない。例え、直接飯を炊くことに関わらなくても、毎朝湯気の立つご飯に出合っている人は、この句の初語に懐かしさを覚えるだろう。

単に飯を炊くという事項以上に、日常の中の折目のような、始まりのような気持ちが湧いてくるのである。そうして、(山の椿の満開に)の活気が飯を炊くことの活気と重ねられて、生命感を湧きたたすのである。

(高浦銘子第三句集 2016年 ふらんす堂『百の蝶』より。他に(押入れの中にも梅の香がとどく)(畳まれて目玉ばかりの鯉幟)(はなびらとおもえば蝶の流れゆ)など。

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