原作・ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」
監督・スティーヴン・ダルドリー 1961年5月2日生まれ イギリス/イングランド出身
この映画はバスの中の場面からはじまる。乗務員が検札をしながら近づいてくる位置にレイフ・ファインズが演ずるマイケルが不安そうな面持ちで座っていた。その次の場面は氷雨の降る町を濡れながら歩いているマイケル。それはあたかも切符を持たずに乗車した貧しい青年が目的地まで行けないで降ろされかと思わせるシーンである。建物の入口で具合が悪くなったマイケルが嘔吐を繰り返しているところに、住人らしい女性が入ってくる。
女性はタオルを持ってきて濡れたマイケルを包み、バケツの水で嘔吐を洗い流した。そこで出会った女性こそが第81回アカデミー賞のケイト・ウィンスレットが演ずるハンナ。バスの乗務員でもある。この映画も「「めぐりあう時間たち」と同じ監督が撮ったものであるのを知ると、「あーやっぱり」と頷いてしまう。あの映画もかなり複雑な不思議な時間の積み重ねだった。
それに比較すれば、この物語は分かりやすい。だがこの監督の仕掛は最初のバスの中のシーンから始まる。なるべく先を見せないように、というより別の誤解をもつように仕掛けておいて、決して種明しもしない。観客は暫く経てから、ずっと以前のシーンを呼び出して納得するという具合だ。
そのもっともおおきな仕掛が、15歳のマイケルと21歳も年上のハンナが年月を経て裁判の場でめぐり合うときだ。ハンナはアウシュヴィッツの看守として、同僚とともに裁かれていた。しかし、彼女だけが無期懲役という重い刑を服することになった。筆跡を調べるためにハンナに紙とペンが与えられた。ハンナはそのペンを持とうとはせずに、それまで否定していた事実をあっさり肯定に変更してしまったのである。ハンナは文盲だったのである。
このことを察知したのは、学生として見学していたマイケルだけだった。いつもいつもマイケルに朗読をさせたハンナ、サイクリングの途中のレストランでメニューを開いて直ぐに閉じて選択を任せたハンナ。それから、務めていた会社で事務職への移動を促されたときに、荷物を纏めてマイケルの前からも行方を消したシーンが甦る。
この荷物を纏めてマイケルとの愛を育んだ部屋を出てゆくシーンも、もしかしたら若いマイケルを思いやって清算するために身を隠したかのようにも思わせるのである。結局マイケルは、彼だけが気付いたハンナの文盲を証明することはしなかった。それはハンナの自尊心に沿うことだと判断したのである。それから長い年月、マイケルは小説の朗読したものをテープに収めて、刑務所に送り続けた。
そのテープを聴きながら同じ小説を開いて、ハンナは文字を書くことを覚えたのである。一言メモのような手紙を幾たびも受け取りながら、マイケルは返事を書かなかった。文盲ではなかったのだとマイケルは思ったのだろうか。そのことも、映画は説明しない。出所できる時期がきて刑務所の看守から身元引受人が居れば出所ができるのだが、という手紙が届いたとき、マイケルははじめてハンナに会いにゆく。
そうして部屋と仕事を用意することも約束した。彼女は喜んでいたようにも見えた。だが、その迎えにいく日にハンナは自ら命を絶っていたのである。この終り方も、ハンナを自尊心の強い女性として描き出した。独房に居た日々、たぶんハンナは昔の傍らで読書をしてくれるマイケルを描きながら過ごしたであろう。
机を挿んでマイケルと向かい合ったハンナは昔のように手を差し出したが、マイケルは少し躊躇っていた。その一瞬の空気が、ハンナの自殺に繋がることであるようにも受け取れる。これは終始、ハンナという女性を描き出すためにフイルムが回された映画である。 久し振りにいい映画を観た。