明日は晴れ

 12月も明日で終りである。今年もいろんな人と食事の卓を囲んだ。多分今日の同級生たちと囲んだ卓が今年の最後になるだろう。ひょんなことから話がまとまって、哲学堂の近くの鰻屋で食事をした。新井薬師の駅から鰻屋までの道中に共通の同級生の家があった。だが、もう亡くなっている。もうひとり同級生の家の前を通ったが、実家が跡形も無く消えていた。同級生に会うたびに一人づつ友が消えていくような気がする。

 鰻屋に居る間、向かい側の席のの携帯が何度も鳴った。が「おいおい仕事柄、たくさん入るだろう。とりあえず受けてみろよ」と口添えしたが「掛けられない」というのだ。最近、家族全員が同じ携帯に変えさせられたのだという。それがスマホなのだ。「社長命令だから仕方がない」と呟く。社長とは息子のことだ。何年か前に座を譲って、自分は会長として収まっているのだ。

 若い人には子供時代からゲーム機などでパソコンも携帯も自然に使いこなせるのだが、ある年代から突然そうした電子機が壁のように立ち塞がってしまうのだ。多分彼の息子さんも掛け方くらいは説明したのかもしれないが、一回ぐらいでは理解できないのだ。若い人には、そんなものがどうして使えないのだろう、思えるらしい。今日の私の電話が繋がらない理由も納得できた。

 
 「とりあえず掛けてみろよ」と促したも、私が送ったCメールを読んでいないのだ。そんなことが出来ることも知らなかった。飲み合っている間も、いくたびもの携帯が鳴った。その度に気になるのか、取りだして指先で突っついていたが、最後は将棋盤の駒を崩すかのように液晶画面にぐるぐる輪を書いてはポケットに入れてしまった。なんだか可笑しくて吹き出しそうになったが、わたしもまだ旧式の携帯を使っている。

 そのが私のことを「まだ女に成りきっていない」と、とんでもないことを吐かすのだ。帰りのタクシーの中でも言い続けて「何とかしなくちゃ。おい、来年の目標にしようぜ」とに同意を促していた。私は、「何言ってるんですか。携帯も人並みにかけられないくせに」と言い返していたら目白駅に到着した。携帯のカレンダーを開くと、大晦日にはお天気マークが入っていた。

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