春一番

今年の春一番の凄まじさは、まさに「春嵐」と呼ぶに相応しいものだった
土曜日の午後の突風の、その真っ只中にいた。間違いなく「春一番だ」と思いながら空を仰ぐと、凄まじい唸り声は天上の風神の居場所もわかるほどの荒れ様だった。空を映したカメラの映像にもそれが捉えられて、泰西絵画に描かれたような重々しい空模様になったのである。

それが翌日の日曜日も続いているというのも珍しいことだ。とにかく、春一番をしっかり認識する2日間だった。その2日目の24日は椎橋清翠さんのお通夜。お幾つぐらいだったのだろう。たぶん、85歳前後かもしれない。春一番と椎橋清翠さんとは毎年結びついてしまいそうである。

椎橋さんとのご縁は、俳句をはじめて数年目の曾我梅林の梅祭りの会場で、お声を掛けていただいたのがきっかけだった。それからまもなく、「山暦」を立ち上げた青柳さんについて鹿火屋を去ったので疎遠になっていた。鹿火屋を去るときのまわりで囁かれていたのは、「兄弟のような親しい間柄」ということだった。だから、当然「山暦」の担い手だった筈である。

ある年、俳人協会から奥多摩吟行案内を作るメンバーとしての依頼状がきた。原先生にお見せすると、椎橋君の字だとおっしゃった。何年も会わない仲間の、その文字が識別が出来ることにも驚いた記憶がある。その吟行案内の本を作り上げるまでの数年をご一緒させていただいた。

その後、またご縁が出来たのは「山暦」を辞めたというお便りを頂いたのがきっかけだった。もう80歳に近かったと思う。そんな年齢になって辞めるというのは、それなりの結社にたいする鬱屈があったようだ。なんとなく空虚な椎橋さんを察して句会を開いたのが、今もそのまま続いている。そのころ、もうご自分の寿命を感じていたのだろう。私に古い鹿火屋や石鼎句集、それに石鼎の短冊などを下さった。俳句は鹿火屋の抒情を継いだ作風でとても好きだった

集金や桜まつりの中を行く
秋の虹もつとも濃ゆきところ飛騨
陽を溜めて水鳥水に固定せり
口閉ぢて雨を見てゐる燕の子
鈴蘭の鈴振る風を友として
木ぶし咲くと見れば水音ゆたかなり
一枚の巌を火攻めの蔦紅葉
吊橋の底の底まで雪は降る

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