30日は正津勉さんの開いている「読書会」の日だった。
今回は内田百?の随筆から「琥珀」「遠洋漁業」「風の神」を取り上げた。改めて気がついたのだが、百軒の文章は、描写力ですすむ。
読み終えてなにか強烈なものを残すというのでもない。しかし、その映像の克明な残像が自分に沁み込んでいくのは、淡々と自分の体温の伝わるあたりの風景の描写にある。
正津さんが「俳文」という分野になるのではないかと言った。もともと、百軒とは俳号なのである。たしかに、一篇ずつの終結のなんともあっけないような、滑稽なような、物悲しさは俳味である。
この淡々と描写に終止しながら、真髄をつたえられる文章は、わたしの書きたい方向でもある。というより、そういう方向しか書けないというべきかもしれない。
この会を完結する役者が揃っていて、正津さんの話がひとしきりあると、その作品の背景やら時代やらの裏打ち的な資料をきちんと用意してきてくれる人がいる。医者であり、山の雑誌の編集者である。こんかいも、「遠洋漁業」冒頭にある「−−郡司大尉が講演にきたーー」という箇所の話題をいろいろな側面から調べてきていた。
最後に、今日のまとめをする人も、いつも同じ青年である。
なんだか、得体のしれない人達ばかりって、いう感じねー」
参加している人の感想を洩らすと、傍らの人がうんうんと頷きながらも、男性も「なんだか分からない女性陣と思っているかもしれないわね」と応えるのだった。
ほんとうに正津さんの周りには生活感の薄い若者が群がっている。もしかしたら、正津さんの周りにいると、生活感が消えてしまうのかもしれない。
ところで最後に傍らの人から大量の俳句作品を読んでくれませんか、と手渡された。
三ケ月で1000句作ろうと決めていているのだという。