‘千一夜猫物語’ カテゴリーのアーカイブ

八重桜

2007年5月17日 木曜日

172

ルリが死んだころ、まだ八重桜が咲いていたのだ。

それは荼毘にするために、かかりつけの医者に連れていったときに、柩の中に八重桜を入れてくれたからである。その経緯は、季節のエッセイ八重桜と光文社刊「わたし猫語がわかるのよ」に書いたので省こう。

荼毘に付したルリの骨は、マグカップくらいの小さな陶器の骨壷になって戻ってきた。
埋葬の場所もすぐ見つかった。越生である。一年間はそのまま、祀ってくれて、そのあと共同墓地に収めてくれるのである。

お骨を預けた年の秋に、家族で骨壷のなかに納まってしまったルリをお参りした。梅の里にも近い畑の中に、その霊園はあった。

新築しなければルリはまだ長生きしていたかもしれない。
ルリの匂いのついていない新しい家が、かえってルリの辛い想い出になってしまった。

だが我が家の三人は、内田百?のように「ルリやルリや」泣き喚くこともなく、狂うこともなく、日を過ごした。そして、猫も犬も飼うこともないまま、もう十数年が流れていた。

千一夜猫物語 完



追いかけられて

2007年3月19日 月曜日

162
ルリも逃げかえるときは凄い。そのときだけは昔と変わらない敏捷さにもみえるのだった。
まるで、弾丸のように風呂場から部屋に、飛び込んできた。
「助けてー」
という感じにもみえた。
多分わが家はさいごの砦なのだ。
なんでまた、他所の猫も懲りもしないで追いかけてくるのだろうと思ったが、先回の猫とも違うのだ。
近くにあるものを手にしながら、構えてはみたものの、襲い掛かってきた猫は目の前を宙をとぶように横切るのを避けるのが精一杯だった。
その辺の窓を開けて、とにかくお帰り願うしかなかった。

「なーに、この間の猫の話を聞いていないのかかしらねー」と娘は言った。

「どれどれ、鬼の親子とやらを見てこよう、なんて言いながら、きたのかもね」
「それじゃー今頃、やっぱり鬼の親子がいたよ、なんて言っているわ」

鬼の親子

2007年3月18日 日曜日

161
「何で追いかけられてきたのよ」
とは言ってみても、ルリはもう自分の毛繕いに懸命になっていて、さっきの余韻すら感じていない。もしかしたら、近所の家で、今回の我が家のような光景が展開していたのだろうか。
その積年のうらみが今の反撃になっているなんてことだろうか。

「顔は老けないのふだが、歳はとっているのね」

そんなことを言ってみても、めげるのかどうか。

私たちが棒を持ったときからルリは「お願い、任せたわ」というふうだった。
当のルリよりも、私たちの方が興奮冷めやらぬまま、
「もしかしたら、仲間に言いふらしてくれるかもね」
「そうねあの家には鬼の親子が居るなんてね!」
そんなたわごとを言いながら、本当は、もっと手応えのある一撃くらいは与えたかった不満を紛らわした。

二度目の襲来

2007年3月17日 土曜日

160
ルリが血相あけて飛び込んできたのは一度ではすまなかった。
それも、前回と違う猫なのである。

動物は本能的に、その強弱が見極められてしまうということに確信が持てた。
これが人間なら、力だけでなく、智恵も武器になるのだが、動物は力だけで闘うのだ。

それにしても、なぜ強弱が分かっているのに、闘うのだろうか。虎が兎を追いかけてくるというのなら、理由がわかるが、ルリを追いかけてきた猫は何の目的があるのだろうか。

ルリが生意気に見えて懲らしめるためなのか。それとも、ルリが他所の縄張りに侵入して、追いかけられたのか。とにかく我が家としては、そうたびたび他所の猫が突入して来ては困ってしまう。
その日は、もう社会人になった娘も居たので、二人で懲らしめようと思い、手に手に棒を持って猫に向おうとした。

ところが、あちらの敏捷さは宙を飛んで、箪笥からピアノへ、ピアノから階段へ、顔を掠めて飛び交うので、危なくてうっかり近寄れない。
かろうじて逃げていく後背に棒があたったくらいのことしか出来なかった。
それでも、二人に攻撃されそうになたt記憶だけは持って帰ってくれたのではないかと思った。

年月を経て

2007年3月16日 金曜日

159
或る日ルリが血相変えて、家の中に飛び込んできた。
血相変えて、とは言ったが猫の表情など見えるわけではない。
しかし、いつもの風呂場から、物凄い勢いで飛び込んできたのである。
そのことだけでも、常にないことだったが、その後から、別の猫が追いかけてきたのには吃驚した。
十数年のあいだ、他所の猫が家に入り込んできたことなどなかったからだ。それどころか、家の周りの散歩も許さなかったはずなのである。

追いかけてきたのは親愛の表現ではない。明らかに、いじめである。
動物というのは、見合っただけでお互いの強さを感知することが出来るのかもしれない。
追いかけてきた猫がいままでの猫より特別強いというのでもないのだろう。なんと言ってもるりは、自分の何倍もある犬、しかも、人間が散歩させている犬にさえ向っていく怖いもの知らずだったのだから。

私の胸倉を掠めるかのように二匹の猫は部屋へ突進していった。
入ったかと思うと、逃げ回るルリを、追いかけるのだが、その勢いは目で追いかけられない。
箪笥の上に上がったかと思うと、反対の障子に体当たりをしていくという風で、自分の身を避けるのに必死になるしかなかた。
手近にあった雑誌を振り回して、やっと追い払ったときには、廊下に猫の毛が散乱して、箪笥の上の箱が床に散乱していた。

猫の容貌

2007年3月15日 木曜日

158

十数年経っても、ルリの容貌は変わらなかった。
しかし、昔は些細な事にも反応して敏捷に動き回り、走り回っていたが、このごろそれがない。

「ルリもじゃれなくなったわねー、歳を取ったのかしら」

ハタキをルリでルリの鼻先を撫でながら呟いた。

「キミだってじゃれなくなった」

なんと、思わぬところから、反応があった。つれ合いである。

ーームムムーー、という感じだった。

そんな言葉が帰ってくるなんで予想だにしなかった.。

とにもかくにも、一家で平等に歳を重ねていた。

十七号線

2006年12月1日 金曜日

118・・雪国・・
五日に帰るつもりでいたが、四日に変更した。
 「近所に迷惑をかけられないよ」
という連れ合いのことばに、この場合は従うしかない。
 帰省ラッシュの最中であるが、余り早立ちは出来ない。三国山脈の山道は朝は凍っているからだ。どうかすると、日陰の道は、真昼になっても凍っている。道の溶け出した昼頃出発して、山を越えてしまうまでは、用心が必要だ。
 「昔は歩いて越えたんだね」
と娘は言う。
「そうよ、車なんてなかったんだから」
「野麦峠って何処にあるの」
「なんで」
「だって、昔は野麦峠を越えて、ハタオリに行ったんでしょう」
娘は、最近「ああ 野麦峠」を読んだばかり。物語の中の女工が自分と同じくらいの年齢であることに、女工哀史の実感を深めているようだ。
昔の人は、本当に我慢強い。
今、同じことはできないな、とふと思った。
野麦峠ならぬ、三国峠では、あちらこちらで、スキー場が見えて、スキーヤーが斜面を流れるように動いているのが見えた。雪景色の中だから、色とりどりのスキーウエアーがことによく見えるのだった。

119・・雪国・・    
『お父さん、野麦峠も通りたいな」
突然娘はとんでもないことを言い出した。
方向音痴の私はときどき全く正反対の場所に「ついでに寄って行って」などと言う。
本当に地理が頭に入っていないのだ。大体日が昇るから東、そして、夕日が落ちていくから西の空なのだろう、と判断するだけで、東西南北などつかめない。
娘もまた、野麦峠が、どこか寄り道すれば行けるのかかと思っているのである。さすが、わが娘である。
「何言ってるんだ。野麦峠なんて一山も二山も越えなくてはいけないんだ。それより、冬なんてきっと通行止めになっているよ」
真冬はたしかに、交通止めになっている道は多い。
その上、当時はナビゲーターを使っている人もいなかった。

120・・雪国・・
十七号線が貫いている三国峠は、山肌をぐるぐる回りながら県境を越える。日面の道は乾いてたが、日陰の道は、凍っているところもあった。
そんな道でも、平地並の速度で追い越していく車がある。カーブばかりの道だから、追い越していった車は直ぐに見えなくなった。
「アブナイナー、そんなに忙なくったっていいのになー」
と呟いているうちに、なんと今追い越したはずの車が眼の前に真正面から現れた。いったいどうなっているのか。
よほどの技術がなければ、この山道で向きを変えるのは難しい。第一、向きを変える時間などないような、とっさの出来事だった。
山肌の道はカーブの連続だから、対向車は突然姿をあらわす。対向車とはあやうく正面衝突しそうになっていた。
車は、辛うじて我が家の車を避けて谷側のフエンスにぶつかって止まった。フエンスの外側は千尋の谷底。
スピードを出しすぎて、制御できないまま、向きが変わったようである。
わたしたち一家は何事もなかったかのように家路を辿った。
衝突しそうになった車にしても、やはり何ごともなかったように目的地に向ったことだろう。
凄い惨事になったかもしれない現象であったが、時間にすれな30秒ほどの出来事だった。

雪国から

2006年12月1日 金曜日

116・・雪国・・
留守番をしているルリの餌係りを頼んでおいた家から電話があった。
ルリが餌を食べないと言うのであった。
「上げた餌が全く減ってないのよー」
きっと、電話の向こうで二宮さんは体をくの字に曲げて、傾いた顔に受話器を乗せるようにしながらしゃべっているのだろう。困ったときの何時もの癖なのだ。
「でも、まだ風呂場にたくさんあるのかもしれないわ」
「それでも、こっちはキャットフードじゃないのよ。マグロの刺身よ」
「えー、なんでそんな贅沢をさせるのよー」
「だってー、食べないから、だんだんエスカレ−トしちゃったのよ」
「三日分くらいは置いてあるはずだから、あとは帰るまで食べなくっても死なないわよー」
「でも、表にも出てこないのよ。あれから1度もルリちゃん見ていないのよ」
「大丈夫よ、奥さんが知らないときに出入りするのよ」
とは言ったものの、なんだか不安になってきた。

117・・雪国・・    
部屋へ戻って電話の経緯を伝えると、なんだか、娘も連れ合いも落ち着かなくなった。
でもなー明日は、スキーの予約もしてあるし、と思い巡らしていた。
姑は、にこにこと連れ合いをみながら、
「やっぱし飼っているんだね。ショウちゃんは猫が好きだもんね」
というのだった。きっと猫は子供の頃から飼いなれているのだ。
「夜になると、隣の猫がショウちゃんの布団に寝るのよ」
「へー」
みんなは初めて聞く話に目を見開いた。
私は、この雪の中を、どうやって猫は通ってくるのかと思った。
「だから、その猫が死んだときは、半日泣いていたわ」
「へー」
と、みんなは、さらにまた目を見開いた。
動物好きというのは生まれつきなんだなー、とあらためて感心もした。

雪国

2006年12月1日 金曜日

112・・雪国・・  
「ルリに餌!」
「はいはい!」
連れ合いは元旦も忙しい。
実家の六日町へ行かなくてはならないから、ルリのための居場所と餌を用意しなければならない。
わたしたちは、毎年元旦に連れ合いの実家である六日町まで行かなくてはならないのである。
そのときのルリの処遇が悩みだった。車に乗せればいいのだが、近所の家で千葉まで車で運んだら死んでしまったのである。
以前犬を飼っていたときも、車に乗っているあいだじゅう涎を垂らしていて、苦しそうだったので、体の小さな猫なら尚更影響があるだろう。
仕方がないので、飼い始めてか毎年、餌を風呂場において行くことにした。と言っても、いくらもの分かりがよいるりでも、その餌を五日も持たせる智恵はないだろうと思って近所の人に頼んで置くのだった。
近所の人に2日位したら、風呂場のでは入り口の窓の下に置いてもらうのである。風呂場の中に、電気アンカを入れた箱を用意した。部屋には入れないような工夫もしなければならなかった。
「お留守番ですよ」
ルリは、いつも留守になることには慣れていた。犬のように鳴き続けることもないらしい。

113・・雪国・・  
当時は関越道がまだなかった。だから十七号線をただひたすら走るしかない。三国山脈はもう雪で真っ白、大概途中でチエーンを巻く作業がある。苗場までくると一休みするのは、そこだけ都会風な喫茶店などもあるからだ。
たまには、実家から足を伸ばしてスキーにもやってくる場所で、そこまで来ればもう実家についたようなもの、ほっとするひとときでもある。
苗場までくれば、もう下り道。下りきったところが越後湯沢。
川端康成の『雪国』のトンネルを抜けると雪国で書かれている場所である。
その辺りからは、どこもかしこも雪で真っ白である。きれいであると同時に、都会育ちの私に取っては寒さが堪えるのだった。そんなに寒いのだから、家中を暖房すればいいようなものだが、そうはなっていない。トイレに行くたび、風呂場へ行くたび、寝室に移動するたびに寒い。

114・・雪国・・   
温泉地だから、銭湯も温泉である。
実家から五分くらいのところに、その銭湯はある。何処にでもある銭湯の構えで、朝の5時から入れる。雪国の寒さは、ことに夜に発揮される。
誰かが、濡れた手拭いを振り回せば凍ってしまう、と言ったが、それは本当なのである。
一番喜んだのが娘である。
なにしろ、手ぬぐいが棒のように硬くなるのだから、不思議におもえるだろう。
5分の夜道が、風呂上りには限度である。それ以上戸外にいたら、折角の体が冷えてしまう。
兄弟のそれぞれの家族が一塊になって家に着く頃は、振り回さない手ぬぐいも硬くなって、一本の棒になっていた。

(115)・・雪国・・  
家の中に入ったら暖かい、というものではない。廊下を足早に通ってストーブと炬燵の或る部屋に入って、やっとほっとする。
だが、女性群はそこに落ちつけるとは限らない。
お燗をつけるために、お料理を運ぶために、台所を往き来する。
居間のとなりが台所なのだが、いちいち障子をあけて廊下に出てから台所の戸をあける。
お皿を運ぶたび、料理を運ぶために、居間の障子と台所のガラス戸を、何度開け閉めすることか。
都会なら、絶対居間と台所は続いているのに。
それを不便に感じないで暮らすのである。
その台所にしても、大きなテーブルが真中にあって、そこで、十分に食事が出来ると思うのに、ただただ、盛り付けた料理のための台でしかない。
台所は料理を作るところという、概念に揺るぎがない。
「喜代子さんには住めないわねー」
と、もうひとりの兄嫁が言う。
「いやー、住めないことはないと思うけど」
「無理だとおもうわー」
と義姉がいう。
「ダメヨー、カルチャ−センターがないもの」
何と、その発言は娘だった。それまで、居ることも忘れるほど、黙って私たちの会話をきいていた娘が、突然ことばを挟んだ。
私は、普段、何を習っているとか、どんな所に通っているとか、ことさらには、家族に言っていない。なのに、娘はなんだか母親がカルチャーセンターなんていうものに行って、いきいきしているなー、と感じていたのだ。

(さらに…)

老衰

2006年11月30日 木曜日

(109)・・老衰・・
近所の家のともさん、という猫が病気だいう。
「どうなの、ともさんの具合」
「老衰だっていうのよ」
開けてあった縁側から覗くと、ともさんは、座布団の上に横になっていた。というより、腰が立たないらしい。子供のない夫婦で大事にしていた猫だった。
座布団が、猫の身丈に合っていて、タオルが掛け布団代りのようにかけられていた。横になるというのは、人間で言えば寝ることを意味していたが、猫もまさに、横になって寝ていた。
「トイレとかはどうするの」
「時間で外に、連れ出すのよ」
ほんとうに、腰が立たないのだ。
当のともさんは、と言えば、そんな私たちの会話が聞えているのか居ないのか、目だけが動いていた。
その生活が慣れてしまった、というように、起き上がろうともしないで、鷹揚に構えていた。
猫は死ぬときには、人の目に触れないところ身を隠すというけれど、これではそれも出来なだろう。
(110)・・老衰・・  
ともさんの家と我が家とは、数分の距離だったが、ルリと面識があるのかどうか分からなかった。相変わらず、ルリは我が家の前の道を己の縄張りであることを主張していたから、たとえ、ともさんが近寄ってきても、追い払っていたかもしれない。
でも、黒の斑の子猫が生れたことがあることを思い出した。ともさんだけは特別だったなんてこのも考えられないわけではない。いつだったか、一週間ほど家出をしていたことがあったが、そのときともさんはどうだったのか。
間もなく、ともさんはいなくなった。
食事もしなくなったので、夫婦で見守っていたのだが、真夜中に死んだのだという。
そんな話を、立ち話で聞いた。
「ともさんは、何年くらい居たの」
「13年くらいだったかしら」
「えー、猫ってそんなに長生きするんですか」
ルリは、我が家に棲みついてから一年ほどだから、まだ2,3歳。
111・・ともさん・・  [千夜一夜猫物語]  
飼い猫が死んだといわれたら、
「ご愁傷さま」
なんていうのだろうか。
「それは‥‥」
くらいしか、私には言えない。
幸い、もとさんの飼い主は淡々と語ってくれたので助かった。
涙なんか流されたら、なんと言っていいのか困ってしまうだろう。
人によっては、猫のお葬式をする人がいたりするけれど、なんだか、おままごとのように滑稽に思える。

「あらカッコーだわ」
そう言いながら、ともさんの飼い主は声のほうへ目を移した。
このあたりでは、五、六月の間だけ鳴くのである。
おかげで、ともさんの死んだ話はおしまいになった。

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