神野紗希句集『光まみれの蜂』 2012年4月 角川書店

その句集名と、その装丁がまず魅力的に飛び込んでくる。

   冬の水流れて象の足元へ
 作者の16歳から12年間の現在までを纏めた第一句集。神野紗希の名前はこれまで数え切れないほど眼にも耳にもしていたが、その作品をじっくり読むのは今回がはじめてである。頁を繰っていくと、勉強をしていることがよくわかる。
 例えば「春愁」という季語の据え方、「光年や」の象徴的なことばにぶつける具象的な叙述に、生死感にと、大方の先達の方法論を駆使してきたと思える。

 考えて見れは、誰もが先達の方法論を真似ながら作りだす。だが、そのあと呆然と立ち尽くしてしまうのは、殆どのことは言いつくされていて、いったい何を詠めばいいのだろうと思うからだ。「まだまだあるよ」と言える人は幸せである。

 冒頭の一句には永遠性を感じる。水が飼育係が撒いたものか、あるいは水飲み場からあふれたものなのか、あるいは、アフリカの原野を貫く冬の水なのか、一筋の水流を象の足元に捉えたところで、意志のような存在感が生れた。

起立礼着席青葉風過ぎた
白玉や言わねばならぬことひとつ
寂しいと言い私を蔦にせよ
春愁や葉書もバスタブも四角
ライオンの子にはじめての雪降れり
光年や欅の傍の息白し
蝶ひとつ表と裏のように飛ぶ
ひとところ金魚巨眼となりて過ぐ
なぐさめのつもりか金魚ひるがえる
数えるのはやめて見ている石鹸玉
たばこ屋の奥のテレビが瀧映す
人類以後コインロッカーに降る雪
食べて寝ていつか死ぬ象冬青空
スカートの一人遅れて夏野ゆく

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