2009年7月 のアーカイブ

「評伝『頂上の石鼎』校了

2009年7月31日 金曜日

初校を入れてから再校が出るまで一ケ月だった。届いたゲラには、旧字に直す作業に手間取っていて遅くなりました、という手紙が添えられてあったので、再々校は早く来るだろうと思っていた。ところが二ヵ月経っても手元にゲラが来ない。

先週、直談判をしてきたお蔭でやっと心配していたゲラは手に入った。なーんだやれば出来たんじゃーない。やはり黙っていては埒があかないのだ。この数日はそれに目を通すことで終っている。やはり、何回見ても、気がつかなかったことがある。校正は無限地獄のようでもある。 明日手渡すことになっている。

それでも、木津さんに二回の校正、そうして私も今回を入れて三回見て居るのだから、もうあとは覚悟で区切るしかない。一章ごとに完成させて置くべきだった。調べたものの記録の保存方法やら、表記の方法やらが年月のうちには、変化してしまって、統一にも手間取った。

とにもかくもこれで、ようやく本当の意味で校了だ。

まだですかー

2009年7月27日 月曜日

以前ブログで「ことばのアルバム」と題して孫へ書いた手紙を出版してくれる人がいる。それを見直そうと思いながら、「石鼎評伝」の一件が落ち着かなくて待たしてしまっている。「まだですかー」と入稿を促されているところ。

ほんとうは、この出版してくれる話がある前からこの「ことばのアルバム」の文章を単純な手紙文でなく、子供の目線で書き直したいと思っていたが、方法が見付らないのである。子供の目線で書いた物語、あるいは子供が主役の物語はたくさんある。

そんなことから「赤毛のアン」・「にんじん」を読み返してみたが役に立たなかった。というのはそのどちらもが自意識、すなわち物心のついた子供の物語。随分以前に読んだ内容で判断するのだが、「鍋の中」は子供の目から描写した祖母の話。中ではいちばん子供の目線が生きている。

私が探しているのは、それらの物語よりはるかに年齢の低い幼児の話。フランスの映画「ポネット」はまさに幼女。突然の母の死を認められなくて、日々母を恋う話。でもこれも違う。探しているのは幼女を介した物語ではないのだ。私が探しているのは、何気ない日常を大人からの目線ではなく幼児に語らせたいのである。

要するに、背景が物語的だと、子供の視点やら、動作やら、考え方が少し、壊れてしまう。筆者の目を通して語られているに過ぎないのである。日常の見え方は、子ども自身の視点からはきっと違うように思える。いままでの小説はすべて大人の視点と変わらないのである。俳句なら予定調和とも言える。

そんなのないよ、と言われれば頷くしかないかもしれないが、もし書けたら新しい分野だ。もしかしたら、漫画などに赤ん坊が物語るようなものがないのだろうか。どなたか知恵を貸してくださる人がいるといいのだが。

それにしても、「石鼎評伝」を預けた出版社さんはわけが分からない。仕事をしている人達の揃ったところで、私のゲラの所在がわからないなんてことあるのだろうか。出来たらキャンセルしたい気分である。

『ボン書店の幻ーーモダニズム出版社の光と影』余談

2009年7月26日 日曜日

「ボン書店の幻」の著者は詩歌の古書を扱うことでも知られている「石神井書林」の店主である。石神井公園へゆく途中に、小さな店構えで営業しているが、目録販売をしていると思う。

それで、思い出すのが、一年ほど前のこと。この書店のオーナーであり「ボン書店の幻」の著者にけんもほろろに扱われてしまった記憶が甦る。あー、そういう人物であるなら、そうした気位を見せるだろうな、と妙に感心してしまった。

この石神井書林から、大正末から昭和五年までくらいの「鹿火屋」誌をまとめて売りに出されたことがあった。どうしようかな、と躊躇ったのはもう評伝を殆ど書きあげてしまったからである。わたしは昭和13年以降の「鹿火屋」は持っている。多分書き始める頃だったら、迷わず買っただろう。

蒐集するという意思はなかった。手元の「鹿火屋」誌にしても、もうそんなに若くない私は落ち着く場所を考えておいてやらなければならない、と思っていた矢先の広告だった。それでも、五年間ほどの纏まった雑誌は貴重な存在である。吟行の折に肩を並べた俳人にその話をしたら値引き交渉してみたらと、躊躇っている私を後押しした。

もともと、「鹿火屋」が一冊単位で売りに出されるときは、大方は千円を下ったことはない。たいがい1500円ほどの売値がついているので5年分が五万円弱で買えるというのは、とても安価なのである。金額の問題ではなく、それを自分のところに置くわけでもない、というところに躊躇があったのである。

しかし、やはり買ってしまおうか、と思い立ったのは、その俳人の言葉に勢いがついたからである。それで値引き交渉をしたことがあるのだが、一言のもとにこの件に関しては以後受け付けない、というようなかなりきっぱりした返事だった。それが、かなり気位の高い人、という印象で記憶にある。そうしてこの「ボン書店の幻」の著者だとすれば、一枚に重なる映像となる。

私は所蔵している昭和13年以降からの「鹿火屋」を『日本近代文学館』に寄付することにきめている。というのも、この文学館は雑誌をかなり整理して保存しているからである。そこでの「鹿火屋」を見ると「石神井書林」で売っていた昭和五年までの雑誌はやはり買っておけばよかったなと思うのである。どんな経緯だったか、私はこの近代文学館の維持会員にもなっているだ。とにかく、「鹿火屋」を読むには俳人協会へいくしかないという不便さをずーっと感じてきていたからである。

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近代文学館目録「鹿火屋」の項目

41号 1922/07/ 大正11年7月
47号 1923/01/ 大正12年1月
53号 1923/07/ 大正12年7月
119号 1929/06/ 昭和4年6月
131号 1930/06/ 昭和5年6月
303号 1946/05/ 昭和21年3,4,5月
304号 1946/08/ 昭和21年6,7,8月
この鹿火屋の目録は2000年で終ってしまっている。要するに原裕が亡くなってから送られなくなってしまったようだ。
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眼科へ

2009年7月24日 金曜日

朝起きたら左の目の下がはれぼったいような気がした。これは初めてではない。月始めに飛島・酒田の三日目の朝も眼の下が腫れていた。もしかしたら酒田の旅館のご馳走が禍したのかもしれない。いろいろな魚や生牡蠣はどうしても手でも触っている。その手で眼でも擦ったのではないかななー、と判断した。夕方には少し退いたので、なおさらそう思ったのだ。

あのときは帰ってきてから薬局の薬でやり過ごしてしまったが、今朝また同じような状況になっていた。夕べも数人で飲み食いをしていたが、特別な料理でもないし、生ものは一種類しかなかった。しかし、時間が長かった。西葛西で齋藤さんを中心に呑んでだあと、東西線で帰る電車の中で、ラーメ食べませんか、とひとりが言って神楽坂でぞろぞろと途中下車した。

私にとっては三人とも初対面だったが、それが少しも初対面のような気にならなかったのは、齋藤さんを通しての面識で、いろいろな場を知り合っていたからだろう。そこでまたひとしきり呑んで食べて、結局最終に近い有楽町線で帰ってきた。でも、それが眼の腫れるのに繋がるような出来事かなー。やはり、ラー油の壜を触った手で眼を擦ったのかな。

とにかく今日は眼科に出かけた。医者も腫れていますね、といいながら点眼薬をくれた。腫れているのは下瞼のあたり。点眼薬だけでは頼りない。夕方、別の医院に一週間前の一日ドッグの結果を聞きに行ったが、99パーセントが正常範囲。どこも悪くないということだ。「目の下が腫れているんで、眼科に行ったんですが原因が分からないすよ」というと、医者は「腫れているね、なかなか、わからないもんですよ」とあっさり言うだけだった。

日蝕

2009年7月22日 水曜日

以前もこんなに日蝕って騒いだっけ、とおもうほど、騒がしかったが、今日は残念ながら雨だった。

でも、ににんの仲間のひとりは、晴を信じて南の島へ旅立った。無駄だなー、と思いながらテレビ中継を見ていたら、その時間になると、太陽は隠れていても景色は夜になった。この空気はやはりその現場でなければ実感できないだろう。「どうですか」とメールを入れたら「雨でした、でも楽しく旅を続けまーす」という返事がきた。

「日蝕」 といえば覚えているのは小学生の頃。蝋燭で焙ったガラスは真っ黒に煤けた。それで太陽を見上げることが出来たのだ。だが、太陽がどの程度翳ったのかは忘れてしまっている。

その次にも曖昧な事柄がある。仕事が終ってビルを出たときに、まるで夕ぐれのように暗かったのを覚えていた。当時、職場で日蝕なんて騒がなかったような気がする。それでも丸の内北口までの僅かな距離を「あー丁度日蝕だった」という感慨で打ち眺めた記憶があった。

しかし、ほんとうにあれが日蝕だったのか、今になると自信が持てなかった。今盛んに言われているのは、46年前のである。私の年齢とはあわないのである。記憶にある日蝕は確かに真昼間だった。勤めを終えて真昼間に出会うと言ったら、曜日は土曜日でなければならない。

それで過去の日蝕で20代初めという時期の日本で見えそうなものを調べて見た。1958年4月19日の日蝕は東京で最大80パーセントまで欠けた。しかも真昼間の11:30から0:020までといえばぴったり。しかも、この日は土曜日なのである。やっと、記憶を繋ぐことが出来た。

加藤郁乎著 『俳の山なみ・粋で洒脱な風流人帖』 

2009年7月21日 火曜日

2009年7月 角川グループパブリッシング刊

第一部「俳人ノート」は、忘れかけて語られる機会の少ない俳人たち。「柴田宵曲・籾山梓月・岡野知十・増田龍雨・小泉迂外・志田素琴・などの伯楽を。また、内田百軒・岡本綺堂・永井荷風のどの文人や風流人・実業家・俳文学者などの俳句紹介。
第二部は「実話自句自解」。この実話と題されているところに、加藤郁乎氏の意思が込められている。実のところ、加藤郁乎とはっきり認識しながら句を思い出す句は「冬の波冬の波止場に来て返す」だった。

   手品師は村過ぎて天上に犀がゐる!
   遺書にして艶文、王位継承その他無し
   楡よ、お前は高い感情のうしろを見せる
   天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし
   雨期来たりなむ斧一振りの再会

さらにはこうした句から、この作家を前衛に近いところに位置する作家だと思い込んでいたが、実は江戸俳諧へ繋がる本格的な俳諧師であったことを認識する。

   根岸より参りさうらふ手を焙る   平成6年

この句を解説しながら、「根岸というと子規庵としか返ってこない俳人などというのはつまらない。せめて抱一とか鵬斎くらいの名を挙げ、笹の雪のきぬごしくらいが出なければおもしろくない。」と言う。抱一も鵬斎も江戸時代の人物だ。どの自句も、江戸俳諧までを遠望しながら語っている。

この一書から遡って『日本は俳句の国か1996 角川書店)』を手にして見れば、加藤郁乎の俳句へ希求をさらに納得するだろう。

中岡毅雄 第四句集『啓示』 2009年七月  ふらんす堂刊

2009年7月21日 火曜日

俳人協会の句集と評論の両方で新人賞受賞している作家の第四句集。その洗練された表現方法にも、第四句集までの蓄積が伺われる。

  あしあとがつづく凍湖のかなたまで
  十薬やこの世にかよふ波の音
  みづうみにすきとほりゆく花筏
  青林檎雲の中へと鉄路消え
  つやつやと寒の蜆の粒そろひ
  ねむりたらざればねむりて沙羅の花
  寒蜆啜りてよもつひらさかへ
  吸呑に手の届かなざる霜夜かな
  けふを臥すほたるぶくろにあすも臥す

「あしあとが」「みづうみに」「寒蜆」などの句に、どこか遥かなものへ視野を投げている姿勢が感じられる。このことが今回に句集の大きな主題になっていると思う。
行方を確めようとする鉄路は先が消えていて、近くはすぐそこの「吸呑」に手が届かないというもどかしさ。そして今日も臥し明日も臥す生活を、怜悧に言い留めていることで、読み手も救われている。

広渡敬雄第二句集「ライカ」 2009年七月 ふらんす堂刊

2009年7月21日 火曜日

昭和26年生れ。「沖」同人・「青垣」会員 栞 楷未知子
楷氏は「見かけはシンプルだが、実は重層性な作品」と評している。この重層性は、取り合わせの距離の程よいバランスから生れて、世界を広げているのだろう。

   内子座の幟に風や帰り花
   餡パンに塩味少し鳥の声
   水涸れてポケット版の鳥図鑑
   礁より生まるる波や花祭
   風涼し星涼し牛育ちけり

一句目、風の幟ではない。「幟に風や」のかすかな違いが「帰り花」の咲く気配に弾みをつけている。二句目の餡パンと鳥の声の距離こそが、作者の生活の中の視野であり、ひらめきの展開だと思う。

『増殖する俳句歳時記』7月11日 今井肖子評

2009年7月20日 月曜日

 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし      岩淵喜代子

 手元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(今井肖子)

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東京育ちではあったが、小学校の2年生ころは埼玉の山奥に戦争を逃れて暮らしていたので、蛇が石垣を這うのを見たりしていた。その後東京に帰ったので蛇などを目にすることはなかった。出会うとすれば、蛇屋のショウウインドウの薬漬けの蛇だった。

それが、東京オリンピックの年に現在の地に移り住んで、蛇が極めて日常的になってしまった。垣根に大きな蛇が枝から枝に全身を乗せて、日を浴びてるような姿は、まじまじと眺められる位置だった。軒先の鳥籠を狙うために窓ガラスを這う蛇を見つけたこともある。あんなに小さな蛇が鳥を食べるのかと思えるほどに細いものだった。

近所の人は雨戸を閉めようとして戸を引いたら蛇をつかみ出してしまって気絶してしまったそうである。蛇の話題は近所にたくさん生れた。しかし、人間が怖がって居るだけで、蛇の被害があったわけではない。蛇に襲われた話も皆無だった。

鑑賞して貰った句も当時の経験である。2分ほどのバス停への近道が、林の中の細道だった。バスの時間に間に合わせようとして走っている次の足が宙にあるときに蛇が目に入った。もう飛び越すしかなかった。文章仲間が発表したエッセイに、藏の天井裏で孵化した蛇が、つぎつぎ地上へ落下してゆく光景は、錦絵のようだった。 蛇は案外人間に親しんでいるのである。

映画『愛を読むひと』 

2009年7月16日 木曜日

原作・ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」
監督・スティーヴン・ダルドリー 1961年5月2日生まれ イギリス/イングランド出身

この映画はバスの中の場面からはじまる。乗務員が検札をしながら近づいてくる位置にレイフ・ファインズが演ずるマイケルが不安そうな面持ちで座っていた。その次の場面は氷雨の降る町を濡れながら歩いているマイケル。それはあたかも切符を持たずに乗車した貧しい青年が目的地まで行けないで降ろされかと思わせるシーンである。建物の入口で具合が悪くなったマイケルが嘔吐を繰り返しているところに、住人らしい女性が入ってくる。

女性はタオルを持ってきて濡れたマイケルを包み、バケツの水で嘔吐を洗い流した。そこで出会った女性こそが第81回アカデミー賞のケイト・ウィンスレットが演ずるハンナ。バスの乗務員でもある。この映画も「「めぐりあう時間たち」と同じ監督が撮ったものであるのを知ると、「あーやっぱり」と頷いてしまう。あの映画もかなり複雑な不思議な時間の積み重ねだった。

それに比較すれば、この物語は分かりやすい。だがこの監督の仕掛は最初のバスの中のシーンから始まる。なるべく先を見せないように、というより別の誤解をもつように仕掛けておいて、決して種明しもしない。観客は暫く経てから、ずっと以前のシーンを呼び出して納得するという具合だ。

そのもっともおおきな仕掛が、15歳のマイケルと21歳も年上のハンナが年月を経て裁判の場でめぐり合うときだ。ハンナはアウシュヴィッツの看守として、同僚とともに裁かれていた。しかし、彼女だけが無期懲役という重い刑を服することになった。筆跡を調べるためにハンナに紙とペンが与えられた。ハンナはそのペンを持とうとはせずに、それまで否定していた事実をあっさり肯定に変更してしまったのである。ハンナは文盲だったのである。

このことを察知したのは、学生として見学していたマイケルだけだった。いつもいつもマイケルに朗読をさせたハンナ、サイクリングの途中のレストランでメニューを開いて直ぐに閉じて選択を任せたハンナ。それから、務めていた会社で事務職への移動を促されたときに、荷物を纏めてマイケルの前からも行方を消したシーンが甦る。

この荷物を纏めてマイケルとの愛を育んだ部屋を出てゆくシーンも、もしかしたら若いマイケルを思いやって清算するために身を隠したかのようにも思わせるのである。結局マイケルは、彼だけが気付いたハンナの文盲を証明することはしなかった。それはハンナの自尊心に沿うことだと判断したのである。それから長い年月、マイケルは小説の朗読したものをテープに収めて、刑務所に送り続けた。

そのテープを聴きながら同じ小説を開いて、ハンナは文字を書くことを覚えたのである。一言メモのような手紙を幾たびも受け取りながら、マイケルは返事を書かなかった。文盲ではなかったのだとマイケルは思ったのだろうか。そのことも、映画は説明しない。出所できる時期がきて刑務所の看守から身元引受人が居れば出所ができるのだが、という手紙が届いたとき、マイケルははじめてハンナに会いにゆく。

そうして部屋と仕事を用意することも約束した。彼女は喜んでいたようにも見えた。だが、その迎えにいく日にハンナは自ら命を絶っていたのである。この終り方も、ハンナを自尊心の強い女性として描き出した。独房に居た日々、たぶんハンナは昔の傍らで読書をしてくれるマイケルを描きながら過ごしたであろう。

机を挿んでマイケルと向かい合ったハンナは昔のように手を差し出したが、マイケルは少し躊躇っていた。その一瞬の空気が、ハンナの自殺に繋がることであるようにも受け取れる。これは終始、ハンナという女性を描き出すためにフイルムが回された映画である。 久し振りにいい映画を観た。

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