‘『嘘のやう影のやう』’ カテゴリーのアーカイブ

『梟』 2009年五月号 主宰・矢島渚男

2009年5月10日 日曜日

〈句集を読む・渚男〉

『嘘のやう影のやう』     岩淵喜代子

    多喜二忌の樹影つぎつぎぶつかり来
    箒また柱に戻り山笑ふ
    ずぶ濡れの欅の並ぶ大試験
    湯気立ててゐる闘牛の通り道
    停車まで出口に立ちて花の旅
    花吹雪壺に入らぬ骨砕く
    針槐キリストいまも恍惚と
    夕顔の花にゆきつく恋心
    日陰から影の飛び出す師走かな

この人は一九三六年の生まれ。原裕の「鹿火屋」、のちに川崎展宏の「詔」に所属。現在「ににん」代表。これは第四句集。〈雫する水着絞れば小鳥ほど〉〈桐一葉百年待てば千年も〉〈それぞれの誤差が瓢の形なす〉のような作品も魅力的だが、私は形象感に優れたこのような句を選ぶ。技量確かな作家と思われる。(二〇〇九年二月・東京四季出版)

『帆船』2009年5月号 ・主宰 須佐薫子

2009年5月2日 土曜日

句集『嘘のやう影のやう』     評者・堀内康男
 
 昭和十一年東京生まれ。同51年「鹿火屋」入会、原裕に師事。同54年「貂」創刊に参加、川崎展宏に師事。平成十二年同人誌「ににん」創刊代表。
句集『朝の椅子』『蛍袋に灯をともす』(第一回俳句四季大賞)『硝子の仲間』『かたはらに』『岩淵喜代子句集』。
 あとがきに「いつも立冬という区切りを曖昧に過しているのは、昨日と今日の境にそれほど大きな変化を感じるわけではないからである」と主宰と共に月山に登った日の感動を述べている。齋藤愼爾氏は栞で著者を〈陸沈(孔子の言葉)〉の佳人と評す。句集名は「嘘のやう影のやうなる黒揚羽」に拠り296句を収録。

 草餅をたべるひそけさ生まれけり
 がりがねや古書こなごなになりさうな
 雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる
 白鳥に鋼の水の流れをり
 雑炊を荒野のごとく眺めけり
 古書店の中へ枯野のつづくなり

発行所 四季出版

『松ノ花』2009年5月号・主宰 松尾隆信

2009年5月2日 土曜日

現代俳句管見句集より     斎藤良子
 
 世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。一番困難で積極的な生き方は、世間の真中に沈むこと・・ 私はパーティの席上で俳人たちの回遊する喧噪の只中で、悠揚迫らぬ態度で密かに〈陸沈》している岩淵さんを目撃した。      斎藤 慣爾

 -句集 『嘘のやう影のやう』         岩淵喜代子ー
 
 1936年東京生まれ。1976年「鹿火屋」入会1976年「貂」創刊に参加。2000年同人誌「ににん」創刊代表。2001年句集『蛍袋に灯をともす』により第一回俳句四季大賞受賞。現在「ににん」代表。句集一朝の椅子』他多数。「春陰」から「短日」まで八章參に分かれ249句が収められている。
 
 齋藤愼爾氏が栞に、小林秀雄の還暦の感想文から[陸沈」という言葉を引用されて居られるが、残念ながら私にはこの言葉は辞書にも見あたらず、言わんとする意味がぼんやり判るようで判らない言葉であった。
    
  草餅を食べるひそけさ生まれけり        春陰
  振り返りみる紅梅は空の中
  箒また柱に戻り山笑ふ
  
  桜咲くところは風の吹くところ          花果て
  水音に耳の慣れゆく山桜
  花吹雪壺に入らぬ骨砕く
  豪華船遅日の風に運ばるる
 
 沈静した姿勢正しい句は鑑覚者の心にも実に心地よい。「陸沈」とはこのようなことを指しておられるのではないかと推察した。
  
  薔薇園を去れと音楽嗚り渡る        黒揚羽
  船べりに街の流れてゆく清和
 
  陶枕や百年といふひとくくり         陶枕
  月明の色をさがせばかたつむり
  瞬間のうちかさなりて滝落ちる

  青天や繰り返し来る終戦日         草市
  何もなし萩のトンネル潜りても
 
  秋風や明石に来れば須磨隠れ       鬼柚子
  生きた日をたまに数へる落花生
 
  霜月の空をはじめて渡る鳥         冬銀河
  雑炊を荒野のごとく眺めけり
  
  古書店の中へ枯野のつづくなり       短日
  冬日濃し先に埴輪の暖まり

 「黒揚羽」の章から「短日」の章までの六章から13句を掲出した。 全編を通して作者に乱れがない。どこまでもおのれの心に忠実に、浮沈もなく静かにものを見つめて居られる。

『鴫』2009年5月号・主宰井上信子

2009年4月30日 木曜日

   句集『嘘のやう影のやう』       評者  石田きよし

「ににん」代表の第四句集、300句。

     嘘のやう影のやうなる黒揚羽

句集名になった句。蝶を見ながら「嘘のやう」と虚の域の昇華するのが深い。同じような手法、

    春眠のどこかに牙を置いてきし
    運命のやうにかしぐや空の鷹

など、枚挙に暇がない。この句集が、平成20年度俳人協会賞の本選まで残ったのも頷ける。その際「独自のものを詠もうとする意欲(黛執氏)」が評価されている。

    白鳥に鋼の水の流れをり
    眠れねば椿のやうな闇があり

などの着想は独自というより、自在な境地にあると言えようか。ここで東京生れの作者の都会感覚の句群に注目したい。

    春深し真昼はみんな裏通り
    古書店の中へ枯野のつづくなり

古書店へ続く枯野は時によっては青野にも海原にも変るのであろう。
栞に齋藤愼爾氏が「悠揚迫らぬ態度で、密かに陸沈している」と作者を紹介しているが、時空の自在性も魅力である。

     桐一葉百年待てば千年も
     百年は昨日にすぎし烏瓜

この句集のもう一つの読み応えは、思い切った比喩にある。

    雑炊を荒野のごとく眺めけり
    雫する水着絞れば小鳥ほど

骨太の句群の中に、女性らしさの漂う珠玉の句。

   夕顔の花にゆきつく恋心

句集『嘘のやう影のやう』評

2009年1月30日 金曜日

『萌』 主宰・三田きえ子 

句集「嘘のやう影のやう」評  渡井ふじ子

  暗がりは十二一単のむらさきか
  鬼柚子と呼ばれ大小ありにけり
  雫する水着絞れば小鳥ほど
  桐一葉百年待てば千年も
  古書店の中へ枯野のつづくなり

どの作品も視点が明確で表現に独創性があり、しっかりした骨格のなかに温みを感じる。「三角は涼しき鶴の折りはじめ」何事も始めが肝心、凛とした朝の空気が伝わってくる。「三度目は猫へころがす烏瓜」たびたび登場する猫への愛情「それぞれの誤差が瓢の形なす」個々に違う瓢の形を誤差と捉えた感性「老いて今冬青空の真下なり」感慨深い一句。ますますの活躍を期待したい。

                   ~~~~~~~~~~~~~~~~

『琅玕』 主宰・手塚美佐

句集『嘘のやう影のやう』 紹介・水越菖石

『百磴』 2008年11月号  主宰・雨宮きぬよ

2008年10月27日 月曜日

 句集『嘘のやう影のやう』    鑑賞・ 遠藤真砂子
 
   暗がりは十二単のむらさきか
   花果てのうらがへりたる赤ん坊
   秋霖の最中へ水を買ひに出る

 第二句集『蛍袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞を受賞された著者の第四句集である。あとがきには「鹿火屋」故・原裕主宰、「貂」川崎展宏主宰、二人の師との思い出と、俳句は寄り道ばかりしてしまったと現在の心境を語られている。句集名は《嘘のやう影のやうなる黒揚羽》に拠る。
 
 一句目、華やかなその名からは想像もできないほど地味な花である十二単。その地味な花を見て、ふと口をついて出た言葉がそのまま一句となったように思える。「暗がりは」の措辞は地を這うように殖えるこの花を確と表している。又、下五は「むらさきか」と突き放したような表現であるが、作者は存外この花を気にいっておられるのかも知れない。

 二句日、赤子は一日、一日見ている間に成長する。桜の咲き始めた頃はまだ出来なかった寝返りが、花も終る頃には出来るようになった。初めてその時を眼にする喜びは、母親だけのものではない。家中の愛情を一身に集めている赤子の愛らしさが浮かぶ。「うらがへりたる」には、そのむちむちとした体つきや、力強さが想像され「花果て」の頃の何かほっとした気分も伝わり、微笑を誘われる。
 
 三句日、近頃は水道の水ではなく、ペットボトルに入った各地の冷水を愛用する人が増えている。いつ頃からの風潮であろうか。作者も秋霖の中、わざわざ水を買いに出たのである。いつの間にかそんな習慣が身についてしまったことを、やや自嘲気味に、客観的に眺めておられるのか。何でもない日常生活の一駒を掬いとられる作者の感性の鋭さを思う。そのほか〈雫する水着紋れば小鳥ほど〉〈運命のやうにかしぐや空の鷹〉〈雑炊を荒野のごとく眺めけり〉などの比喩の句の数々は、単なる比喩を超えて印象深く心に残った。 

『暁』 2008年11月号 主宰・室生幸太郎

2008年10月27日 月曜日

句集『嘘のやう影のやう』   鑑賞・岡崎淳子  

 『嘘のやう影のやう』は、同人詰「ににん」創刊代表・岩淵喜代子氏の句集、氏には、第一回俳句四季大官受賞の『蛍袋に灯をともす』をはじめ『朝の椅子』『硝子の仲間』他の句集と連句集やエッセイ集がある。
  
  花果てのうらがへりたる赤ん坊
  春窮の象に足音なかりけり
  古書店の中へ枯野のつづくなり
 
 本書は、「春陰」「花果て」「黒揚羽」と季節を追って七章二九六句から成る。どの作品も言葉が実に美しい。やさしい表現の向こうから作者の深い思いがゆっくり立ち上がる。日本語の美しさに改めて魅せられた。 一冊には大きな<象>から<海牛>まで多種多様な生きものが詠まれている。<天上天下蟻は数へてあげられぬ>と小さなものも一句の中でこころを保つ。
 身ほとりの生きものに著者の気持ちが重なった極致の一句が、句集名となった次の作品なのてあろう。
  
  嘘のやう影のやうなる黒揚羽
 
 著者は「、鹿火屋」「貂」に所属されたが、あとがきは、三十年前、立冬の月山の頂上を目指した折の師原裕氏の印象を、月山の黄葉の透明感の中に綴られた優れた文章である。芭蕉に思いを馳せた主宰のひと言は、今なお著者のさまざまな感慨を誘っているのである。 本書はエッセイスト岩淵喜代子氏にも触れる一冊である。

『麻』十月号 主宰・嶋田麻紀

2008年10月18日 土曜日

~~ 句集散見 ~~ 句集『嘘のやう影のやう』   黒米満男 評

 あとがぎによると、集名は、〈嘘のやう影のやうなる黒揚羽〉の句からきめた、とある。師系は「鹿火屋」の原裕(はらゆたか)が初学時代。時を経て、創刊から参加していた「貂」の川崎展宏氏など。どこかで述べたが、基本はそうであっても、その他、多くの人々の影響下にあったことは確かだ。ちょっと脇道にそれるが、こうして出来上がった「俳人」がひとりふえ、ほかにも影響を与えていくということになる。
 〈嘘のやう影のやうなる黒揚羽〉は、もちろん文中にある句だか、黒揚羽は夏から初秋にかけて舞っている実際の生物である。それが、嘘のやうであり、影のようである、という。そこが俳句の面白いところで、言われてみれば、なるほどと納得させられるものがある。心象的に言えば、実体として、たしかに諾うことのできる何かがあるだろうかと、自問しているわけである。何もかもあやふや、それが実体である。

   草餅をたべるひそけさ生まれけり

冒頭に置かれた句。ひそけさの実体を草餅を配することによって得た。こう考えると、俳人は、逆にあやふやな現象をいかに実体にまで、射止めるかの実存的努力家でもある。

   雨だれのやうにも木魚あたたかし二句目。

木魚の本質を雨だれで示した。

  己が火はおのれを焼かず春一番
 
 これも面白い発見だ。たまたま自制心があるからいいようなものの、社会的な枠をはみだして事に及ぶ不心得者もいる。と、即物的に考えなくとも、心の炎を燃えたたせている俳人のことと思えばよい。

  白髪の婦人隣家に水温む
 
 毅然とした白髪の老婦人が目に見えるようだが、水温む、で、優しい老婦人に変貌。

  釦みな嵌めて東京空襲忌

 一九三六年生れの著者は、八、九歳の頃この空襲に合われたかもしれない。一九四五年三月一〇日の大空襲で約十万人の死者が出た。釦みな嵌めて、に慰霊の気持がこもる。

  スカソポを国津神より貰ひけり

 別名酸葉(すいば)。若い茎を吸った覚えがある。天孫降臨以前の神を国津神という。スカンポという素朴な植物に似つかわしい。

  三月のなゼか人佇つ歌舞伎町
 
 待ち合せ、という目的が無くとも、なぜか人が立っている。それが歌舞伎町だ。

   きれぎれの鎌倉街蝌蚪生まる

 小生の居住地のそばにも鎌倉街道と名づけられた道ある。鎌倉へ向かっているとは、思えないけれども。
  
    春眠のどこかに牙を置いてきし
  覗き込む花散る里の潦
  春窮の象に足音なかりけり
 
 食べ物が不足してくる晩春、却ってか知らずしてか、象の足音にも、その影が‥‥。
  
  城跡の日向真四角椎の花
  駆け足のはづみに蛇を飛び越えし
  陶枕や百年といふひとくくり
  孑孑のびつしり水面にぶらさがり
  何せむとニコライ堂に日傘閉づ
  魂になるまで痩せて解夏の憎
  芭蕉忌の愚直の手足あるばかり
  地芝居に集ひてみんな羅漢めく
  生きて知るにはかに寒き夕暮れよ
 
 人生の夕暮れまで生きて、はたと、その寒さを感じた。この寒さを知らずに死ぬ子供もいる。しかし、人生の哀歓は最後まで味わって死にたい、と小生は思う。そして俳句ができれば最高だ。俳句はただ事実を詠めばよいというものではない。うまく言えないが、この「嘘のやう影のやう」を読ませていただいて、岩淵氏の突出した感性、個性を思った。俳句を止められなくなるのは事実だ。(平成二十年二月、東京四季出版刊)

俳誌『木の中」 主宰・折井紀衣

2008年8月28日 木曜日

kinonaka.jpg 

ほんとうを言うと、この「木の中」を主宰している折井紀衣さんという俳人を殆ど知らないのである。一度だけパーテイの中で、お名前を見つけて雑誌を贈呈してくださるお礼を言っただけなのである。だから、この次に会ったときに挨拶できるのか不安なくらいの面識しかない。

この「木の中」で前号48号と今回の49号の二回にわたってわが句集「嘘のやう影のやう」を鑑賞してくださっている。座談会形式で、出席者は主宰折井紀衣さん・坂本やなゑさん・鈴木やなゑさん・鈴木ゆうこさん・竹内典子さん・高橋六都子さん。

内容はいずれブログにUPしようと思うのだが、ちょっと時間を要する。なんと言っても二号にわたる書評は17頁もあるのだから。それぞれが20句ほどに絞って、その高得点から俎上に討論している。全員が選んでいるのが、「三角は涼しき鶴の折りはじめ」「湯たんぽを儀式のごとく抱へくる」「古書店の中へ枯野のつづくなり」の三句。

雑誌を私も作っているから、物凄い動力を要する企画であることを実感して感謝の一語に尽きるのである。この座談会で、ーー何に忠実かといえば自分の感じ取ったものに対して忠実なんですねーーということばが挿入されている。これが今回の句集を作った気持ちを代弁してくれている。

最後に主宰がーー俳句をやってゆくということは成熟するということです。自分に言い聞かせるんですが。ーー と。

俳句誌『さくら』から  代表・いさ桜子

2008年8月6日 水曜日

『嘘のやう影のやう』
  岩淵喜代子句集を読む
                     梅 田 うらら

 岩淵喜代子氏は俳誌『ににん』の代表で、この句集が第四句集です。第二句集『蛍袋に灯をともす』で第一回俳句四季賞受賞、恋の句愛の句『かたはらに』で第二回・文学の森優良貨を受賞されています。 この句集の先ず『嘘のやう影のやう』この表題にとても心惹かれました。
  
  嘘のやう影のやうなる黒揚羽
 やけつくような暑い真夏の日、黒い揚羽蝶がひらひらと舞っている。一瞬、影のようにもみえ、いや、誰かの魂だったのでは………。はっとして確かめようとすると、もう何処にもいない。非常に幻想的な、あれは夢か幻だったのかしら。
  
  薔薇園を去れと音楽鳴りわたる
 薔薇のあまい香りと美しさに時の過ぎるのもうっとりと忘れる。そこへ不意に閉園を知らせる音楽が響く。「去れと鳴りわたる」に作者の怒りが感じられ、はっと意表をつく面白さです。
  
  針槐キリストいまも恍惚と
 十字架の刑にされたイエス・キリストの絵画か像か、その恍惚の表情には、私も密かにそのように惑じていました。
 針槐の辣と甘き香りが響き合い、素敵な一句です。
  
  三角は涼しき鶴の折りはじめ
 三角に、三角にと鋭角に折り進む折り紙の鶴。しなやかな指先、折っている人のほっそりとした涼しげな様子まで想像されます。室内か、公園のベンチか、静かな時間の中で。 頸や脚の長い鶴の姿形に、涼しいという季語の取り合わせ。鶴を折りはじめるのは、きちっと三角をまず折るのです。この感覚が素敵です。

  星月夜転居通知を出しにけり   
 やっと落ちついて、転居通知を出しにポストまでいった。なんということもない景ですが、ふと見上げれば、満天の星空に気づきます。 この地球から、あの満天の星の一つに引越しをするような不思議な感覚をも感じさせます。

  春眠のどこかに牙を置いてきし
  春深し真昼はみんな裏通り
  きれぎれの鎌倉街道蝌蚪生まる
  魚は氷に上る芭蕉に曾良のゐて

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