2009年9月 のアーカイブ

農園経営

2009年9月30日 水曜日

このところ「農園経営」に精を出している。といいてもミクシイ仲間の中で流行ってきた、ネット上の農園だ。初めは作物の植えられている農園と100ポイントが与えられる。そのスタートから、虫退治やら水やりやら収穫やらを経て少しずつポイントが貯まり、経験度が加算される。

収穫をすると、それを売ってポイントを増やす。ポイントが増えていけば新しい土地を購入することもできる。最初は何するのかわからないでいるうちに、畑が荒れていたりしたのだが、このごろはポイントの増やし方、農園を見回りする間合いも心得てきた。ポイントは貨幣のようなもの。その他に経験度が加算によって、選べる種も増えてくる。農園を開いたときにリンゴやイチゴやメロンが実っているのはやはり楽しい。

私の知っているマイミクで一番大農園主になったのは「ににん」の仲間、りのりのさんだ。彼女は隣に牧場も経営しているらしい。経験のポイントが10になると牧場を覗くことができるから、頑張って経験度のポイントを上げるようにと言ってきた。りのりのさんの牧場には何がいるのか楽しみだ。

守屋明俊句集『日暮れ鳥』  2009年9月 角川書店

2009年9月30日 水曜日

「未来図」の編集長の著者第三句集。

   雑炊や酔へば故郷のあるごとく
   鯉濃の骨が難儀や春の婚
   コロンブスの卵も竹の子も茹でる

一句目のロマン、二句目の軽み、三句目の機知,多彩な側面を見せる作家である。

   雀には馬鹿にされるし葱坊主
   案山子から見る一軒の夕餉の灯

もうひとつの特徴はことばの自在さ、視点の自在があることだ。

岸本尚毅句集『感謝』2009年9月 ふらんす堂刊

2009年9月29日 火曜日

岸本尚毅氏自選の15句 
  
ときじくのいかづち鳴つて冷やかに
  日沈む方へ歩きて日短  
    初寄席に枝雀居らねど笑ふなり  
    寒々と赤々と正一位かな  
  秋晴の押し包みたる部屋暗し  
  日高きに早や夕ごころ山桜  
  水の底突けば固しや水澄めり  
  焼芋を割つていづれも湯気が立つ  
  暖炉に火なし一切は遺品にて  
  その妻のこと思はるる不器男の忌  
  テキサスは石油を堀つて長閑なり  
  現れて消えて祭の何やかや  
  ある年の子規忌の雨に虚子が立つ  
  さういへば吉良の茶会の日なりけり  
  面白くかなしく遠く涅槃かな 


岩淵喜代子選の15句
  
冬ざれや月の光は押す如く
  凹みたるところが赤き焚火かな
  山あひに金の屏風をきらめかす
  水澄んで青空映る彼岸かな
  降る雨の見えて聞えて草の花
  さういへば吉良の茶会の日なりけり
  馬鈴薯と牛肉買へと梅雨の妻
  わが死後もある波音やうららかに
  そのそばに月あざやかに大花火
  テキサスは石油を堀つて長閑なり
  片蔭が水の面に続くなり
  冬ざれや踏めば水吐く野辺の石
  相似たる朝と夕べ初景色
  夕潮の満ちくるままに泳ぎけり
  昼顔の風の如くに広がりし

 何気なく拾って15句になっが、作者とは二句しか重ならなかった。作る側には、作ったときの思い入れもあるのだろう。作者の選句した句をみていると、「おかしみ」を目指しているような気がした。

山本純子句集『カヌー干す』2009年9月  ふらんす堂刊

2009年9月29日 火曜日

1957年生れ。詩集『あまのがわ』でH賞受賞。「船団」所属

  ねこじゃらしマックかマクドで待ってます

どのページを開いても面白い句集というのは、ほとんどない。しかし、山本氏の句集は面白い。それは、きわめて日常的な風景を、きわめて卑近な言葉で綴った俳句への親近感が作用するのだろう。あまりにも卑近なために、描かれている風景を、思わず自分の日常にダブらせてしまう。掲出句などは卑近ななかの卑近な風景だ。マックと呼ぶのは東京で、マクドと呼ぶのは関西であることから、景が広がっていくのである。

   廃船を描く人いて鰯雲
   秋の浜大人になったから座る
   一月の上半身をふと回す
   三月のはじっこへ来て山頭火
   豊の秋内緒内緒と叔母が来る
   山火事の昼は一人でケンケンパ

『繪硝子』2009年10月号・主宰和田順子

2009年9月27日 日曜日

結社誌を読む       谷中淳子

   赫き衣を赤く映して夏の海     岩淵喜代子

 夏の茂りに囲まれた湖は、普段よりも深い色をたたえている。そこにちらりと影がさす。あかい衣服が映ったのだ。もとの色より少し暗いのは、湖の色の深さゆえだろう。「赫」は燃え上がる炎の色、「赤」は燃えている火色を表すという。文字の使い分けによって、色のトーンの違いを表現しているのが視覚的な効果をも生んでいる。
 この作品は題詠「赤」五句のうちの一句で、同時発表に〈赤き花数へて椿にゆきつきぬ〉もある。 
岩淵氏は「鹿火屋」「貂」等を経て、平成十二年季刊同人誌「ににん」を創刊。

『諷詠』2009年9月号・主宰 後藤比奈夫

2009年9月27日 日曜日

現代俳句私評   遠藤睦子

      山の宿ペン書きの蟻走り出す     岩淵喜代子

 たしかに蟻は黒っぽく、大きさも同じ程であり、手足はペン書きのように細い。作者は山の宿に滞在されて、元気のいい山の蟻の走り出す姿を発見されたのであろうか。「ペン書き」は大変的確でユーモアもあり、その動きが見えて楽しい。
 机上に文章など書かれているかも知れない作者と重なって想像の広がる作品である。同時掲句、「ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり」なども小さな生き物を通して細やかな季感への心の注ぎ方に感銘。                       

                             (「俳句四季」八月号(螢)より)

庄内砂丘

2009年9月22日 火曜日

夕べはホテルに帰ってすぐに寝てしまったので、睡眠は十分だった。今日はやはり墓参を兼ねて地元酒田に戻ってくるSさんに、案内して頂くことになっている。前日に會津駒ケ岳から降りてきて、今朝の飛行機で来るなんて大丈夫かなーと案じたが、それは杞憂だった。

「ににん」の仲間と七月に来たときに訪ね損なったのが、『砂の女』の舞台である庄内砂丘と土門拳美術館だった。とりあえず、庄内砂丘から海へ出てみた。その広さは左右にはるばると広がっている海岸線で感じた。

それから、ガソリンスタンドで教えて貰った浜中の民具資料館の前で車を止めた。中にはどこにもあるような農機具やら民具が展示されていて、隣の和室には写真がたくさん掲げてあった。その和室はご老人達の憩いの場でもあるようで、七人ほどのお年寄りが輪になっていた。

『砂の女』の舞台になったような場面を見つけられなくて、お年寄に砂の被害について伺ってみたが、要領を得なかった。要領を得ないのは方言のせいもある。そのうち一人が館長さんを呼んできてあげると館を出ていった。遠いのかしら、と言ったら「なーに自転車で行くから」と答えた。

待っているうちに、座敷の展示物のなかに、「砂箱」と書いた背負い箱のようなものを見付けた。そこには積もった砂を運ぶための道具と書かれてあって、初めてそれらしいものがあることを知った。

現れた館長さんもそこに集っていたお年よりと同年齢の男性だった。写真も説明されるとよく分かってきた。食卓の真上に傘が拡げてあるのは、家に入ってくる砂を避けるためのもの。一夜で砂に埋まってしまった家を近隣が総出で掻き出す写真もあった。

館長さんは阿部公房の小説も読み映画も観ていた。映画は鳥取砂丘で撮ったようで、ちょっと不満気だった。写真の砂に埋れている家は今もあるから案内するというので、一緒に車に乗ってもらった。今は植林が進んで砂の被害は免れている。雨が降ってきた。天気予報で発表しなくても、私の旅には何故か一度は雨が降るのだ。

酒田に戻って土門拳美術館に入る頃は土砂降りになった。展示は土門拳を含めて六人の写真家の終戦直後の風景。私の好きな木村伊兵衛の写真もあった。遅い昼食をしたあと、早めに酒田の駅へ送ってもらう途中でメールが入った。荻窪読売文化センターのお仲間からだ。「Sさんと酒田ですか、私はhさんと角館です」というものだった。若い女性同士の旅もまたあとでいろいろと面白い話が聞けるのだろう。

それで、酒田駅を背景に写真を撮ってもらって返信した。帰りは新潟で一列車送らせて、お土産を買い漁った。そういえば、観光地酒田の駅にはお土産やも目立たなかった。 

ひとり旅

2009年9月21日 月曜日

島に渡るにはこちらの都合だけではなく天候にも左右されるのだ。何故って、飛島行の船は波が荒いと即欠航にしたり、時間を早めたりしてしまうからである。宿より飛行機の切符よりも、船が運航されるかどうかを確めるのが優先だから、こちらが都合がついたからと言って実行には移せない。

明日は予定通りに運行しますよ、という返事を貰ってから、飛島で以前お世話になった宿の女主人にお墓までの案内人を見つけておいてくれるようにお願いしておいた。それから飛行機のチケットを買って、酒田のホテルの予約するという順序になる。

七月に行ったときには、がらんとしていた船が、座る席がなくなるほどの乗船客だった。お墓参りやこの五連休の行楽の若者である。なごし旅館の女主人は以前のようにやはり旅館の旗を掲げていた。客も満員らしかった。お墓参りの案内人をお願いしておいて正解だった。一人では場所を見つけられないような場所だった。昨日は天候が荒れていて、酒田からの船が出航時を早めて出発したらしいが、今日は予定通りに酒田に帰れた。

一人旅だったせいか、この緊張は夜まで続いた。まずは、予約したホテルが朝食しかやらないというので、夜の町に食事に出かけたが、暗くて道が分からない。ほんとうはコンビニ弁当でもよかったのだが、そのコンビニらしきものも、そうした食べ物を売っている場所も酒田の町にはないのである。いかに静かな町であるのかがわかる。

ところが、この五連休の俄な人出で、飲食店はどこもごった返していた。ホテルの人がはんぱじゃない人出ですからね、と言っていたのを証明するような状況だった。一人で、それも見知らぬ町の飲食店に入るのは緊張したが、夕食を食べないで寝るのもなーと思って、勇気を出して店に入った。ちょっとお洒落なお店は、イタリアンのようなフレンチのような、と思っていたら、豆腐メニューも焼き鳥もあった。

私の後から入ってきた人は「いっぱいです」、と断られていたが一人分の席はあるらしかった。夫婦連れの隣のカウンター席だった。太った人は無理だなー、というような狭いスペースだったが、端っこで落ち着けた。二人連れの奥さんの方が、座ったとたんに狭くってごめんなさい、と言ってくれたので、すぐに打ち解けてしまって、よそ目には三人連れみたいな雰囲気に見えただろう。

そのご夫婦は一ヶ月前に探したのに宿が何処にもなくって、とんでもない町はずれの宿で、車で10、2,3分かかるのだという。それで初めて私がレストランが無くても、予約できたことは幸運だったったことを知った。ご夫婦はこの土地出身でお墓参りにきたのだという。

その後は、ホームページを見てみます、というお返事をいただいてお開きになった。

「銀化」2009年9月号・主宰中原道夫

2009年9月17日 木曜日

「現代俳句月評」より         評者 山田 露結

     海月浮く神父は今日の祈り終へ      岩淵喜代子

 海月が浮いていうことと、神父祈りを終えたこととは直接関係がないように思われる。神父は祈るということを自らが生きていく上での役割として日々を過ごしている。
 専門的なことはわからないが、ただ浮いているだけのように見える海月もきっと、海月が生きてゆく上での役割として、そうしているに違いない。
 あらゆる生命がそれぞれの役割の中で生れて死んでゆくことの不思議を思う。
                                         (俳句研究夏号発表句)

年中原道夫第9句集『緑廊(パーゴラ)』 2009年刊 角川書店 

2009年9月17日 木曜日

 ほぼ二年ごとに上梓する句集でありながら、このたびの句集も大冊である。句数を正確には数えていないが、おおよそ900句ある。

   ものの芽や空がひつかかつて困る
   建坪に負けてさくらの拗ねてゐる
   天に飽き地に飽き雪積るなり
   裸眼には入れぬと知る櫻かな

中原道夫氏の句風は、ものごとのすべてを擬人化的な描写に置き換えているようだ。四句目の「裸眼には入れぬと知る櫻かな」になると、わかりずらささえ出てくる。

   かたつむり昼寝の村を出てゆける
   虹舐めて麒麟は脚を畳むなり

上記の作品も手法は同じなのだが、その手法が不思議な、かたつむりや麒麟の存在感を造りだしている。

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