2008年9月 のアーカイブ

句集 4冊

2008年9月28日 日曜日

森敏子著『薔薇枕』  ふらんす堂   (2008年8月刊)

  落椿水に筋つけ流れてけり
  繭の中うすもも色の骨一つ
  花冷えや見えざる人を見てをりし
  仇討ちに出掛けてゆきし菊人形

見えざるものをみようしている特別な感覚の持ち主のようだ。

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 山田真砂年著 句集『海鞘食打て』角川書店 9月刊

   木犀に気づくは老いに気づくごと

この作品に会って、こうした年齢に到っておいでになるのかとも思ったが、

   都心には大き穴あり蚊食鳥
   雁落ちて風のくぼみの湖国かな

等など、大きな景をさりげなく切り取る力量も感じた。

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 安藤恭子著(1959年生) 句集『朝餐』ふらんす堂 2008年9月刊

   雛の箱空になりしは重ねられ
   春空をまはり落つるは何の種
   濡れてゐる方が葉表柏餅
   菖蒲守われのうしろを歩みくる
   
俳味、というか俳句を心得た作家。

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 井上弘美著 『汀』角川書店 2008年9月刊ふらんす堂

   母の死のととにつてゆく夜の雪
   沼の日にゆきわたりけり夏の蝶
   山々の帰つてゆける遠蛙

もうすでに定評のある作家。大成してゆく俳人の生活背景も具間みられる句集である。第一句集は事故にあわれた母を詠んでいるが、今秋はその母のなくなるときを諦念をもちながら詠んでいる。それが一句目に現れている。

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 川島 葵 著『草に花』  2008年9月刊 ふらんす堂

   凩や子供が子供呼び集め
   はるばると犬戻り来る牛膝
   下萌えを子のさびしがるところまで

このところ、駆け込み乗車のように9月刊の著書が送られてくる。この作者も新人賞対象の句集。
   
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『俳句界』10月号

2008年9月26日 金曜日

haikukai.jpg

文学の森『俳句界』10月号、「現代俳界のねじれ現象を突く」が今回の大特集である。どういうわけか、こういう話題のときに私と筑紫磐井さんは呼ばれやすいみたい。以前、角川『俳句』で も似たような話題の鼎談があった。やっはり筑紫磐井さんと私だった。

今回は多彩な顔ぶれで、栗原真知子(ホトトギス)・坂口昌弘(短詩系評論家)・澤好摩(円錐代表)・谷雄介(thc代表)・筑紫磐井(豈代表)・星野高士(玉藻)という面々。予想したとおりの雄弁な人達。あっけにとられているうちに時間が過ぎた。これだけ用意すれば面白い話も出るだろうという目算だったかどうか。

結社の問題は難しい。一口に言って「結社とは何?」というところから始まらなければならない。それほど現在の結社のレベルには格差がある。格差があるわりには、その頂点に立っている主宰たちが一線に並んで俳句の世界は構成されている。定年から俳句をはじめて結社を継いだところもある。

    甚平や一誌もたねば仰がれず  草間時彦

ペーソスを持って共感度を呼んだ句であるが、現在もこんな現象が無縁ではない。この座談会の中では、そういう現象の中で、誰が 個人の才能を見つけ出すか、という話題だ出たとおもう。これは俳句の総合誌が見つけるしかないだろう。勿論そのために、50句応募やら評論募集があるわけだ。

しかし、それだけでは才能を見つけるということにならない。以前、河出書房新社刊『二十世紀名句手帖』八巻が刊行されたことがある。齋藤慎爾氏が実際に結社誌を一冊ずつ繰りながら探したというものだったが、それを信用する。というのは、雑詠欄の知人の作品がいくつも収録されていたからである。

その知人は、句集を作りたい意向を私に幾度も洩らしていた。しかし、作りたいと申し出るほど主宰と距離が近くないという。私なども、その人が句集を出したら良い句集になるのに、と楽しみにしているのだが。こうした人を主宰と繋げてくれるのは、かなり発言力を持つ出版社の編集者しかいないだろう。

営業ではなく、真に俳句の目利きが総合誌に一人づつくらいは必要である。

ペーパーレス

2008年9月24日 水曜日

週刊俳句haiku weekly というブログが立ち上がったのは、今年の初めくらいだったろうか。月日がどんどん過ぎてゆくので、つい昨日のようなことが、随分以前のことになってしまうことが多い。

今回 ー俳句空間ー豈weekly というブログが立ち上がった。と言ってももう六週間くらい前のようだ。表示されているとおり筑紫磐井さん中心の「豈」のネット版というべきもの。これがぼんやりしているものには、混乱するほど、見た目が似ている。案の定、同じサーバーのブログのようで、しかも形式もしっかり参考させて貰っていると明言している。

気がついたのが今日なので、全部に目を通してはいられない。そう言うほど長大な文章量なのである。書き手が、筑紫磐井、高山れおな、富田拓也、などの各氏なら当然なのだろう。内容については次回にするが、この週刊ペースで書いていったらたちまち一冊の評論集が出来上がりそうである。

松岡正剛の千夜千冊を思い出す現象であるから、すでにもうペーパーレスの時代は動き始めていたということだ。しかし、松岡正剛の「千夜千冊」はすでに活字化されている。最終的には、紙に印刷されるわけであるから、そのさわりを披露しているということであろうか。どちらにしても、読む楽しみが増えたことになる。

「ににん」の場合は、雑誌に盛り込めない部分、例えば受贈図書の紹介、他誌での紹介やら鑑賞されたものの転載などをこのブログでカバーしているのが現状である。しかし、ネットを見ることが広がっているようで、紹介した著書のご本人がお礼を言ってくることが多い。やはり、インターネットは無視できない時代が来たということだろう。

記念号と句集

2008年9月22日 月曜日

『狩』30周年記念号と狩の歩み30年

わたしが俳句をはじめたのと、『狩』の出発は前後しているような気がする。鷹羽主宰は、当時総合誌『俳句とエッセイ』の俳句の選者でもあった。 私の初学は、『鹿火屋』とその総合誌の鷹羽選に投句することが出発だった。その後『狩』も暫く購読をしたこともあったが、川崎展宏指導の『貂』に誘われたので、そこで遍歴は終ってしまった。

そういう意味では、参加はしなかったが、ほかの雑誌よりも色濃く印象に留めているのが『狩』である。 鷹羽主宰が記念号の編集後記に ーー 仕事の気転換として編集を楽しみながらやってきたーーという一言が書き込まれている。そう、編集という仕事は好きでなければ続かない。 

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『響焔』 50周年記念号     主宰・山崎聡 

昭和33年に和知喜八氏により創刊して、現在の主宰は2代目。当時から編集長をしていた山崎氏が継いだようである。現在の主宰山崎氏は、この六月には句集「荒星」を上梓。以前にも句集は紹介したと思うが、なかなかいい句集だった。

      子が眠り町じゅうねむりももさくら  聡      

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山崎ひさを著  『龍土町』 

昭和2年生まれ。 岸風三楼門
現在「青山」主宰  俳人協会名誉会員。国際俳句協会常務理事。
句集『歳華』『日吉台』『神南』『百人町』ほか     

  公園となりし母校や夏木立
  今も耳に消燈ラッパ蚊喰鳥
  鼻緒少しゆるめてやりぬ七五三
  水替へて金魚の赤さ新たにす
  秋霖や濡れて石炭色の街
  ルパシカの男と遭ひぬ霧の町

山崎ひさをさんとは俳人協会でよくお目にかかったが、それ以前も海外の旅でご一緒したので、先輩俳人の中でもことに親しみを感じる方である。「ににん」にもよくお目を通していて下さって、31号の龍土町に到ったときには、「龍土町」に長い事住んでいたことがあるので、そのうちお茶でもしながら・・」というオハガキも頂いていた。

まだ、その龍土町のお話を聞いていないうちに、句集が送られてきた。「今も耳に消燈ラッパ蚊喰鳥」は、龍土町に戦前あった第一連隊のあったところのようだ。

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道祖神

2008年9月21日 日曜日

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夕べは夫が夜中に掃除機を使っていた。「今頃ー」 とは思ったが、掃除機の担当は随分前から夫の領分なので、成り行きに任せておいた。居間に行ってみるとクーラーが作動していて、ガラス戸がしっかり閉められていた。どうも、蚊のような小さな虫が無数に忍び込んできたようだ。

粘質性のローラーに一面についている虫は、見たことはないが浮塵子の類かもしれない。そういえば、台風一過の昨日は一日サウナのような蒸し暑い日だった。こんなときは、いろいろな虫が発生するんだろう。今朝もまだ、その余波か、湿っぽい一日になりそうだ。郵便を投函するつもりで出かけると、いつもの十字路の道祖神にまだ花が萎れないでいた。

この地に引っ越してきてから40年近くなる。そのときからこの道祖神は立っていた。当時の道祖神は十字路へ向いていた。普通はどこでもそうだろう。十字路に背中を向けた地蔵や庚申塚などみたことはない。

しかし、写真の道祖神は十字路へ背を向けているのだ。いつからこうなったのか気がつかなかった。たぶん、後ろのブロック塀が作られてからなのだと思う。地形の都合で、そうしないと塀と三角の端っこが道祖神を道路から見えにくくしてしまうのだ.

数日前から、その道祖神に誰が供えたのか、お花を添えられていた。くぼみが雨水を溜めているので、花は今日も枯れてはいなかった。虎の尾の花に似ているが正確には判らない。水を吸って花先が立ち上がっていたときは、道祖神の何本もの手とも調和していた。

溜まっているいるを覗くと、小さな虫が無数に浮いていた。やはりこれは浮塵子ということにしておこう。

    象潟は浮塵子退治の煙かな    岸本尚毅

ぶろぐ「水無瀬に行こう」から

2008年9月18日 木曜日

以下のブログでふらんす堂の「岩淵喜代子集」を丁寧に読んで下さって、10日間ほどを費やして、鑑賞してくださった方がいた。それが嬉しいことに、角川の鑑賞「女性俳句の世界」を読んで面白かったので、句集を買ったという。感謝。

「水無瀬にいこう」から**そもそも、この句集を買ったのは『女性俳句の世界』6巻で岩淵作品にひかれたからでした。ほんとに良い入門書で助かります。全6巻推薦図書に入れてしまおう。今回はふらんす堂の『岩淵喜代子句集』を読みました。肩に力の入らないとても素敵な句がたくさんありました。もう好きな句がたくさんあります。

びっくり

2008年9月18日 木曜日

夕べ、「ご利用有難うございました」、という過去形のメールを開けてみて吃驚した。
ホームページ利用が出来なくなっているのである。「何で、何で」と慌ててみたが、こうしたIT関連の管理というのは、すべてがこのパソコンを通じてのやりとりで、電話などで手っ取り早く聞きたくても、聞けない仕組みなのだ。なにしろ、忘れていたパスワードやドグイン名から調べなければならない。

こんなときの頼りは「ににん」の木佐梨乃しかいない。実家に帰っていた梨乃さんも、家に戻ってきて助けて貰って、やっとサーバーに繋いだ。厄介な手続きを経て相手への苦情を、ーー何もいきなり止めることはないじゃあないかーーと、怒鳴(つもり)ってみた。メールは受け付けないくせに、向うの返事はメールでくるのだ。

そうして、この返事を開いてみると、調べてみるので少々お待ちくださいというものだが、そのあとに続く文字が、五日以上返事が来なかったら、もう一度問い合わせをしてみてくれという悠長なもの。そうして判ったのは、サーバーへの支払い期限が過ぎているということだった。

ドメイン取得代は10年分払ったつもりがあるのだが、それにもう一つサーバーへの支払いが一年しか支払っていなかったのだ。請求が行っているのだが、読まないで削除していたのでは、というのが向うの言い分。それは思い当たることもある。

今朝は朝一番に郵便局へ電子振込みで払い込んだ。「何時相手に届くの」と聞いたら、「もう届いていますよ」と言った。帰ってきてまもなく、あっちっこっちから、HPが開けられないというご注意を受けた。一両日には開通します、と言っておいたが、なんとそれから数分もしないうちに、開通していた。現金なものである。やれやれ

句集評他

2008年9月13日 土曜日

『山暦』 九月号  「各誌俳句鑑賞」  古堀 豊

  小満の山に向かへば山の声   岩淵喜代子    「ににん」夏号

「ににん」夏号。本号では「物語を詠む」を特集。「物を書くことのできる俳人を目指そう」ということで文章に力を入れている。「ににん」集は「満」の字が全句。「小満」は二十四節気の一つで夏の二番目。陽気が盛んで万物が次第に長じて満つるという意味だという。この季語は歳時記に例句は少ない。陽気盛んで山野は生き生きと輝いている季節。新緑の山々は筍が生え、果実も育っている。小満は一日であるが、その山に向かえば山の声が聞えてくるというのだ。山の動物や植物など生きているものの命の賛歌が聞えてくるという。「小満」五句と山の声に納得した。 

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「嘘のやう影のやう」句集評       須藤昌義 (海原9月号)

   嘘のやう影のやうなる黒揚羽
   眠れねば椿のやうな闇があり
   雫する水着絞れば小鳥ほど
   雑炊を荒野のごとく眺めけり

第一句目は句集名となった句である。「影のやう」は誰でも言えるが、「嘘のやう」とは言えない。二句目の「椿のやうな闇」三句目の「小鳥ほど」四句目の「荒野のごとく」いずれも卓越した比喩である。

  陽炎や僧衣を着れば僧になり
  その中の僧がいちばん涼しげに
  雁來月風の気配の僧進む
  どの句も僧のありようが際だつ
  校庭の真中空けて運動会
  古書店の中へ枯野のつづくなり
  冬霧の真中に霧の太柱

いずれも独特の感性による把握で読者を納得させる。わが道を行く作者の並々ならぬ感性と、思い切った表現も楽しめる句集である。

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 「嘘のやう影のやう」句集評   中丸まちえ  (山暦八月号)

  草餅をたべるひそけさ生まれけり
  海原を日差しの濁す絵踏みかな
  暗がりは十二単のむらさきか
  海風やエリカの花の黒眼がち
  それぞれの誤差が瓢の形なす
  雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる
  白鳥に鋼の水の流れをり
  大岩へ影置きに行く冬の犀
  泣くことも優性遺伝石蕗の花
  山茶花に語らせてゐる日差しかな
  老いて今冬青空の真下なり

俳句は寄り道ばかりしてきたと著者。独特の感覚に魅了されるものがある。

石鼎評伝

2008年9月12日 金曜日

この夏は、「石鼎評伝」に掛りっきりになってしまった。もう、そろそろけりをつけておかないと中途半端で終ってしまうかもしれない懸念が出たからである。健康にも自信がなかったし・・・。

石鼎を書き始めたのは、六・七年前だった。どうするともなく書き始めたので方向が定まらなかったが、途中でいろいろな情報が得られて、以前の文章は随分書き直した。評伝の構成もしなおしたので、最初から読んで下さっている方は、ちょっと違う、と思われるかもしれない。

出版社のオファーもあったのだが、私はなんと云ってもはじめての長い文章で全く自信が無かったので、編集者が必要だった。「うちにも居ますよ」と言ってくださった出版社もあったが、その後何にも言ってこなかったので、S社に決めてしまった。明日手渡すことになった。

と云っても、それをもう一度書き直す覚悟で見てもらうことにしている。評伝を書く前は、全く石鼎が摑めていなかったが、このごろようやく全様が把握できたような気がする。把握してみると、石鼎がいかに純粋だったかがわかる。世情の一切を妻コウ子にまかせ、理想だけで生きた人物である。

前田普羅がそれをとても羨ましいと呟いている。「石鼎が病気でなかったら」と云ったのは水原秋桜子である。ほとんど忘れられかけながら、65歳まで生きたのは奇跡とも言える。昨日は石鼎のお墓参りに二宮まで行ってきた。

隣に原裕先生のお墓もできたので、崖のお墓が狭くなった。その墓地から昔は海が見えたのではないだろうか。

ににんの仲間の句集

2008年9月9日 火曜日

udasousi.jpg      宇陀草子 『吉野口』  文学の森刊

「ににん」32号は現在印刷所 に入っている。この号では、宇陀草子氏の『吉野口』特集がある。彼は昭和35年に「南風」の山口草堂が最初の師であるから、かなりな句歴である。そのあと「秋」の石原八束・「鹿火屋」の原裕には亡くなるまで師事していた。吉野に在住の作家である。

   小走りに人ゆくおぼろ宇陀郡
   稲架解いて亀石に日の当りけり
   猪撃ちの腰にはねたる守り札

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tumeta.jpg      長嶺千晶 『つめた貝』  ふらんす堂刊

もう来年の話題をするのは笑われそうであるが、次の「ににん」33号は長嶺千晶さんの第三句集『つめた貝』の特集になる。しなやかな、さわやかな作品が並ぶ。1959年生まれ。

    日向ぼこして遠き日の吾に逢ふ
       浮び合ふことの楽しき冷し瓜
    チェーホフの享年を生き冬木の芽

   

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