岩淵喜代子句集『自雁』を読んで
筆者 辻村麻乃
句集『自雁』は作者の第五句集で三〇八句が収められている。
あとがきで「書くことは『生きざま』と書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。」と述べている部分が大変印象に残った。
初夏や虹色放つ貝釦
化けるなら泰山木の花の中
空蝉を鈴のごとくに振つてみる
バス停に立てばバス来て星まつり
幼い頃に謎めいて見えていた現象は、大人になってみるときちんと原因があって起きていたことに気付く。安堵と幻滅を繰り返していくことで、真に心を動かす物の存在と出会う。作者はこのような出会いを多くしているのだろうか。
箱庭と空を同じくしてゐたり
少年に螢の闇の見張らるる
鬼の子や昼とは夜を待つ時間
月夜茸母が目覚めてくれぬなり
地獄とは柘榴の中のやうなもの
人は心の中に闇を持っている。それに気付くかどうか、またいつ気付くのかは各人の感受性の強さに依る物だと考えている。闇は見えない方が幸せなのかも知れないと感じさせられる句である。
このように浪漫に回避する句ばかりでなく、現実を直視した句も多く見られる。
晩年は今かもしれず牛蛙
紅薔薇我病まぬとき夫の病む
赤飯に振る胡麻粒や鳥渡る
きちんと対象を見極め、且つ淡々と生きている様子が句の中に表われており、何度も読み返したくなる。雁への観察眼も鋭い。
着水の雁一羽づつ闇になる
雁帰る川が鏡となりしとき
他者や家族との交流の中にも絆がある。
盆踊り人に生れて手を叩く
独りづつ雛に顔を見せにけり
太陽の中は真つ暗終戦日
寒林になつてしまつた青年ら
暦は人が創ったが、季節ははじめからあった。自然への畏敬の念が含まれている。
なめくぢり昨日と今日の境なく
白亜期の記憶の筋を花びらに
五感で感じた全ての事象を受け入れて生きていく作者の姿勢が清々しく感銘を受けた。
まるごとが命なのかも海鼠とは