‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

曼殊沙華

2019年9月27日 金曜日

DSC_1120    前回の書き込みが6月28日だった。ということは丸々3ヶ月が経っているのだ。書くことがないわけでもないのだが、間を置くといろいろ書くことが溜まってしまってどれを話題にしていいのか迷ってしまうのだ。

先日句友から、このごろ書いていないのでどうかしたのか思っていた、と言われたて、確かにそう思われてしまうかもしれないと思った。3ヶ月なんてあまりにも長すぎる怠慢だ。

今日は眼科に薬をもらいに行って帰りに,入るときには気が付かなかった曼殊沙華の花に出会った。帰ってきたら、我が家にも咲いていた。曼殊沙華は全国一斉に開花すると聞いたことがあるのだが、本当だろうか。

広島のににんを作ってくれてる印刷所のあたりも、曼殊沙華が咲いているのだろうか。76号が出来あがってきた。これから発送の準備をしなければ。

蛇笏賞

2019年6月28日 金曜日

DSC_1007     6月28日の蛇笏賞授賞式、今年は大牧宏さん。だが、この受賞のお知らせはご本人がしっかり受けたようだったが、受賞を受け取りにきたのはご本人ではなかった。でも、よかった。大牧さんは最晩年になってから、さまざまな大きな賞を受けられた。本来はもっと早く受けてもよかったのではないだろうか。

わたしは一度もお目に掛ったことがないまま月日が過ぎてしまっていたが、昨年の詩歌文学館賞を頂いたときには、一番に電話で祝ってくださった。あれが最初で最後の大牧さんとの電話の交流だった。
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紫陽花が今年は濃く咲いた。
授賞式の翌日は所用で京都に行ったが、何処にもよらずにトンボ返り。ホテルの隣の小さな神社に、青々とした茅の輪が据えられていたのでお参りをしてきた。

バスの中から四条河原に張り出し川床が見えた。

なんじゃもんじゃの花

2019年5月5日 日曜日

DSC_0937いま、明治記念館のあたりのなんじゃもんじゃの花が真っ盛り。正確にはヒトツバタゴと言うようだ。他に白い花は咲いていなかったので、そこここに在処を知らせるように咲いていた。

明治記念館周辺の木には「ヒトツバタゴ」と書かれた名札もついている。しかし、わたしは「なんじゃもんじゃ」で親しんでいる。なぜかこんなにこの木があるのに、絶滅危惧種になっている。

初めてこの花を見に行ったのは20年以上前だった。どこかの個人のお宅なのだが、そのときだけはお庭を開放してくれていた。一本のヒトツバタゴの樹が庭いっぱいに広がっていて、花を散らしていた。可憐な小さな花だった。二度目に見たのは東大の中の一樹だった。

広辞苑でなんじゃもんじゃをひくと神宮外苑の木が紹介されているので、ずいぶん前からそこにあるようだ。

令和元年

2019年5月1日 水曜日

9時30分に大國魂神社の境内で待ち合わせた。いつもより早い集合なのだが、この神社ではくらやみ祭が始まっている。昨日は品川の海で禊が行われて、二日目の今日はこれからはじまるくらやみ祭の晴天を願う祈祷が9時30分から始まる。

折角だからその祈祷に間に合うように集まろうということになった。神社には、予想通りにご朱印帖を持った人たちの行列がこんなに早い時間から続いていた。昨日は平成最後の日としてのご朱印を受けるために連なって、また今日も令和の初日として並んでいる人が多いのだろう。

参拝も列を作っていたが、こちらはそんに並んでいるわけでもなかったので、列についた。おかげでいつもはひっそりしている神社がにぎやかだ。明日からは暗闇祭の本番でもっとにぎわうことだろう。まだ見たことがない。

境内を抜けたところでお茶をしていたら、フローアーに国旗を手にした人たちが続々集まってきた。誰かお偉いひとが来るのかもしれない、と思っていたら、みんな大型のテレビを見詰めていた。

11時9分から新天皇のご挨拶があるらしい。そこにいる人たちはそれを待っているのである。国旗を配ったのは大國魂神社の神官たちだった。いよいよ令和の時代だ。

平成最後の日

2019年4月30日 火曜日

朝から雨である。明日も雨の予報だが、明日5月1日は大國御魂神社の暗闇祭の初日である。9時30分から神事がはじまるが、これは暗闇祭の好天を祈るためにあるようだ。折しも平成と令和の境目に始まる暗闇祭というものだが、どんなものなのかまだ把握していない。

明日から令和、折角の祭の神事の祈りが通じて好天になって貰いたいものである。このところ、婚姻届けの駆け込みがあり、寺社はご朱印帖への最後の記入やらで長蛇の列の出来ているところもあるようだ。そんなことを考えもしないでのほほんと移り変わる元号を眺めていた。

処で、わが孫娘は結婚したばかりだが、平成にするのだろうか、令和に入籍するのだろうか。どっちもそれぞれ理由があるのだろう。ところで、私も残り少ない人生となった。

恒例の花行脚

2019年4月25日 木曜日

桜1常陸大子の山は漆を生業にしていたようだ。町の中には漆器店があって、使わなくなった漆の木の漆を、掻いたところが装飾品に再利用されていた。なかなかモダンな花器が出来上がっていた。

お任せの旅だったので、案内書もよく見ないまま出かけた。いつもはGさんの企画だったのだが、今回はバードウオッチングのご夫婦の案内。それも、三日間の車での案内である。

あまりたくさんの花を巡ったので、どれが、火打ち石の桜が、鮫川の桜か、西行の桜が分からなくなってしまった。最後に福島県に入って越代の桜にとどめを刺すつもりだったが、福島の桜は1花も咲いていないままだった。

花の雨

2019年4月10日 水曜日

このところ、いつも窓からの景色を眺めながら、「今日は出かける日ではなくてよかったな」と思うのである。そうして、外出のたびに「昨日でなくて良かったですね」と、好天気を称え合うのである。

前から予定されていた約束で、花見のためでもない外出だったが、自ずと落ち合えば桜のある所へ誘われる。また、不思議に出かける日は好天気なのだ。下旬に桜のための旅行が控えているのだが、こののりで好天気になればいいと願っている。。

DSC_0859毎年桜のためにだけ集まるグループだ。その上、この旅はすべてお任せにしてあるので、計画表が回ってきてもよく読まないまま、指定された切符を間違いないように買うことだけを心がけている。

こう書いていくと、さぞ壮観な桜見物を想像するかもしれない。あるいは、さぞ有名な桜のために足を運ぶのだと思われそうだ。しかし、本当は名もない一本の八重桜だったりするのである。強いて、その桜に集まる理由は、周囲に桜がなくて、その桜がただ一本聳えているだけみたいなときもある。しかし、行き着いてしまいば、そのただ一本だけの桜を訪ねてきたことに納得しているのである。

さくらさくら

2019年4月5日 金曜日

さくら西新宿のビル群の狭間にある桜。そんなに見物人がいるわけでもなかったが、二、三人去ると、二、三人が現れるという感じで桜を愛でていた。

写真はその寺の天水桶を覆った花びら。カメラを構えた自分の半身の影が写ってしまった。昨日は強風の一日で外出をする気にもなれなかったが、今日は20度ぐらいにはなったかもしれない。

食事もまた、ビル群のこんなところに、と思う様なレストラン。本来なら大きな規模の建物なのかもしれないが、周囲があまりに高層ビルばかりなので、桜同様に、狭間にあるレストランという感じだった。

令和元年

2019年4月1日 月曜日

本日11時に新たな年号が発表された。「ににん」の句会の日の途中で、それぞれが携帯で確認していた。発送したばかりの「ににん」74号は平成最後の発行誌だ。次の「ににん」75号は令和元年の第一号目になる。

令和(れいわ)
英弘(えいこう)
久化(きゅうか)
広至(こうし)
万和(ばんな)
万保(ばんぽう)

候補は以上だったと言うが、収まりのいい濁りの入らない発音に落ち着いた感じである。さらに特徴的なのは、純国書万葉集から選ばれたことのようだ。

中国の秦の始皇帝が元号の統一によって全土を収めた。それ以前の中国は、諸所で勝手に年号を決めていたようである。始皇帝が決めた年号に従わなければ反逆とみなされたのだろう。そんなお触れも出したに違いない。

風土詠

2019年3月27日 水曜日

いつも思うのだが、俳句は風土を詠むのに適している。前衛的な俳句は、その裏側に思想が張り付いているのだが、伝統俳句は季語を謳うと言っても過言ではない形式である。

たとえば一句ずつ何の脈絡もなく作りためた句集と、一つの風土を移り変わっていく季節を詠んだ集積とでは、句集から湧き出してくる空気が違うと思う。一度はどこか一カ所の風土を過ぎる季節を読んでみたいと思う。

そんな折、角川『俳句』4月号では、一年間にわたって「風土吟詠」の連載が始まった。都道府県代表47人が毎回自身の棲んでいる風土を読む。わたしは埼玉県の句を出すことになった。秩父盆地の行事を数えただけでもたくさんある。

春になれば、お遍路姿は秩父の風物詩、通ってみるのもいいかもしれない。

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