抽斗の奥で混み合う枯れ木立   対馬康子

同じ作者の作品に(暗室に枯木の山の濡れている)という句がある。枯木は作者の心象風景なのかもしれない。暗室の中で濡れている枯木山には、句になる過程が見えそうなのだが、掲出の(抽斗の奥で)は極めてシュールな映像である。それでもなぜか、抽斗の混み合い方や薄暗さの奥に枯木立の映像が立ちあがってくるのである。

枯木立といえば、真冬の寒々しい風景を伴うように見えながら、まんべんなく陽を浴びているそれには、安らぎと憧憬が感じられてくる。たぶんその造形美が、人々の心象風景とそて懐かしさを呼び出すのではないだろうか。対馬氏の取り合わせは、思いがけない遥かなものと繋がって魅力的である。

赤いバス来る北限の栗の花
花マルメロ沼に沈んでゆくは斧
毛糸編む黒き海岸線延べて
天高し野を船底のごとく置き

(『竟鳴』 2014年12月 角川学芸出版)より

(岩淵喜代子)

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