2009年7月 角川グループパブリッシング刊
第一部「俳人ノート」は、忘れかけて語られる機会の少ない俳人たち。「柴田宵曲・籾山梓月・岡野知十・増田龍雨・小泉迂外・志田素琴・などの伯楽を。また、内田百軒・岡本綺堂・永井荷風のどの文人や風流人・実業家・俳文学者などの俳句紹介。
第二部は「実話自句自解」。この実話と題されているところに、加藤郁乎氏の意思が込められている。実のところ、加藤郁乎とはっきり認識しながら句を思い出す句は「冬の波冬の波止場に来て返す」だった。
手品師は村過ぎて天上に犀がゐる!
遺書にして艶文、王位継承その他無し
楡よ、お前は高い感情のうしろを見せる
天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし
雨期来たりなむ斧一振りの再会
さらにはこうした句から、この作家を前衛に近いところに位置する作家だと思い込んでいたが、実は江戸俳諧へ繋がる本格的な俳諧師であったことを認識する。
根岸より参りさうらふ手を焙る 平成6年
この句を解説しながら、「根岸というと子規庵としか返ってこない俳人などというのはつまらない。せめて抱一とか鵬斎くらいの名を挙げ、笹の雪のきぬごしくらいが出なければおもしろくない。」と言う。抱一も鵬斎も江戸時代の人物だ。どの自句も、江戸俳諧までを遠望しながら語っている。
この一書から遡って『日本は俳句の国か1996 角川書店)』を手にして見れば、加藤郁乎の俳句へ希求をさらに納得するだろう。