去就

集まりがあれば去就はつきのもである。それは淡々とやり過ごすことにしている。5年ほど滞在したMさんが去った。もともと、それなりの場を築いてきた人だから、むしろ独立したら発展があるだろうと思っている。以前からそれは伝えてあった。ただ、今回の去就はににんの外側の人が介入してしまってややこしくなった。

このMさんの去就のきっかけになった某氏の吃驚するような記事を発見した。「あのときの言葉が悪かったと、謝ってもゆるしてくれないで、10月からたびたび誹謗のメールが入ってくるので弁護士に相談しようと思っている。」というものだ。怖い人と思った。それで、改めて経緯だけを書き残して置くことにした。

★9月の下旬、某氏から突然「Mさんを苛めているの?」という電話があった。この発端は9月の中旬の朗読会にある。そこで、お手伝いをしたMさんが私に関わる話題を周囲にしたのが、集約されて某氏の電話の内容になったのである。分かりにくい箇所も出てくるかもしれないが、長くなるので枝葉は省く。

★10月のににん句会後の団団の席で突然Mさんが泣きだした。そこでの会話の流れから、ピアノを弾くTさんとチエロを弾くMさんで15周年祝賀会の席で共演すればと、私が言ったのが嬉しかったというのだ。Mさんは某氏から「我結社に来るか、自分で雑誌を立ち上げるかしかあなたに道はない」という電話を受けていたのだそうである。私は「苛めているの」という某氏の電話をはじめて伝えた。

★後にMさんから聞いたことだが、某氏は翌日も電話してきたという。「岩淵が某氏の結社賞を貰ったMさんに嫉妬している」という内容だ。そういえば、最初の電話の「苛めているの」の次の言葉は「Mさんに賞をあげちゃって不味かったかな、と思っている」だった。

★その賞のことは昨年の6月、Mさんから報告を受けた。そうして、某氏の苛め云々の電話は9月の下旬である。実家に不幸が続いていたMさんは、会も休みがちな時期でもあった。

★Mさんが泣きだした夜、某氏に抗議のメールを入れると、「他所の会に口を出して申し訳なかった」という謝罪メールがきた。某氏が「謝ったのに」というのはこの事を指す。しかし謝ったとは言っても、「苛めた」という問題は私達に残されてしまった。

★年末に二人になる機会を得たとき、Mさんは某氏の電話の内容を否定した。翌日、某氏へ「妄想を抱いてしまったのですか」というようなメールを書いた。その内容はMさんにも転送した。そちらの二人で片付けて貰いたいからである。どちらからも返事は無かった。わたしはこれを答えとして受け止めた。

★抗議のメールはこれで二回、某氏の束ねる会への退会届のメールが一回の都合三回が、某氏のいうたびたびという言葉に当たる。

齟齬とは、言葉の感覚の相違だと思っている。話し合えばわかるというのは理論に過ぎない。今回のやりとりで、Mさんとの間にもそれがあると思った。Mさんは、二度目の某氏からの電話へ「岩淵さんが、五年居てもいいと言いました」と返事をしたという。その何気ないような言葉だが、私は、洋服を後ろ前に着てしまったような居心地の悪さを感じた。

この居心地の悪さは、Mさんの泣いた場に居合わせた人には理解出るだろう。わたしは年末に区切りをつけるために「熟考しました。度量がなくて申し訳ありません。」、という書き出しで退会を促した。

私が正しいというつもりはない。そうしてMさんが悪いというつもりもない。ただ私の中に湧いた「嫌だ」という拒絶感が打ち消しがたく居座ってしまった。そのことで四面楚歌になっても、会員が激変しても、はたまたMさんの「苛められ歴」の3番目に連なることを想像しても、嫌なものは嫌なのである。

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