冬麗のどうもどうもとゴリラ来る    今富節子

(どうもどうもは)はゴリラの会話というよりは、ゴリラの姿がそのことばによって表現されている。たしかに、「どうもどうも」と頭を掻きつつ現れそうだ。そのゴリラの卑近さと冬麗という日和がゴリラに思惟的な品格を与えている。

「今富節子第二句集『目盛』  2016年  本阿弥書店」より。他に(梅咲くや一人と一人昼休み)(羊羹のやうな閂城の春)(ひとつかみ八百屋に田芹持たされし)など。

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