2007年1月 のアーカイブ

俳句鑑賞

2007年1月29日 月曜日

「銀化」2007年1月号より転載   岩淵喜代子のこの一句

 大小の壺に冬日をためる村      『硝子の仲間』より

 一読して納得する句である。しかし、何かが少し違う。私が思い描いた日本の風景では、並んでいるのは樽や桶である。壺は梅干を漬けるときには使うが、冬日の下に並べることはある
だろうか。しかし、

   大小の樽に冬日をためる村

 だとどうだろう。景の再現としては、ぴったり来るが、句としての魅力はかなり減ってしまう(勿論、実際に壺が並ぶということもあるだろうが、キムチとか、お酢など、普通の日本の風景とは少しずれているような気がするので、ここでは樽から壺に言い換えたという前提で論を進める)。作者の形象力がやわらかに冬日があたる樽より、重みのある壺を選んだのである。対象の確かな存在感が「村」という言葉を支えている。そう思い「壺」を選ぶ作者の認識が「村」という言葉を規定する。 十七文字で表現しなければならない俳句の言葉は一つ一つ重い。その中でも名詞は像を結ぶので存在感が大きい。しかし、名詞≒モノとの対応は一対一とは限らない。掲句では「壺」と「村」では言葉の広さが違う。「壺」は「大小の」という形容詞と「冬日をためる村」という舞台設定により、壺というより甕に近いイメージに収斂する。
 飾り物の壷を想像することはないだろう。一方「村」は読者によって少しづつずれていることと思う。そこに「壺」を配することによって抽象度が増す。この抽象性を高めるという作業にこの作者らしさがあるような気がする。
  
  冬の宿風見るほかに用もなし  
  とつぜんに櫟林の落葉どき
  抱えたるキャベツが海の香を放つ
  空蝉も硝子の仲間に加へけり
  角のなき鹿も角あるごとくゆく
  冬近し羊のチーズ食べこぼす
  炉に近く野良着をかける釘ひとつ

 いずれも意味の通る句である。しかし、現実の景でありながらどこか異界を感じさせる句である。見慣れているものでもスクリーンに大写しにしてみると、このように感じられるのではないだろうか。帯文に「ポエジ一」という言葉が使われているが、詩とは日常にある物、日常で使う言葉をいつもとちがう手触りに変えてみせる作業である。『硝子の仲間』の句はそんな詩である。散文では伝えられない、論理ではない、少し異界に踏み込んだ表現がなされている。    【若林 由子】                

角川俳句大歳時記から

2007年1月13日 土曜日

角川俳句大歳時記「ににん」の収録句

岩淵喜代子 句集「朝の椅子」より
月山の木の葉数えて寝ねむとす
滲み出てくる鶏頭の中の闇 

句集「螢袋に灯をともす」より
カステラと聖書の厚み春深し        
にはとりは春の嵐の下くぐる     
朝日にも夕陽にも山笑ひけり     
大空の端は使はず揚雲雀       
噴水の虹は手にとる近さなる     
蝙蝠やうしろの正面おもひだす     
逢ひたくて螢袋に火をともす     
みほとりに鳴子の縄をめぐらしぬ

句集「硝子の仲間」より
雛流す水を選んでゐたりけり     
北窓を開きて皿を白くする      
生きること死ぬことそれより鰊群来   
髪洗ふ頭を垂直に阿波の国      
空蝉も硝子の仲間に加へけり      
緑蔭を大きな部屋として使ふ     
座を蹴つて帰るや紫蘇の香をはなち   
上海語北京語秋の深みゆく       
流木に手足のありし秋の浜       
穂薄も父性も痒くてならぬなり      
対岸の崖にままこのしりぬぐひ      
星を打つ矢を何本も熊祭         
同じ灯をみんなで浴びる牡丹鍋      
大鷲に緋色の岩をあたへたし       
牡丹供養はじめは闇を焚きにけり     

 


  草深昌子 句集「邂逅」より
  地蔵そば地蔵煎餅松過ぎぬ           
  田遊びのごたごた言ふが唄らしき
  鮭打つや一棒にして一撃に  

 


  辻村麻乃 句集「プールの底」より
  踏絵から先祖逃れて夫のあり             

 


長嶺千晶  

句集「晶」より
ボロ市や空を映して鏡売る   
春陰や煙草の匂ふ友の辞書   
こまやかに魚食ふ父や春の宵  
囀りや詩は垂直に愛を告げ

句集「夏館」より
桃畑ぬけてやさしくなれさうな
真夜に覚め夢に色ある鏡花の忌
引く波を押しあぐる波鷹渡る
苦瓜やぶらさがるものみな愉し 

角川俳句大歳時記から

2007年1月9日 火曜日

原石鼎角川俳句大歳時記』の収録句

しろじろと古き浴衣やひとり者
水打つて四神に畏る足の跡
霍乱のさめたる父や蚊帳の中
神の瞳とわが瞳あそべる鹿の子かな
老毛虫の銀毛高くそびえけり
炎帝の下さはやかに蛭泳ぐ
仲秋や土間に掛けたる山刀
秋風や模様のちがふ皿二つ
山川に高波も見し野分かな
蔓踏んで一山の露動きけり
野分あとの腹あたためむむかご汁
淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋
守虫籠に朱の二筋や昼の窓
色鳥に乾きてかろし松ふぐり
貝屑に蛼なきぬ月の海
夜のおけら耳朶を聾するばかりなり
絣着ていつまで老いん破芭蕉
汲み去つて井辺しづまりぬ鳳仙花
頂きに花一つつけ秋茄子
頂上や殊に野菊の吹かれをり
庇より高き提や十二月
臘月や檻の狐の細い面
短日の梢微塵にくれにけり
朴の月霜夜ごころにくもりけり
寒月やわれ白面の反逆者
時雨るるや空の青さをとぶ鴉
おもひ見るや我屍にふるみぞれ
氷上や雲茜して暮れまどふ
鬼儺ふときにも見えて嶺の星
肩へはねて襟巻の端日に長し
切口に日あたる炭や切り落とす
百姓の頸くぼ深し大根引
昼たかし霜の十夜の鐘がなる
なつかしや山人の目に鯨売
磯巌にまた日かげりぬ冬の雁
ささ啼のとぶ金色や夕日笹
梟淋し人の如くに瞑るとき
晴天に飼はれて淋し木菟の耳
初鰤に此灘町の人気かな
山一つ海鼠の海とへだちけり
葉牡
丹の一枚いかる形かな

七草粥

2007年1月7日 日曜日

 港区にある愛宕神社の七草神事に参加した。 
実は昨年も行ったのだが、人垣の向こうからの物音だけを聞き取っただけだったのである。
今年は見学の場所を確保するために、かなり早い時間に出かけた。
狭い社は間口も狭く、それほど沢山の人が見られるようにはなっていない。気になっていた俎板で七草を打つ時のはやし言葉を聞き取りたいと思ったからである。  
唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に  この箇所だけは昨年聞き取ったのだが、その前後の言葉は何処を探しても出ていない。
その神社にも、はやすときの言葉を書いたものもない。携帯のムビーを作動させて、巫女さんか俎板を叩きながら唄う声を収録してきた。

 ななくさ・なずな・ごぎょう・たびらこ・ほとけのざ・すずな・すずしろ・**********いっかい・いっかい・とんからり・とんからり・とんからり・とんからり・唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に・唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に・

 性能の悪い集音機で、再生しても聞き取れないところがあったが、ざっと、こんな囃しことばで、俎板をとんとん叩いていた。唐土の鳥とは、病気のこと。
昔からノロウイルス、鳥インフルエンザの類の流行病が、他所から運ばれる自覚があったようだ。 正式なはやしことばが出来上がっているわけではなくて
「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」
の1行だけが共通のようである。 

初句会

2007年1月4日 木曜日

 ににんの句会場は長い事、第一月曜日の新江戸川公園内の会場だった。
そこは、季節の変化の見える風雅な邸宅の一部屋だったので、あえて、吟行とおもわなくても、周りを散策するだけで、満足できた。
 旧細川邸で、大きな車寄せがあり、玄関を入ったところは、舞踏会でも出来そうな大きなフロアーがあり、池のある庭園が一望できた。  
私たちが使っていたのは、椿の間、建物の中でもことに静寂な空気の流れる部屋で、満足していた。晩秋になると、池のまわりの松ノ木に雪吊を施す。それが一日中眺めていられた。  雪吊の雪吊ごとに揺れてをり  は、そのときの作品。 
最近、耐震問題から、その邸宅を区が閉鎖してしまった。大変残念なことである。なんとか、補強して再開してほしいものである。 
 そこを追われた私たちは、現在は高田馬場から一分の消費者センターの一部屋を借りているのだが、いかにも会場という雰囲気で、なかなか馴染めない。  
仕方がないので、第一月曜日だった句会日を第一水曜に変えた。
月曜だと、吟行がしたい日に、施設が休みという事が多いからである。
一月は三日が第一水曜日だったので、四日にずらして初初句を行なった。 
10:30分に会場に集まってから、荷物を置いて近くの穴八幡に初詣。
ここは一陽来復のお札を受ける人で、冬至の日は長蛇の列となるが、四日の日も、お札売り場は長い列が出来ていた。

ににん25号に掲載

2007年1月3日 水曜日

黄昏の貧乏蔓魔女が住む            曇遊
屠蘇飲むや貧乏神の大いびき          祥子
素ツ寒貧とラムネの壜を振りし頃      石井薔子
貧乏は嫌ひ昼寝とツナが好き      猫じゃらし
爪紅や膝に貧血気味の猫          きつこ
貧弱な乳房となりて秋ともし       ミサゴン
清貧の文士密葬星流る         町田十文字
ちちろ鳴く明かり貧しき母の通夜       潅木
日も山も貧乏も神豊の秋           佳音
貧乏神追い出すように鉦叩        ミサゴン
曼珠沙華貧相な川燃え残す           恵
貧しさに耐えて鳴きたるキリギリス      遊子
貧富などどうでもよろし朝の露      ミサゴン
赤貧も障子も洗ふ上天気            恵
宰相の言葉貧しくちちろ鳴き      町田十文字
貧しい路地に月光を浴びている        乙牛
貧しさに空見あげれば百日紅        acacia
貧相を福相となす大昼寝          横浜風
神無月貧乏神の残りけり         乱土飛龍
治家に貧者の顔なく秋深む        じゃが芋
貧しくて寒くておしくら饅頭       森岡忠志
螻蛄鳴いてをるやあしたの素寒貧       siba
陋屋に月も貧しくなりにけり       石田義風
岸和田に貧富などなき秋祭り         遊子
貧血の子は集められ草の花        乱土飛龍
台北の貧民街やあかとんぼ        ショコラ
枯れ葉散る貧しき墓に詣でたり        遊子
蓑虫の貧しき家にくつろげり          祥子
新蕎麦や貧しさ言へば友もまた      たんぽぽ
爽やかや托鉢僧と貧しさと          和人
あの頃はみんな貧乏新酒酌む       shin
貧しさの貧しさありぬ放屁虫         潅木
秋風や貧相な猫の背ナ凛と         星野華子
赤貧のあとはあらざりすいつちよん      ヒデ
貧しくて角在る話冬ざるる          遊子
相伝の器用貧乏冬至粥        たかはし水生
貧乏と知っているのか鰯雲          遊子
貧相を持ち堪へゐし冬の雲            泰
消えぬ灯に貧女の一燈秋深し         迷愚
蛇穴に吾は貧相な髭を剃る         森岡忠志
月の川渡り貧窮問答歌          ショコラ
天高し貧乏くじの留守番に          遊子
貧するも振れる袖あり七五三        lazyhip
貧すれば鈍するはは常鳥渡る      岩田  勇

受贈句集から

2007年1月2日 火曜日

小澤克己著『星空とメルヘン』 句★解説★英訳 小澤克己     絵  澤田展駒★芳慕  
『遠嶺』主宰の小澤氏が最近発行した上記の本は、そのタイトルのごとく絵本である。色鉛筆で書いたものだそうだが、かなり緻密な筆致と色彩で、説明を読まないときには、油絵かと思った。 
大方は見開きページの絵に一句が付されている。タイトルのごとくメルヘンチックな絵は、癒し系。
「昔からあたためていたテーマ〈星とメルヘン〉の自作を百句ほど抽出し、その中から十五句を選び、題名をそのまま前回、妻(小澤とくえ)の句絵集『絵本のように』でお世話になりました色鉛筆画家の澤田展駒・芳慕ご夫妻より素晴らしい絵を頂きました。‥‥」
と小澤氏ご自身のコメントがある。
この絵と俳句のコラボレーションの中で、一番好きだったのは、 星と星指でなぞれば祭来る の句とその絵である。円い丘のような高みに坐った幼子二人の周りには、二人の脱いだ下駄があり、猫が幼子の指さす空を見上げている。その空はと言えば、金魚が流れて、馬車を曳いた牛がいる。まるで、それらの空を飛ぶものは、「祭来る」の句に呼応するかのようだ。


鈴木直充句集『素影』 第一句集本阿弥書店「春燈所属」昭和24年生
紅梅の闇白梅へ流れけり
鶏頭のぶつかり合うて紅ふかむ
虫籠にかぶせてゐたる帽子かな


竹内知子句集『おもかげ』 第二句集 序文倉橋羊村 角川書店刊「波同人」大正12年生 
生涯に恋一つのみ亀鳴けり
木枯の日暮の声に松の瘤
花の散るこの静けさのゆゑ知らず 


柴田深雪句集 『間祝着』第一句集 序文 茨木和生 ふらんす堂刊「運河同人」1930年生牡
蠣殻の山を崩せり恋の猫
狼祓ふ年縄を田に張りにけり
畑を焼く棒を離さず漢立つ


星野光二句集『透明』水明主宰 昭和七年生
煙突の煙は透明麦青む
三月の入日木立を突きぬけり
闘ひも恋もあるらむ虫の闇


岡本眸句集『午後の椅子』 第十句集 「朝主宰」 ふらんす堂
薮巻の新しければ翔つごとし
枯木みて昨日と今日をつなぎけり
子の部屋にクレヨン借りに秋の蝉


黒川宏句集『山稜』第一句集 鹿火屋同人 昭和八年生
夏祭渡りて橋の数ふやす
ひとりづつ庭へ出てゆく子規忌かな
貧しさの真赤に吊るす唐辛子


谷さやん句集『逢ひに行く』第一句集 昭和三十三年生 愛媛生「藍生」「船団」「いつき組」会員 序文黒田杏子 帯 坪内稔典 富士見書房
春光の鳩に何にもやれぬなり
天道虫たたみし羽のはみ出たる
教室の空白といふ草いきれ
引よせて通草の花のみな落つる
鉄棒の匂ひを洗ふ夏の雨


大崎紀夫句集『榠樝の実』第二句集1940年生
芍薬のはなの崩るる日なりけり
鶏頭をみるたび数へいたるかな
動かざるのみとなりゐる冬の犀

新潟地震

2007年1月1日 月曜日

また新潟地震で、地元の人はお気の毒だ。
連れ合いの実家は六日町。今回も前回の中越地震にも少し離れている。
まー、もし地震地域だったとしても無人の家だから、誰かの安否を気使うという問題は起きない。ほんとうはもう処分してしまってはという声も上がっているのだが、やはり、その決断が出来ないでいるようだ。

季節の折々、と言ってもことに春の雪解けのころは、雪囲いを取らなくてならないので、兄弟が集まるのである。ついでに山菜採りをする。というよりも、雪囲いを取る日を山菜採りにあわせている。

雪の間に顔を見せた蕗の薹、河原一面のこごみ、それから土筆。それだが取り放題なのである。その上に、スキー場のリフトの下には片栗の花が一面に咲く。その花だけを摘んできて酢の物にしておく。紫色の花を湯にいれると濃い青色に変化する。その色が甘酢に漬けておいても変わらない。これは、私のオリジナルである。新潟に育った兄弟たちが、そんなの食べられるの?と驚いていた。

この片栗の花料理を発見したのは、デパートの山菜売り場で花が沢山混じっている片栗の葉を買ったことにある。食べるというより、そんなに沢山の花があるなら、水を吸わせれば花として花瓶に飾れるのではないかと考えたからである。山菜売り場で片栗のパックを手にすると売る場のおじさんが言うのだった。

「奥さん食べたことあるの」
「無いけど」
「食べたことの無いもの食べようなんてエライ」

そう言って一つの値段で二つのパックをくれた。楤の芽や蕗の薹には手をだしても片栗を買う客は居なかったのかもしれない。

私は、六日町にいくと採りたての蕗の薹の天婦羅と蕎麦を作る係り、と自認している。とにかく摘みたての蕗の薹で作る天婦羅は美味しい。それから、みんなで町立の温泉にいく。

そんな楽しみがなければ、訪れる人も無くて家は壊滅してしまうのではないだろうか。雪国に家を持っているということは、維持費が大変なのである。特に六日町は豪雪地帯だから、雪下ろし費用は住んでいなくても、冬の大きな出費である。

いつも思うのだが、飛騨地方の合掌造りは豪雪対策でもあるのだろう。それなのに、この六日町では、あの方式が採用されないのはなぜなのだろう。少しちがうのは、土台を高くして雪に埋もれない対策を施しているくらいなものである。

この週末に法要のために、また兄弟で六日町に集まる。

あけましておめでとうございます。

2007年1月1日 月曜日

偶然だが、2007年の初頭のご挨拶をするのに、丁度よいタイミングで、ブログを取得しました。これまでの個人的なブログ千夜一夜猫物語は、現在の岩淵喜代子の折々にリンクを貼りましたので、そこから入ってください。
これからは、受贈の著書や雑誌に取り上げあげられた「ににん」の評などを、ここに書き込んでいこうとおもいます。
また過去の「ににん」記事なども随時、upして、「ににん」の歴史をこのブログに遺していくことにします。
取り敢えずは、昨年30日に「ににん」25号が発送されましたので、ぼつぼつ、みなさんのお手元に届くはず。数日しても届かない方はお知らせ下さい。

おだやかな元旦も終わります。

 

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