自己の俳句工房の公開とも言えるが、自句自解は作家によって内容が違う。矢島渚男の場合はその一句を作ったときの背景が書着こまれていて、自ずと自分史にもなっている。
咲き終へて桜は山の木に還る
ざわざわと蝗の袋盛り上がる
こうした句を拾ってゆくと、有無を言わさぬ存在を感じる作品集であるのがわかる。
自己の俳句工房の公開とも言えるが、自句自解は作家によって内容が違う。矢島渚男の場合はその一句を作ったときの背景が書着こまれていて、自ずと自分史にもなっている。
咲き終へて桜は山の木に還る
ざわざわと蝗の袋盛り上がる
こうした句を拾ってゆくと、有無を言わさぬ存在を感じる作品集であるのがわかる。
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