18日の「ににん」座談会収録後の齋藤愼爾氏を地下鉄まで送った。彼だけが唯一地下鉄で帰る人だったからである。途中にちいさな古書店があった。古書店と言っても、いまはやりのブックオフに準じるもので、漫画やら雑誌やDVDなどが主である。
そんな本屋だったので、この道は「ににん」の句会のたびに前を通りながら一度も振り返ったことがない。ところが、齋藤氏はそこの前でぴたりと足を止めてしまった。そして「僕ここに寄るから」というのだった。えっ、こんなところと思うほど意外だった。
間口二間ほど奥行きもその程度のちいさな本屋で、なんの役にも立たないようにも思えた。それじゃーと一緒にお付き合いしたが、文学書の類の棚は、半間ほどしかない。あとは二間ほどの文庫本の棚だけ。何を探すというのでもなく、本屋とみれば吸い寄せられるのが習性になっているかもしれない。
そういえば、齋藤氏の近くでお目にかかるときにも、駅まで送ってくださる途中にある本屋さんには必ず寄る。そこの、雑誌のコーナーでつぎつぎ雑誌を繰りながら、その目次を開いて、凄いよね、このメンバーがこんなに書いていて500円だよ、なんていたりする。ほんとうに活字の中に埋れていないと居られないようにも感じた印象を持っていた。
勿論新刊の書店である。そこの本屋さんは小さいながらも、雑誌の種類が揃っているのだ。個人書店のよさは見渡せる中に密度濃く本が置かれていることだ。今では大型店でも置かないような雑誌があって、店主の見識を感じる書店。多分、そこは齋藤さんの気に入っている書店なのだ。
しかし、立ち寄った高田馬場の古書店は、ほとんどが漫画らしくて、鮮やか背表紙が並んで賑やかだ。 漫画やDVD以外の半間の棚の前に立つと、齋藤氏は岩波新書版、高橋英夫著「友情の文学誌」を手にとった。目次には、漱石と子規・鴎外と若き友・鴎外と賀古鶴所・白樺派の人々・白州正子、そして吉田健一、等々の目次がある。「これが250円だよ」とその値段にも齋藤氏は感歎の声をあげた。
高橋英夫の名で私は買う気になった。実は私はこの著者の「時空蒼茫」をいつからか、傍らにおいて「石鼎」を書いてきた。なんで、この「時空蒼茫」を買ったのか今になると思い出せないが、目次に「「砂の上の植物群はどこに」という一章がある。たぶんこのあたりに惹かれて買ったのだろう。
ときどき「石鼎評論」に躓くと、この「時空蒼茫」を開いた。論考を築構するだけの評論はあまり好きでない。そのあたりにも、高橋英夫の本を拠り所にしていたような気がする。