バス停の広場の隅の道祖神の周りに、10日ほど前まで毎日零余子がぼろぼろ落ちていた。
見上げても芋の蔓も葉も見当たらないので、立ち木の相当高いところを這っているのだろう。その実も、このごろは落ちつくしたのか、まったく見当たらない。
ちょっと残念な気もしたが、到底手の延ばせないところの零余子なの仕方がない。
ところが、その零余子がたくさん送られてきた。一升枡にいっぱいになるほどある。
バス停で幾度も物欲しそうに梢を眺めていた私の心を、神様は汲み取ったみたいだ。吃驚である。
とりあえずは塩茹でで食べてみた。味は里芋とまったく同じである。あとは何にしたらいいのか。火曜日にはカルチャーがある。みんなに神様のお裾分けしようと思う。
69号ににんの再校も済んで、今日は印刷所に送ったので、あとは出来上がりを待つばかり。