2009年11月 のアーカイブ

薔薇が咲いていた

2009年11月30日 月曜日

 「ににん」に連載していた「花影婆娑と」はタイトルを『頂上の石鼎』として上木した。
 この一冊を書いたお蔭で、いろいろな機会の総合誌に書かせてもらった文章、それと参加していた「貂」・「鹿火屋」に掲載した俳論のすべては『頂上の石鼎』に盛りこむことができた。
 意識的に盛り込んだというよりは、一人の作家を追うということが、俳論の反映だったのである。単に一人の作家を世に紹介するのは意味のないことである。だから十人の石鼎伝があるとすれば十人の石鼎論がたちあがるのではないかと思っている。そういう意味では大勢の人に評伝を手掛けてもらった俳人像は重厚になるはずだ。
 こうした評論の分野の文章を書く気になれたのも川崎展宏氏のおかげである。氏は情緒的な文章をだらだら書いているわたしに、そんなものは歳をとっても書けるから、評論を書けとしきりに煽ったのである。1979年に創刊した「貂」に参加したときである。句集評のようなものを何回か書いたあと、次号の「貂」の四頁を評論で埋めろという突然のお達しがあった。
 取り組むなら気になっていた林田紀音夫しかないと思った。現在ふらんす堂から出版された現代俳句文庫―57『岩淵喜代子句集』の巻末に収録した「文体は思想」はそのときの文章である。その経緯がなければ、私は散文詩風なものが自分のテリトリーだと思い込んで暮らしてきたに違いない。
 同じ時期に、川崎展宏氏がもうひとつ予言していた。ある日、「雑誌を持ちたいだろう」というのであった。こういうことを切り出すときはいつも飲み会の場であった。だからといって、それが雑誌を持つことを促しているというのでもなかった。ただただ、わたしの中にある思いを言い当てるかのような言葉だった。第一句集『朝の椅子』上梓の直後だった。あまりにも唐突な発想で、わたしは持ちたいとも持つ気はないとも返事ができなかった。
 「ににん」を創刊したのは、川崎氏のことばも忘れ去った15年後のことになる。実際、雑誌を立ち上げてみると、自分が本を造ることが好きだったのだということに気がついた。もしかしたら無意識の意識を川崎氏が言い当てたのかもしれないと、そのとき思った。

  その川崎展宏氏が亡くなったことを今朝の朝日新聞で知った。初めてお便りを頂いたのは、友人と薔薇園に吟行したときの句を誰かに見せて貰ったらしくて、その句の感想だった。そんなふうに、思いつくと、こまめに筆を走らせる方だった。

     大甕をのぞきて薔薇に囲まるる   喜代子

「ににん」37号掲載句

2009年11月29日 日曜日

家の灯がも一つ増えて冬篭り               acacia
菊白く嘘赤くつく愛妻家                   新木孝介
どの家も静まる中を星飛べり                新木孝介
一家言団栗回るアルミ皿                  潅木
木の実落ちる音して家庭裁判所              倉本 勉
いわし雲さら地となりし生家かな              こさぶ
家柄もちからもあらじ冬の蠅                 匙太
四代目江戸家猫八良夜かな                匙太
春旅や江戸の家並み奈良井宿              西方来人
長年の猫も家族や日向ぼこ                 西方来人
虫の音や家出のやうな旅支度               たかはし水生
御飯あり家ある平和冬灯し                 たかはし水生
帰りたい家思う母秋になり                 内藤紅葉
晩秋の家鴨と話などをして                橋本幹夫
家中の灯りを消して冬紅葉                橋本幹夫
秋光や古き町屋の犬やらい                 ひろ子
凍雲の家柊に触りおり                  畦前一条
故郷も我が家の後も枯れ草木              万香
蚯蚓鳴く我いなければ無人の家             三千夫
ある家を探しあぐねし敗戦忌               三千夫
        (以上はホームページで鑑賞してあるもの)
菊薫る主婦の座ありし家家や              acacia
清し静かに走る革命家                   新木孝介
整然と家並ぶ丘冬の薔薇                 新木孝介
O型は家族で独り文化の日                   潅木
幽しや定家葛の香を覚ゆ                    潅木
家芋愛する人と生きてゐる                   潅木
ポインセチア家族写真の横に置く              倉本 勉
人住まぬ家に寒柝打たれけり                倉本 勉
家がいいリンゴのほっぺが上を向く             紅葉
蛍族家の紅葉と二人きり                    紅葉
樟脳のぷんと旧家の毛布かな                 こさぶ
家筋を聞かれ戸惑う秋の暮                   西方来人
残業の最終バスの家路かな                  西方来人
孫ら来て家中外の木の実かな                 西方来人
我が家にも関取居りぬ九月場所                橋本幹夫
家中の闇たしかめて冬紅葉                    橋本幹夫
七夕の夜の家々の願ひかな                   橋本幹夫
怪しげな家系図広げ鵙高音                  林 阿愚林
きしむ家戸(かと)引きて朱柿の空に映え          畦前一条
かじむ手の大息ついて家夕げ                 畦前一条
霜の家さらに靴下履き添えり                  畦前一条
虫しぐれ静かさにある空家かな                   万香
十六夜吾が家に遠き道あかり                    万香
災わいに家を無くした冬の空                     万香
少年は待つ家裁の庭の鶏頭花                   三千夫
家溶けて人溶けて山笑うなり                     三千夫    
「家なき子」読みつつ寝入る炬燵の子               三千夫

文学の森交歓パーテイー

2009年11月26日 木曜日

  bukkukaba.jpg

第一ホテル東京シーフォートも初めて行くところだが、天王州アイル駅という駅もまた初めて下車する駅だった。東京モノレールとりんかい線の交わるエリアは、建物と建物が微妙に入り組んで、一体になっている感じだ。

加藤郁乎さんがお見えになっていて、初めてご挨拶をしたら、「助詞」の使いかたが巧いという事を繰り返しおっしゃった。送っていた「ににん」も読んでくださっていて、「座談会面白かったよ」と言われてほっとした。

この場で石鼎にまつわるニュースを加藤郁乎氏から伺った。加藤氏の父親はコウ子さんから養子を請われたことがあるらしい。まつもと・かずや氏はコウ子さんの傍へいくと養子を促されるので、みんな近づかないようにしていた、と聞いたことがある。

だから海上氏より原裕氏よりも先に、加藤郁乎氏の父親も養子を請われていたということになる。またお目にかかったときによく伺っておこう。

文学の森の編集スタッフも新メンバーになった。お土産にブックカバーとストラップを頂いた。

蕪栗沼

2009年11月19日 木曜日

  karigane333.jpg     karigane888.jpg    karigane555.jpg          

雁としし座流星群の両方を見ようと勇んで出かけた旅だった。雁は塒入りも夜明けの飛び立ちも見るつもりで、沼に一番近い宿「ロマン館」に宿泊した。

最初の見学は雁のねぐら入りだったが、なにしろ蕪栗沼はナビゲーターにも表示されないで、地図をたよりに走るしかなかった。しかし、行けども行けども沼が現れない。雁の帰ってくる群は幾つも幾つも空に現れた。その雁の行方に従えば行ける筈だったが、舗装された車道は延々とその雁の帰る姿を遠巻きにしているばかりだったのだ。

宿の主に聞くと行き着けない帰ってくる人は多いのだという。そのうちに一度行ったことがある一家が、明日先導してくれるという情報を持ってきてくれた。

翌朝5時半に待つと神奈川から来たという若い家族で小学一年くらいの子を頭に三人の子供と猫が一匹乗っていた。やっと念願の沼の淵まで辿りつく事が出来て、夜明けとともに、近在の田圃へ餌を漁りに飛び立つ群が何度も何度も現れては散っていった。

帰りにはもうすっかり夜はあけて、既に田圃に降り立った雁の群にも出会った。 その後、仙台の街中へ行ってもまれに雁行が空にあった。 写真は携帯なので、ぶれていた。

久し振りの現代詩手帖

2009年11月18日 水曜日

 久し振りに手にとった『現代詩手帖』2009年11月号は拙書『頂上の石鼎』を俎上にしている頁の隣に「阿賀猥」氏の名前が目に止まった。懐かしい名前である。
この名前は一度見たら忘れられない名前でもる。私が荒川洋治の詩のグループに僅かな期間属していたときの同じ場にいた。そのときすでにそこでは突出した詩人として荒川氏が認めていた。
 「あがわい」とはあの頃から名乗っていた。そのときから今の詩の文体は変わらない。意味性よりも、音楽性が強くて読み手を引き込んでゆくのだが、何処へつれて行かれるのか分からない思いで、そのリズムに乗ってしまうのだ。
 今回、取り上げられている詩も当時と同じだ。

『転生炸裂馬鹿地獄、割れて砕けて散るかも」(7月堂)の中からの一編。

     ところで朝ごはんはどうなさっていますか?
     ーー朝はですか?
        朝は食べません。
        アーハハハハハ、ハハハハ
     では昼ご飯は?
     ーー昼、昼はバナナです。皮をむいてポイ
       アーハハハハハ、ハハハハ
    夜は?夜はなにかお作りになるのでしょう?
    ーー夜、夜がまたバナナなのです。
       アーハハハハハ、ハハハハ 

こんなに馬鹿げても見えるような詩を思いつくということこそが詩人なのだ。

  『現代詩手帖』2009年11月号

2009年11月16日 月曜日

詩書月評   田中庸介
    
岩淵喜代子『評伝 頂上の石鼎』(深夜叢書)

 俳句結社「鹿火屋」の創始者であるホトトギス派の俳人、原石鼎の波乱万丈の生涯を、豊富なリサーチをもとに描く好著。

   青天や白き五瓣の梨の花     石鼎

という句について著者は「俳句というもののの本意を見せて貰ったような気がする。造形的な構図が情緒を斬捨て、潔く青空に置かれた五瓣の花びらとその輪郭が真直ぐ心に届く」と評する。
  さらに藤村弘氏の「最高の句は無私性の中に生まれるのではないか。それは私にとって耐え難い恐怖だった。私は〈私〉を捨てたくないのだ。短歌なら、と私は考えた。〈私〉に執することのなかからも最高のものが生まれ得るのではないか」という文章を引き「俳句の分野に踏み込むという事は、非情な潔さを覚悟しなければいけないのではある」と告げる。
  いずれのご意見もよくわかるが、現代詩は無私の中に屹立すべきか、私性の中に屹立すべきか。実はそれは、まったく自由だと思う。むしろ、一編の長さが比較的長いことによって、意味性だけにとまらず、「ことばの音楽」として詩のなかの時間を活用できることが大きい。
  だが、あまりにも音楽性に依拠しすぎると、詩の内容が骨抜きになり詩形の凋落を招きかねないのだ。その危惧を覚える者にとって、いま短詩形の作家たちから学ぶべきことは多い。

『天為』2009年11月号  主宰・有馬朗人

2009年11月15日 日曜日

次郎より太郎のさびし桐の花      岩淵喜代子
              (『俳句四季』八月号「螢」より)

 私の地域には、子どもが生まれると桐の木を植えるという習慣が最近まで残っていた。私が生まれた時にも祖母が何本か私のために植えてくれた。それが小学生の頃には見上げるほどに大きくなって独特の紫色の花を咲かせていた。
 我が家は、戦後の農地改革で農地の大半を失い、父が教師をしなければならない兼業農家であったからであろうか、嫁姑の諍いで母がよく里へ帰る事がよくあった。その時母はいつも弟を連れ、長男である私は祖母の元に残して帰っていた。残された私は、桐の木の下で恨みに潤んだ目で母と弟を眺めていた。二人の姿が見えなくなっても眺め続けていると、いつも祖母がそっと迎えに来てくれていた。そして、その夜は必ず祖母は夕飯に双子の卵をつけてくれていた。
 今も幼い男の子を連れた親子を見ると、私にはこの時のことが鮮やかに甦ってくる。悲しい長男の性である。しかし、そのときの桐の花にはいつも美しい紫の花が咲いている。桐の花は永遠に忘れられない祖母と私のさびしい花である。

画廊にて

2009年11月8日 日曜日

西荻窪の画廊「数寄和」で和紙に書いた絵の展覧会。というよりも、画布として和紙を提供して若い画家たちに使って貰うという試みのようだった。その会を知らせてくれたのが、若山卓さん。ににんの創刊号の表紙を書いてくれた人だ。当時はまだ美大の学生だった。

そうしてみると、十年近くの月日が経ってしまっているのである。若山君は馬の絵を三点展示していた。もともと専攻が日本画だったから、和紙に違和感はなかったかもしれない。偶然だが、「ににん」も来年は10年目。当りまえのことだが、再来年は11年目だ。そこから新たな出発として創刊号に使用した絵を使おうかなと思っていたところだった。

そんなときに展覧会のお知らせを受けるのも不思議な偶然だ。でも彼は新たな絵を描きましょうか、と言ってくれた。たのしみである。一年あるから、じっくり構想を練ってもらえる。この会場に、なんと「ににん」に「茂吉ノート」を連載している田中庸介さんが、コメンテーターとして現れた。家も近くらしい。

『ひいらぎ』 主宰・小路紫峡  2009年11月号

2009年11月5日 木曜日

現代俳句の鑑賞            竹内柳影 評

   ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり     岩淵喜代子
  
  「ががんば」は〈蚊の姥〉といわれるように、実際、大きな蚊そのものに見える。外見から、あれに剌されたら大変なことになる、と恐怖を覚えるのだが、入に害は与えない。といっても、わざわざ「戸を開けて」やってまで、家に入れることはないだろう。
  揚句の「ががんば」は、家の中から、外に出たがって「戸」を打っているのだろう。それを「戸を開けて」逃がしてやった。生き物にたいする、作者のやさしさが窺われる句である。 
                                 (「俳句四季」八月号「螢」より)

3冊の評論集

2009年11月3日 火曜日

ozawakatumi1.jpg    小澤克己著   『艶の美学』   沖積舎  平成21年10月20日刊

題名からも伺われるとおり、エロスから切りこんだ俳論。芭蕉から能村登四郎まで16人の作品論。

raibaru3.jpg       坂口昌弘著  『ライバル俳句史』  文学も森社 平成21年10月26日刊  

幸田露伴と正岡子規・杉田久女と橋本多佳子・芝不器男と篠原鳳作というように、総勢62人の作品をライバルごとに照射した一書。

satamisann2.jpg       佐滝幻太著『現代俳句評論史ーー掬った水に揺れている月影』
                                      小鳥の巣出版 平成21年11月26日刊

文学の森で評論賞を受賞したー加藤楸邨自選300句を読むー をはじめとして、これまでに『俳句界』やら湖心にこれまでに執筆したも評論を一書におさめた。

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