つまみたる夏蝶トランプの厚さ
帯に抽出されている十句の中でもこの蝶の句は突出した完成度に思える。蝶を手にするときには蝶の羽をつまむ以外に触れる方法はないのである。実体からの蝶の感覚。
ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり
皮膚感覚で捉えた蝶でも、この蝶には、存在のあやうさが現れている。気がついたら句集には、「蝶」を詠んだ句が多い。そうして蝶の句はどれもいい。無意識のうちにも、何かの拘りを蝶に託しているようだ。それは不思議な存在としての蝶、残像の映像としての蝶・・・。捉え方は多彩だが、あやふさの象徴として、目の前に蝶を引寄せている。
蝶々とあそぶ只中蝶生る
蝶ふれしところよりわれくづるるか
蝶の昼読み了へし本死にゐたり
路標なき林中蝶の生まれけり
わがつけし欅の傷や蝶生る
蟻運ぶ蝶の模様のかけらかな
てふてふや沼の深さのはかれざる
くろあげは時計は時の意のままに
秋蝶やアリスはふつとゐなくなり
ランボオの肋あらはや蝶生る
キッチンにもんしろてふが落ちてゐる
只の石からすあげはが荘厳す
同じ時期に髙柳氏の編集長を務めている「鷹」45周年記念号には、
夏蝶やたちまち荒るる日の中庭(パティオ)
が主宰選に入っていた。