‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

さいたまスーパーアリーナへ

2016年12月8日 木曜日

7日は、いつもはににんの編集部で校正したゲラをパソコンで訂正し終わって印刷所に入稿する日である。

しかし、昨日は埼玉スーパーアリーナで行われる『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ』を観に行った。60歳以上の人を募集して編成した芝居というかオペラというか、とにかくとてつもない大人数が舞台で演じるのである。6月に亡くなった蜷川幸雄さんの企画した群衆劇だという。

そんな演劇に出掛ける気になったのは、カルチャーの受講生がそこに出演するというからだ。出演者は1600人、観客が8,000人というマンモス劇場のある「さいたま新都心駅」も初めて降りる駅だった。

すべてがロミオかジュリエットである。そのロミオ達とジュリエット達に将来の夢を語らせる場面がある。この場面は二年程前に見た映画『滝を見に行く』を思い出させた。映画も一般公募の人たちによって構成されたものだった。

出掛けるまで修正していた「ににん」原稿の残りも帰ってきてからし尽した。これを印刷所に送ってしまえば安眠できるようなきがして、いつも真夜中でも印刷所に送ってしまう。

ところが、昨夜は睡魔が襲ってきて、パソコンの画面を見ながら眠ってしまいそうになる。やっとのことで送るだけおくって、ベットに辿りついた。

三種類の眼薬を寝ながらさすつもりだったが、最初の目薬を差しただけで、薬はみんな残っていた。さらには、もう一度、データーが無事に送られたか確かめてみると、何度も同じフアイルを添付していたりして、眠りながら行った痕跡が残っていた。

さらには、送信しないデーターが一点残っていた。とにかく無事に「ににん」65号の入稿が済んだ。

11月の初雪

2016年11月24日 木曜日

起きたら雪世界なんてことは何回も体験しているが、11月の初雪の記憶はない。ニュースで54年振りだというから覚えていてもいいかもしれないが……。

とにかく朝、眼が覚めたら雪景色になっていた。このごろの気象庁の予報は外れない。昨日の寒さの続きのように、雪がばさばさと降りしきっていた。

昨日思い出して、電車を待っている間にご無沙汰している荒さんにご機嫌伺いのメールを入れた。ついでに明日は雪だなどと、とんでもないことを言っていることもつたえたのだが、ほんとうに11月の雪が降った。

 

「円錐」創刊25周年祝賀会

2016年11月13日 日曜日

澤好摩という名前をいつ頃から意識したのだったか。とにかく幾十年か前である。本名なのか俳号なのかもいまだ知らないのだが、名前に先ずは惹きつけられたような気がする。

その澤好摩さんに出会ったのは10年くらい前の「俳句界」の座談会の席だった。他の俳人も初対面だったし、そのことに驚くことは無かったはずだが、澤好摩さんがその場にいたことは遭遇したという感覚だった。

こんなことを書くと、さぞや澤好摩さんの作品、文章、その業績を熟知しているように思われそうだが、全くその作品も文章も読んでいなかった。ただ年月の間に、活字上で澤好摩と言う名前に出会うたびに、そこに立ちのぼる人物の空気のようなものを蓄積してきていたに過ぎない。

本人が知ったら、ほんとうにがっかりしてしまうと思うのだが、俳句の世界の私とは遥かな反対側で生きている作家なんだというぼんやりした認識しかなかった。

そんな澤好摩さんの「円錐」での創刊祝賀会での企画が「どっちが名句だ」というもの。著名俳人の誰もが知っている名句と呼ばれる句を論じ合うのだ。

一満月一韃靼の一楕円   加藤郁乎

秋の航一大紺円盤の中   中村草田男

最後の「名句くらべ」はこの二句。途中で草田男の句に誰かが「これ名句なの」という声を発して、誰かが「草田男の句集の序文で虚子がとりあげているらしいよ」と答えた。

わたしも、どちらも好き嫌いでいえば嫌いの箱に入れてしまう。われわれはこの句を数ある作品の中から覚えたというよりは、名句として差し出されて覚えた、という不幸を背負っているのかもしれない。

とにかく面白い企画だった。この場でほんとうに久しぶりに藤原龍三郎さんに出合い、三宅やよいさん、関根誠子さんにも出会えた。池田澄子さんにも一年くらい合わなかっただろうか。忘れるところだった。十郎さんも何年振りっていう感じだ。

文化の日

2016年11月3日 木曜日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA    文化の日で雨が降ったことがあるのだろうか。私の記憶の中で雨の降った文化の日の記憶がない。今日は思い出す文化の日々の中でもとびっきりの快晴だった。

「栃木蔵の街俳句大会」に呼ばれた。講演を依頼されていたので、折角の蔵街を散策することはできなかったが、はるばる駆けつけて下さった「ににん」の仲間は会のあとに、蔵街を散策したようである。

繰り返すようだが、この文化の日の快晴の空の色は印象的だった。夜になってもその碧さが空の色を深めて、印象的な三日月と金星が出ていた。

地方の俳句大会は地域のつながりと言う、年月の積み重ねが滲み出して、独特な空気がある。それは選者として呼ばれた松戸の「海の日俳句大会」でも感じたことが。そのうち、蔵街を散策してしてみようと思う。

秋の彼岸

2016年9月21日 水曜日

160921_1008~01  ただ一冊の句集である。
荻窪の夜の教室はもう15年くらいになるだろうか。初期からの受講生も数人いる。
その受講生のお一人が急逝した。リタイヤしてゆとりの出来た時間を楽しんでいるふうだった。教室以外の吟行などにも、積極的に参加していて楽しい方だった。教室に馴染んでいて、もう何年も通ってきているように感じたが、一年足らずだった。

受講生のひとりが、句を纏めてあげましょう、ということになって、こんな立派な本になった。一年でそんなに作ったの?と思うかもしれないが、教室以外の吟行にも積極的に参加していたからである。明日は秋の彼岸だ。木根内さんが楽しんでくれればいい。

句集『臆光年』
臆光年渦状青雲蝌蚪凝縮
吾が影に父の影あり初鏡
傘ポンと開きし先や濃紫陽花
引力に大小ありて木の実雨
向日葵の横一列やモアイ像

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サングラス

2016年9月17日 土曜日

160917_0828~02 朝9時撮影。部屋の隅の壁にテレビを設置してあるが、考えたらテレビだけを見ているのではなく、日の燦燦と入る窓も視野に入っている。

外出にはサングラスが欠かせない季節だが、屋内も、この部屋にいるときにはサングラスが欠かせなくなった。これから、この部屋は冬に向かってさらに日差しが奥まで届いて、暖かい部屋にはなるのだが。

何十年も住んで居て、今さらそんなことに気づいても遅すぎるのだが、日差しが気になるのは目が衰えてきたからだろう。

その衰えた目で、今日は再校を済ませるために自室の籠らなければならない。自室は、このリビングの続きにある小さな部屋なのだが、東側には窓がない。

烏の悪戯?

2016年9月15日 木曜日

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市庁舎が纏まっている辺りは縦横に欅並木が聳えている。ここだけは電線も地下に入れたようで、枝葉を思う存分茂らせてある。

ひとところ、欅並木の足元を皐が垣を成していた。ふと、その欅の幹の片側ごとに小枝が乗せてあるのが気になった。次の欅にも、また次の欅にも意識的な小枝の嵩があった。

もしかして鴉が巣造りのために集めたのかとも思った。下に取りあえずは用意して一気に作ろうという魂胆にも見えた。今朝は我が家の近くでけたたましい鴉の鳴き声を聞いたので、鴉しか思い浮かばないのである。

我体内も働いている

2016年9月7日 水曜日

このところ朝食のあと、何だか体が怠くてふわふわしていたのが気になっていた。ネットでそんな場合、どんな病気が予想されるのか検索してみると、糖尿病と貧血が浮かび上がった。

糖尿病ならちょっと厄介だなーとおもいつつ、朝食は意識してゆっくり、しかも少なめにと気を使っていたが、先日病院へ行く用事があったので医師に症状を話すと胃腸が弱っているのかもしれないと言われた。

胃腸が弱っていると、その胃腸を助けるために血液が食事の度に胃に集まるのだという。思わず健気なわが血液よ、と思った。血管を惰性でただぐるぐる回っているわけではないのだ。

それで貰ってきた漢方の胃薬を数日飲んだだけなのに、症状がすっかり収まった。薬はまだたくさん残っているのだが。

胃腸も治って、「ににん」64号の初校もすっかり済んで、データーも印刷所に送った。あとは明日紙焼きを郵送すればすべてが終る。

「ハンナ・アーレント」

2016年8月23日 火曜日

映画は見始めるとつぎつぎと通うのだが、遠のいてしまうと忘れるくらい日にちが過ぎてしまうものである。振り返ってみたら今年は数本しかまだみていない。

息抜きに映画を、と思ったのだが夏休みのせいか観たいと思う映画が見つからなかったので、新文芸坐の「ハンナ・アーレント」を観に行くことにした。この映画は封切りで観ているのだが、なんか分かり難かった。

入館したら二本立ての一本「サウルの息子」が放映されていた。これは初めて見る映画であったが、見始めから暗く重苦しい映画で、ホロコーストの中で、選ばれて収容所の中で働くユダヤ人の話。観終わった時にはくたくたに疲れてしまった。本命の「ハンナ・アーレント」を見るまでの時間をロビーへ出ると、青年二人が最後までかなり重い場面だったことを話し合っていた。

しかし、これをみておいたお蔭で、次に放映された「ハンナ・アーレント」の中身が鮮明に見えてきた。二本立ての効用である。ドイツ・ナチについては、まだまだ見えない部分がいっぱいあるような気がする。

墓参

2016年8月11日 木曜日

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「山の日」という休日だった。兄弟がそろったので、墓参りに行った。墓参りというよりも、墓掃除がみんなの頭を占めているから、枝切鋏、手ぬぐい、軍手などなど何処かの邸宅の庭掃除のような道具が車のトランクにいっぱいになった。

しかしわが両親の眠っている墓は畳数にしたら二枚ほどの小さな墓地なのである。あいかわらず小平霊園を貫く欅並木が美しかった。

お盆には数日早かったせいか、我が両親の墓とともに周りのお墓も草茫茫。まずは、木にからんでいる藪からしの蔦を引っ張ってみると、根元は隣のお墓である。どんな方がお墓参りにくるのか、一度も出会ったことがない。
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さて始めようかと軍手をはめると、義妹が保冷材の入ったマフラーを配ってくれた。

なんだかんだと言い合いながら、草とりやら樹木の剪定を終えると、ビニール袋二枚では足りないほどのゴミとなった。

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