2008年2月 のアーカイブ

春窮

2008年2月29日 金曜日

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 このごろやっと、このぶろぐも人並みに画像をUPできるようになった。何故出来なかったかといえば写真に日本語のタイトルがついていると、どうも認識しないらしい。

ほんとうは、今が春窮の時期なのだろう。畑も今は古い野菜をみんな掘り返して、次の時期に備える春耕の時期。持て余していた大根も地上に放り出されてみれば、あきれるほどに不恰好なばかり。太りすぎて弾けそうだ。食べられるのかどうか。

しかし、この季語はもう死語に等しく、この感覚を味わうことは、現在の日本では全くない。餃子やシュウマイのほとんどが中国産とかで、店から撤去されても、割箸の90パーセントが中国産だったと知っても、不自由することはない。

俳人協会総会

2008年2月26日 火曜日

俳人協会の総会にいったのは、井越さんが新人賞受賞者なのでお祝いに駆けつけるため。こうした会で苦手なのは、顔を覚えないのでいつでも、みんな見知らぬ人なのだ。まれに親しくなったひとも、誰かと混同してしまって、会話があやふやになる。

「鴻」の主宰も「雲」の主宰のどちらも、どこかにいつもいそうな気さくな小父さんタイプ。私には似たイメージなのだ。それにどちらもこの数年の間に立ち上げた結社。そこでもイメージがかさなってしまう。年齢も似ている。地域も松戸と八千代市はなんだか私には近そうなのだ。今日は「鴻」の同人の方と暫くお話していたが、頭の中には「鴻」と「雲」が交互に浮いたり沈んだりしている。

昨年は俳句界の企画の歌舞伎町吟行をご一緒にしたんですよ。」
「そうですか?」
相手の不審そうな返事に、私はあわてて、散らかったものを片付けるように、修正する。
「あー、それは「雲」の方たちだったわ。「鴻」の主宰には、松戸の俳句大会にお呼ばれしたのでしたね」
「そうですよ」
と、その方がほっとしているうちに、私も鮮明に思い出したのが、雑誌「鴻」の裏表紙にある漫画。やっと、確かな話題が見つかって面目を保った。 ふーー疲れる。

春一番

2008年2月25日 月曜日

今年の春一番の凄まじさは、まさに「春嵐」と呼ぶに相応しいものだった
土曜日の午後の突風の、その真っ只中にいた。間違いなく「春一番だ」と思いながら空を仰ぐと、凄まじい唸り声は天上の風神の居場所もわかるほどの荒れ様だった。空を映したカメラの映像にもそれが捉えられて、泰西絵画に描かれたような重々しい空模様になったのである。

それが翌日の日曜日も続いているというのも珍しいことだ。とにかく、春一番をしっかり認識する2日間だった。その2日目の24日は椎橋清翠さんのお通夜。お幾つぐらいだったのだろう。たぶん、85歳前後かもしれない。春一番と椎橋清翠さんとは毎年結びついてしまいそうである。

椎橋さんとのご縁は、俳句をはじめて数年目の曾我梅林の梅祭りの会場で、お声を掛けていただいたのがきっかけだった。それからまもなく、「山暦」を立ち上げた青柳さんについて鹿火屋を去ったので疎遠になっていた。鹿火屋を去るときのまわりで囁かれていたのは、「兄弟のような親しい間柄」ということだった。だから、当然「山暦」の担い手だった筈である。

ある年、俳人協会から奥多摩吟行案内を作るメンバーとしての依頼状がきた。原先生にお見せすると、椎橋君の字だとおっしゃった。何年も会わない仲間の、その文字が識別が出来ることにも驚いた記憶がある。その吟行案内の本を作り上げるまでの数年をご一緒させていただいた。

その後、またご縁が出来たのは「山暦」を辞めたというお便りを頂いたのがきっかけだった。もう80歳に近かったと思う。そんな年齢になって辞めるというのは、それなりの結社にたいする鬱屈があったようだ。なんとなく空虚な椎橋さんを察して句会を開いたのが、今もそのまま続いている。そのころ、もうご自分の寿命を感じていたのだろう。私に古い鹿火屋や石鼎句集、それに石鼎の短冊などを下さった。俳句は鹿火屋の抒情を継いだ作風でとても好きだった

集金や桜まつりの中を行く
秋の虹もつとも濃ゆきところ飛騨
陽を溜めて水鳥水に固定せり
口閉ぢて雨を見てゐる燕の子
鈴蘭の鈴振る風を友として
木ぶし咲くと見れば水音ゆたかなり
一枚の巌を火攻めの蔦紅葉
吊橋の底の底まで雪は降る

句集

2008年2月12日 火曜日

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帯文*** 世間に捨てられるのも、世間を捨てることも易しい事だ。
       一番困難で積極的な生き方は、世間の真中に沈むこと・・・・
       私はパーテイの席上で俳人たちの回遊する喧騒の只中で、
      悠揚迫らぬ態度で密かに〈陸沈〉している岩淵さんを目撃した。
                                   齋藤慎爾
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句集ができあがった。今回は句集名に相応しい装丁ということで、四季出版で選んでくださったのが遠藤享さん。それが、偶然にも「ににん」同人の尾崎じゅん木さんと懇意の方だった。なんだ、それならお先にお目にかかれたのにー、と思った。10日と11日にかけて、手伝いに来てくれた友人と発送を済ませた。

 句集は自分の手を離れたら、それでおしまいである。あとは、読者まかせ。どちらにしても、自分をリセットするために活字にする、というようなもの。

田遊び

2008年2月11日 月曜日

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句会の終る頃、北野神社で「田遊び」があると言い出す人がいた。
寒い夜の行事だから、それなりの心積りをしてきていればいいのだが、一寸迷ってしまった。しかも、カメラも持ってこなかった。しかし、帰り道の途中だから、やはり寄って見ることにした。始めて参加した新人二人も寄るというので、参加組は半分の6人。

途中でホカロンと靴下を買ったり、腹ごしらえをしたりしてタクシーで6時を少しまわった時刻に神社についた。タクシーの運転手は北野神社すら覚束なかったから、今夜そんな行事があることさえ知らなかった。「田遊び」は歳時記にも東京では徳丸北野神社と赤塚諏訪神社が行なうことが書き込んである。その年の豊穣を願う神事である。鳥居の前でタクシーを止めても、賑わいが感じられなくて、一人が先に降りて確かめてからタクシを放したくらい、静かなものだった。

10年くらい前に一度見に行ったことがあったが、かなり素朴なものだった。聖域の囲いも小さくて数人の人が野良着姿だったような気がしたが、今回は神社の真中に大きな舞台をしつらえて、衣装も能衣装のように立派だった。四方から見物できたが、真正面はカメラを向けた人達に占領されて、全く動かない ので、携帯カメラもすべて脇からと後ろからのものしか撮れなかった。途中でお酒が振舞われた。昼間はお餅も振舞われたらしい。そういえば、舞台の人が担いでいた鍬を模したもは、大きなお餅に柄をつけたもの。あとで食べるにも食べごたえがあるだろう。携帯で撮った写真が何故かup 出来ないが、ににんの吟行ブログに写真がたくさん載るだろう。

文庫本になった

2008年2月7日 木曜日

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ペンクラブ編  『犬にどこまで日本語が理解できるか 』光文社刊   495円+税

以前、単行本だったエッセイ集「犬にどこまで日本語が理解できるか」 が文庫本になった。

・森 詠「いつかミントと話したい」
・三好京三「愛娘姫子」
・木下径子「わたしの用心棒様、チャウチャウ」
・山本鉱太郎「愛犬ポチとの別れ」
・佐野 洋「日本語どころか・・・」
・岩淵喜代子「あの日から」
・他21話。ペンクラブで選んだ犬にまつわる作品。

収録されたわたしの作品は15年近く前に書いたもので、もう忘れてしまうくらい昔の本である。活字になってからでも七年くらい経っているかもしれない。本来的には私は散文詩にちかいエッセイが身丈に合っている。近頃、こうしたエッセイを全く書いていないのは、身丈に合わない評論などを書き始めてしまったからである。
出来たら以前のエッセイ集「淡彩望」のような文章を書きたい。

榎本好宏著 『江戸期の俳人たち』 飯塚書店刊

2008年2月6日 水曜日

江戸の俳人というと、数日前に紹介した磯辺勝著『江戸俳画紀行(中公新書)』を思い出す。ことにーー松尾芭蕉の弟子は気の毒である。なかなかすっきりと独立した俳人としてみてもらえない。とかく芭蕉が半分、本人が半分といった存在として扱われるーーという件を思い出す。

今回の榎本好宏さんの『江戸期の俳人たち』には、蕉門とあわせて40人ほどの俳人が紹介されているが、やはり芭蕉の弟子達は芭蕉を語らないことには成立しない。この一書は、(俳句実作者の視点で、作家の人となり、作品の淵源をわかりやすく語りました。というキャッチコピーがあって、文章も「ですます」調の一書である。

一話、すなわち一人ごとに、疑問を投げてそれを解き明かす、というかたちが推理小説の技法のようで面白い。書き出しはやはり芭蕉である。その芭蕉の「文月や六日も常の夜には似ず」「荒海や佐渡によこたふ天河」の二句を紹介しながら、ーー長大な紀行文の中で越後だけがなぜ数行で片付けだれたのかーーという視点から語っている。

たとえば山口素堂の有名な「目には青葉山ほととぎす初鰹」の存在から、鰹談義にはいるのは榎本さんのお得意分野である。その鰹談義によて、この句が「かまくらにて」という前書についての謎が解かれるという具合である。

続 ににん句会

2008年2月5日 火曜日

 ににんの句会参加は購読者までを範囲としている。.購読者というのは、「ににん」の購読料を払っているひと、ということだから、結局は誰でもいいということなのである。
持句の五句は批評しあうので、お昼までかかるが、あとは席題を決めて、時間までに提出するだけなので、お互い無言の行となる。この緊張感は家では作れない。この緊張感のためにみんな寄り合うのだと言ってもいいくらいだ。持句での句会は「魚は氷に上りて神の一重瞼」に点数が入った。

 採った人もそうでない人も、気になっていたが、どうして選句したのかを聞かれたときに説明できないので外したとか、特選にしなかった、というような言葉もでた。そう、なんだかいい、というのは句会ではとりあえず外されることがある。

 席題は、二回をあわせると「髪・君・円・迷・形・山河・何もせず・柱・鬼・なかなか・立つ・ナイフ・一・集・絵・なかば・円」が出た。限られた時間で作るのだから、捨ててしまう句のほうが多い。20句提出ののちに、今回は以下の10句を雑記帳に記録した。

の昔より吹く涅槃西風
春来ると長くして唄ひけり
の昔のいろの麦を踏む
引鶴や野に何本も日の
立春の抱へてみたき日の
幻をにすれば白魚に
野火見えてバターナイフの曇りけり
日を一日なりに別れ霜
むらさきをめ咲くなりクロッカス
闘牛のなかばを空のなだれ込む

ににん句会

2008年2月4日 月曜日

今日は「ににん」の定例句会。10:30から持句五句で始まる。 そのあと席題10句を出して2時出句。その間に昼食も済ませてしまう。人によっては、待たないで朝も兼用のおにぎりを食べながら句会なんていう人もいる。今日は新人が二人参加。

持句がない。なんでも頭に浮んだことから始めて、昨夜から携帯に入れ続けたのが、以下の句。開いてみたらあんまりいいのはないかなー。この中から五句選んで出句するしかない。携帯に入れておくのは、句会に絶対忘れないからである。ときどき、句を忘れて行って、慌てる。さてどんな結果になるか。

春来ると円空仏のやうな顔

山焼きの火のなぞりゆく神の国

山肌の円か足裏をささえけり

魚は氷に上がりて神の一重瞼

ガラス戸に部屋の灯映る嫁が君

豆を撒くまでは暇さう鬼の面

伊勢海老の髭の先まで大切に

接岸の船の聳える春の風邪

闇硬く寝にゆく途中雪匂ふ

 

節分

2008年2月3日 日曜日

年賀状に立春を期に句集を出します、とご挨拶をしてしまったが未だ出来てこない。表紙のデザイナーさんが印刷所にクレームをつけたみたいだ。やり直しているので10日ほど遅れます、と出版社から連絡があった。でも、立春を明日に控えてみれば、やはり立春という弾んだ日に発送したかった。

年賀状でご挨拶してしまったので、もう「句集」を申し込んで下さった方もいるので、このごろは出来上がりを待っている気持ちになってきた。句集というのは印刷所に入れるまでは随分と悩むのである。選句していくと、消したい句ばかりになって、これでは句集に出来ないわ、と思うのである。

多分、自分から作ろうと思ったら何時まで経っても句集にはならないだろう。出版社さんのほうで急かれてやっと入稿したというのが実情である。ここまでしか出来ないと観念しての入稿である。しかし、手を離れてしまうと居直ってしまう。どうもがいてもそれしかないのだから、というような気分なのである。

第一句集「朝の椅子」は十年くらいの月日を重ねているが、第二句集「蛍袋に灯をともす」はそれ以上の年月を掛けていた。主宰が病気で句集を出すなどとは言い出せなかったからだ。第三句集「硝子の仲間」はそれからすれば随分短い年月である。三年半くらいの作品をまとめたものだが、なぜかあのときは句集を出そうという気力を湧いてきて、自ら出版社さんに依頼したのだ。今回も年月にすれば第三句集と同じくらいの短い年月の作品集である。

句集を何故作るかといえば、そこで自分をリセットしたいと思うからである。なぜか、リセットしないと今までの自分が脱皮できないような窮屈さを感じるときがある。それに句集は、年月が長いと内容の密度が濃くなるとも思えない。勢いのようなものが必要なのである。今日は雪で明けた。この冬最初で最後の雪である。  ににん 

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