2007年3月 のアーカイブ

寸感

2007年3月26日 月曜日

 「新日本文芸協会」という、新しい団体を発足させた方々に招かれた。基本は出版社の共同組合が母体のように認識した。そして「本を作って舞台に上がろう」というコンセプトを掲げているらしい、ということしか理解していない。

 三月十七日に芸術劇場で、その本を出版したひとたちが奨励されて自作を読んだり、紹介したりの一日があった。
 私が注目したのは、「ドイツ大好き」をテーマにしたエッセイ募集の企画である。この企画の良さは、単なるエッセイコンテストでは、身辺雑記に終わってしまって、あまりにも、作品のレベルが玉石混合になりすぎてしまう。もっと言えば、文芸性を問うこと以外に、目的はない。それなら、あえて、大きな舞台を用意する必要もないのである。
 掲げるテーマがあることで引き出される能力があり、テーマがあるから展開される世界があるものだ。そういう意味では、今回集まったエッセイは、レベルの高さだけではなく、話題性に富んでいた。

 もっとも感心したのはもう一つの企画「ツェッペリン伯号と霞ヶ浦の恒二少年」である。これは昭和四年に世界一周を成し遂げた巨大飛行船の話題である。そのツェッペリン伯号が唯一日本の茨城県の霞ヶ浦に舞い降りたときのことである。
 
 その本は、そのとき五歳でツェッペリン伯号の中を見せてもらった人が現存していたことがきっかけのようである。
 民間人で唯一中に入れて貰った少年は、その飛行船の食堂のラウンジを印象濃く覚えていた。そこで、ドイツ人の技師が写真を撮ってあげる、と言ったが写真などに慣れていない少年はラウンジの柱にしがみ付いて拒否した。話はそれだけでは終わらない。

 後日、と言っても六十年後にツェッペリン伯爵の孫が当時の乗組員とともに霞ヶ浦を訪れた。その孫であるイーサ婦人は「船で撮った幼稚園くらいの坊やの写ったものがあるが、誰だかわかりますかと訊ねた。
料亭の経営者になっていた恒二少年がそれは自分だと名乗ったところ、婦人は後で送ってあげましょうと言って帰国した。ところが二十年経ってもそのその写真はなぜか送られてこなかった。

 この物語を伝えなければ、と立ち上がったのが、菅原克行新日本文芸協会理事。この話を小学校に伝えて、飛行船の絵を描かせ、飛行船への思いを文章に綴らせた。発展はまだあった。
 その小学生の一人が「ドイツの大統領へ」と題して、まだ届かない恒二少年の写真を探してくれないかという手紙形式の作文を書いたのである。

 後日談であるが菅原さんは、小学生の書いた手紙をドイツ大統領におくったのである。
大統領代理から、探してみましょうという返事がきている。この企画は夢のある出色のものだ。めったにこんないい企画には出会わないだろう。

 新日本文芸協会・協同組合SN文芸協会がどのような成立の過程があったのは分からないが、とにかく初めはそんなに広げなくてもいい。なんだか爽やかなことをやっているな、と内外へ印象つけることが、今大切なのではないかと思うのである。

新宿を詠む

2007年3月20日 火曜日

文学の森「俳句界」の吟行企画に誘われて、新宿を詠むという企画、正確には「書を捨てて野に出よう」?というようなタイトルだったと思う。俳句界五月号に掲載される。十二時に新宿東口交番前、という指示がフアックスで届いていた。
それぞれ三人ずつということで、「ににん」は長嶺千晶・草深昌子・岩淵喜代子の女性軍。
そして「雲」は鳥居三朗・鴇田智哉・松本の各氏の男性軍。
それに俳句界の編集部が一人か二人出席するのかな、と思っていたらなんとぞろぞろと背の高い若者に囲まれた。数えたら女性一人を含む5人もはせ参じていた。
「ににん」のわたしたちが指示された吟行地は歌舞伎町。そして屈強?の男性軍団「雲」のお仲間は、上品に新宿御苑を歩くことになった。これも編集部の意図的な配慮なのだと思う。

わたしが吟行の信条にしているのは、平常心を自分の中に呼ぶことが最初である。
自分の重心と自分の平常心とが重なる意識を持つことは、一番自分らしい句の作れる状況になれるのだ。そして、畢竟作品は自分らしさが現れるときに、いちばん自分の気に入った作品になる。

新宿歌舞伎町は昼間は乾いた街であった。花園町に近いゴールデン街までいつの間にか足の伸ばしていたが、ここは歌舞伎町よりもっと乾いていた。間口の狭い店が、戸の閉まったままびっしりと、碁盤の目を成す町だった。夜ではとうてい歩けないが、誰も通らない真昼の路地は書割のようでもあった。春深し真昼はみんな裏通り
三月のなぜか人立つ歌舞伎町
ゆく春のふと新宿の曇り空
二時ごろ、「雲」の三人とも落ち合って、句会、かつ座談会形式で一日が終わった。贅沢なボディーガード付きの楽しい吟行体験だった。 

 

追いかけられて

2007年3月19日 月曜日

162
ルリも逃げかえるときは凄い。そのときだけは昔と変わらない敏捷さにもみえるのだった。
まるで、弾丸のように風呂場から部屋に、飛び込んできた。
「助けてー」
という感じにもみえた。
多分わが家はさいごの砦なのだ。
なんでまた、他所の猫も懲りもしないで追いかけてくるのだろうと思ったが、先回の猫とも違うのだ。
近くにあるものを手にしながら、構えてはみたものの、襲い掛かってきた猫は目の前を宙をとぶように横切るのを避けるのが精一杯だった。
その辺の窓を開けて、とにかくお帰り願うしかなかった。

「なーに、この間の猫の話を聞いていないのかかしらねー」と娘は言った。

「どれどれ、鬼の親子とやらを見てこよう、なんて言いながら、きたのかもね」
「それじゃー今頃、やっぱり鬼の親子がいたよ、なんて言っているわ」

鬼の親子

2007年3月18日 日曜日

161
「何で追いかけられてきたのよ」
とは言ってみても、ルリはもう自分の毛繕いに懸命になっていて、さっきの余韻すら感じていない。もしかしたら、近所の家で、今回の我が家のような光景が展開していたのだろうか。
その積年のうらみが今の反撃になっているなんてことだろうか。

「顔は老けないのふだが、歳はとっているのね」

そんなことを言ってみても、めげるのかどうか。

私たちが棒を持ったときからルリは「お願い、任せたわ」というふうだった。
当のルリよりも、私たちの方が興奮冷めやらぬまま、
「もしかしたら、仲間に言いふらしてくれるかもね」
「そうねあの家には鬼の親子が居るなんてね!」
そんなたわごとを言いながら、本当は、もっと手応えのある一撃くらいは与えたかった不満を紛らわした。

二度目の襲来

2007年3月17日 土曜日

160
ルリが血相あけて飛び込んできたのは一度ではすまなかった。
それも、前回と違う猫なのである。

動物は本能的に、その強弱が見極められてしまうということに確信が持てた。
これが人間なら、力だけでなく、智恵も武器になるのだが、動物は力だけで闘うのだ。

それにしても、なぜ強弱が分かっているのに、闘うのだろうか。虎が兎を追いかけてくるというのなら、理由がわかるが、ルリを追いかけてきた猫は何の目的があるのだろうか。

ルリが生意気に見えて懲らしめるためなのか。それとも、ルリが他所の縄張りに侵入して、追いかけられたのか。とにかく我が家としては、そうたびたび他所の猫が突入して来ては困ってしまう。
その日は、もう社会人になった娘も居たので、二人で懲らしめようと思い、手に手に棒を持って猫に向おうとした。

ところが、あちらの敏捷さは宙を飛んで、箪笥からピアノへ、ピアノから階段へ、顔を掠めて飛び交うので、危なくてうっかり近寄れない。
かろうじて逃げていく後背に棒があたったくらいのことしか出来なかった。
それでも、二人に攻撃されそうになたt記憶だけは持って帰ってくれたのではないかと思った。

年月を経て

2007年3月16日 金曜日

159
或る日ルリが血相変えて、家の中に飛び込んできた。
血相変えて、とは言ったが猫の表情など見えるわけではない。
しかし、いつもの風呂場から、物凄い勢いで飛び込んできたのである。
そのことだけでも、常にないことだったが、その後から、別の猫が追いかけてきたのには吃驚した。
十数年のあいだ、他所の猫が家に入り込んできたことなどなかったからだ。それどころか、家の周りの散歩も許さなかったはずなのである。

追いかけてきたのは親愛の表現ではない。明らかに、いじめである。
動物というのは、見合っただけでお互いの強さを感知することが出来るのかもしれない。
追いかけてきた猫がいままでの猫より特別強いというのでもないのだろう。なんと言ってもるりは、自分の何倍もある犬、しかも、人間が散歩させている犬にさえ向っていく怖いもの知らずだったのだから。

私の胸倉を掠めるかのように二匹の猫は部屋へ突進していった。
入ったかと思うと、逃げ回るルリを、追いかけるのだが、その勢いは目で追いかけられない。
箪笥の上に上がったかと思うと、反対の障子に体当たりをしていくという風で、自分の身を避けるのに必死になるしかなかた。
手近にあった雑誌を振り回して、やっと追い払ったときには、廊下に猫の毛が散乱して、箪笥の上の箱が床に散乱していた。

猫の容貌

2007年3月15日 木曜日

158

十数年経っても、ルリの容貌は変わらなかった。
しかし、昔は些細な事にも反応して敏捷に動き回り、走り回っていたが、このごろそれがない。

「ルリもじゃれなくなったわねー、歳を取ったのかしら」

ハタキをルリでルリの鼻先を撫でながら呟いた。

「キミだってじゃれなくなった」

なんと、思わぬところから、反応があった。つれ合いである。

ーームムムーー、という感じだった。

そんな言葉が帰ってくるなんで予想だにしなかった.。

とにもかくにも、一家で平等に歳を重ねていた。

パソコン

2007年3月11日 日曜日

157
「ににん」春号も初校まですませたデーターを印刷所に送ってほっとしたところ。
今では、パソコンは編集に欠かせない伴侶みたいなものになっている。もともと、少数のメンバーで雑誌を立ち上げたので、印刷費をなるべく安くするために、出来うることは全部やりこなしてきた。
そんな明け暮れの中で創刊から六年も経ってしまった。
今年は表紙の紙を光沢紙にして色をかけてもらうことにした。
もともと、創刊したときには光沢紙のカラー版があったのである。それにモノトーンの絵を印刷したものが、カーラーを使って出来上がる表紙より気に入っていた。
ところが、3年目くらいに、その光沢紙を製造していた会社がなくなってしまったのである。
光沢紙のカラー版を作っていたのが、日本にその一社しかなかったことも、初めて認識したのである。
仕方がないので、光沢のない色紙にいままでどおりに印刷していたが、なんとなくみすぼらしいので、今年思い切ってカラー印刷にしてもらうことにした。それだけで、パッリとしたようなきがした。
だからと言って、今年の表紙に満足しているのではない。
どうも、創刊のときの絵を超える満足感がないのである。
カラ紙にモノトーン印刷をするには、それなりの繊細な線描画でなければ、表紙の色と絵の色が一体にならないのである。
来年は、カラー光沢紙にモノトーン印刷、という初期の表紙を再現することにした。
表紙は好きな色にしてもらえるので、絵は同じでも雰囲気が変えられる。
若山君の創刊のときの絵を参考にして、皆さん絵を描いてもらえないだろうか。

「ににん」26号へ転載しました

2007年3月9日 金曜日

〜〜〜〜〜 ホームページ投句鑑賞より(洋より)〜〜〜〜〜
空中で羽蟻が翅を伸ばしをり      石田義風
★空中で羽蟻が羽を伸ばしていたからと言って、なんの不思議もない。だが作者はそのごく当りまえの風景、それも、蝶や燕や鷺とは比べ物にならない微小な羽蟻の翅に焦点をあてている。その小さな蟻が小さな羽根を伸ばしているのを、感じ入っているのである。命のありようをしみじみ愛しみたいようなひと時が、ふいに襲うことがあるものだ。(喜代子)
花やつで西洋菓子屋は入院す     三千夫
★花やつでとは、大きな手を連想させる花である。然れば、この西洋菓子屋こそ先般来より世間を騒がせている老舗「不二家」のことか。入院中とはよく言ったものだ。 「山崎パン」と言う、大きな医者の手によって、手術がなされ退院の目処がついたようで、製造が再開されるようである。「入院す」がお見事で、時事俳句の面目躍然たり。(竹野子)
洋一字賀状一杯書きにけり      acacia
★紋切型の挨拶文を受けるより、こんな年賀状を頂いたらいっぺんに新年が洋々たる思いに満たされるであろう。「一字」かつ「一杯」は、「最小」かつ「最大」の寿ぎである。小さな穴から大きなものを覗く世界、ここに俳人の心意気がしのばれて感激の賀状である。(昌子)
どれどれと洋間に作る置炬燵      祥子
★課題の文字を用いるために無理が多い中で掲句は不自然さを感じさせなかった。正月に子供連れの客が重なった折などに、見かける光景ではなかろうか。忘れられそうな季語が生かされて光っている。(恵子)
煤払読まぬ洋書は捨つべきか     祥子
★いつの間にか溜まってしまう本の山。埃の原因ともなります。それでも単なる書類と違って、何となく簡単に捨てられないのは、そこに自分のインテリジェンスの蓄積を覚えるからでしょう。洋書となればなおさらのこと。古本屋にリサイクルもおすすめですが、交通費を使ったらわりがあいません。今年の煤払まで、ハムレットのように考えて、答えを出してみては。(千晶)

ににん26号への掲載句

2007年3月9日 金曜日

十二月八日太平洋の安らけし            遊泉
コンビニの洋食並ぶクリスマス           智弘
りんごの木植ゑて洋々たる老後            たんぽぽ
牡蠣燻す太平洋をぎゅっと詰め                  shin
家々に洋室和室餅飾る               祥子
花びらを浮かべて何処へ太平洋         半右衛門
花やつで西洋菓子屋は入院す          三千夫
海鼠食み太平洋の果て偲ぶ           acacia
外洋に視線龍馬の懐手              ヒデ
巻き爪を切る大伯母の洋間かな         石井薔子
極月や父のにほひの洋箪笥            坂石佳音
枯葉踏み洋画女優のごと歩む           戯れ子
狐火の迷うべからず太平洋            半右衛門
港燈も巡洋艦の灯も寒し               たかはし水生
黒鍵の響く洋楽返り花                雨宮ちとせ
骨壷の茫洋白き冬の夜                   潅木
雑煮椀おんな四代洋々と                 祥子
山眠る宿に古りたる洋間かな               森岡忠志
散骨の太平洋に初日かな             智弘
手際よく洋間ベランダ豆を撒く              町田十文字
十二月八日太平洋燃ゆ                 森岡忠志
春潮に洋酒瓶より白き船                 祥子
茫洋とゐて憚らず昼炬燵                 石田義風
初春や太平洋から霧笛あり              たか雪
初富士の根は大洋に迎えられ            恵
鋤焼きに洋服掛けの見当たらず          ハジメ
樟脳の香り冷たき洋箪笥                半右衛門
西洋銀座を三万人の余寒かな           秦
銭湯の太平洋に柚子浮かぶ            半右衛門
草紅葉試飲洋酒が舌を這う              智弘
太平洋見下ろす宿の根深汁             半右衛門
大漁旗父太平洋に戦敗れ              高楊枝
大空を洋凧和凧はぐれ雲               はる
大洋へ東国原知事櫓を漕ぐ             高楊枝
第九聴き和洋折衷障子張る            十文字
長靴と太平洋と春を待つ                曇遊
滴るを食む洋なしの柔き肉              桂凛火
冬茜無人の洋館明るうす                   銀の星
冬晴や巡洋艦に指鉄砲                   siba
冬帽子洋酒の並ぶ地下酒場             こうだなを
東洋の大遺跡背に大噴水               海苔子
読初の東洋人が犯人で                猫じゃらし
日脚のぶ洋間に誰もいなくなり              半右衛門
煤払読まぬ洋書は捨つべきか             祥子
肌脱の洋行帰りの荷風かな                祥子
風花や音軽やかに洋鋏                たんぽぽ
母の自慢祖母の洋装煤払ひ               高楊枝
明け暗れの洋に一点冬灯               西方来人
綿虫や外洋からの殉教者                 ミサゴン
綿蟲の内緒話に茫洋と                   半右衛門
洋もくのマドロスパイプ浜の春               町 田十文字
洋一字賀状一杯書きにけり                acacia
洋花の長たらしき名風光る                 たんぽぽ
洋菓子のペコちゃん好きよ春を待つ           曇遊
洋菓子も和菓子も好きで炬燵番              祥子
洋館が夢二の詩に光る春                 曇 遊
洋館に嫁いできたる嫁が君                ハジメ
洋館に憧れし頃根深汁                   たんぽぽ
洋弓を手に取り持つや枇杷の花           愚蛙
洋行と言いし昔のつばくらめ                三千夫
洋傘を蝙蝠という冬時雨                  半右衛門
洋室の窓をよるべに冬薔薇                 横浜風
洋燈のぼんやりともる雪の街                    たかはし水生
洋々と伴侶見せ来る寒雀                  愚蛙
洋梨のワイン煮好み白寿なる           石井薔子
洋梨は母のかたちぞ日向ぼこ           mako
凩や洋酒の瓶の転がりぬ                  海音
茫洋と息子の佇てり毛皮着て               戯れ子
ダンデイーは洋行仕込み生身魂         岩田勇
海猫渡る遠洋漁業鮪船               曇遊
極月の内田洋行本社ビル                乱土悲龍
どれどれと洋間に作る置炬燵           祥子

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