2009年3月 のアーカイブ

「ににん」をかたちづくる人

2009年3月31日 火曜日

昨日のぶろぐ「このごろ」にコメントしてくださった土下信人さんは仕事で中国のあちこちに滞在していたときから、URL「ににん」に投句して下さっていた。ことにムラカミハルキはよく読んでいられるようだ。「ににん」はほんとうに多彩な顔ぶれの方たちによって構成されている。

輪の基本は雑誌「ににん」の発行にあり、それに参加する同人である。平均年齢は一般の俳句人口平均年齢よりははるかに若いだろう。この「ににん」創刊のころ、「ににんって入会するのに試験があるんだって」と言われた仲間がいる。現に最近平林寺を案内した編集者も「何だか敷居が高いですよね。誰でも入っていいんですか」と聞かれた。

もうひとつの輪は、ににん句会に参加する人々。そうして二番目の輪は、このウエヴの投句者である。これも、土下さんのように本名の人、そうでない人がいて茫洋とした構成をなしている。今度、この場にホームページやブログを紹介したいと思うので、申し出ていただきたい。

そうして、もうひとつの輪は購読者である。この購読者の内容だけでも多彩である。一つは、私が古くから吟行などでご一緒していた方々で、創刊から九年目の現在まで続いている応援者。二つ目は、清水哲男さんのフアン。三つ目はどこかで「ににん」を面白いと感じて自発的に購読申し込みをしてきた人。四つ目は投句者や句会に参加している人と「ににん」同人が宣伝してくださって購読を始めた人である。

こうした重層性を帯びるのも、インターネットのおかげである。どちらにしても、雑誌は面白くなくてはならないと思っている。購読費はその雑誌の内容を濃くすることに使うことを心がけている。

祝賀会

2009年3月28日 土曜日

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新横浜国際ホテルで「あすか」の祝賀会。同じテーブルのお隣は、いつお目にかかっても明るい秋尾敏さん。ほかに覚えているのは河野薫氏・勝又民樹氏・野田禎男氏・松尾隆信氏。挨拶に行かなければいけない方たちもいたのだが、行くチャンスのないまま終了した。

席を立ちかけたときに坊城俊樹さんのご挨拶をうけたので、随分前のことだが、ににんの祝賀会ご来駕のお礼を言った、というより言えた、という感じ。いつもは頭の回転が鈍くて後で気が付くのだが、今日はそうでもなかった。(自分へパチパチ)

そのあと「エイチャンでーす」という声にふり向いた。「えいちゃん」というのはマイミクの滋庵さんのブログによく出てくるお名前、すなわちミクシー名なのだ。勝手にイメージしていた風貌よりは大柄な方だった。

そのうち、どこかで「かぐら川で-す」とか「かわうそ亭でーす」とか声がかかりそう。「えいちゃん」こと鹿又英一さんも、滋庵さん経由でわたしのブログを読んでくださっているらしい。「こんど、伺いまーす」と言っても、勿論ミクシーブログ内でのこと。

クロークのところで、久し振りに酒井浩司さんにお目に掛ったら、「拝見しました」とおっしゃる。俳句あるふあの平林寺吟行の写真だ。「熟女って感じでしたよ」って言われたけれど・・・・?。

「あすか」主宰の野木桃花さんはまさしく、現在の俳壇の中枢をいく団塊の世代。これからが、結実期に入るのだ。新横浜駅へ向かう途中で、青柳志解樹さんがいい会だったね、とおっしゃった。来月は大牧弘氏の会があり、5月はその青柳さんの会がある。青柳さんは「鹿火屋」の大先輩。原裕先生と同世代だが、お元気だ。

「俳句・あるふぁ」4・5月号より転載

2009年3月25日 水曜日

「俳句の生まれる現場」の企画の最後のページの自作鑑賞

  逢ひたくて螢袋に灯をともす     (句集『螢袋に灯をともす』所収)   

 ふと思い出したのが、湖を隔てて愛し合う男女の物語である。男が火を焚き、女がその火を頼りに、毎夜泳いで逢いに行く話。最後は男が飽きて火を焚かなくなったのである。なぜ、体力の無い女が泳いでいくのだろうと、女の私には不条理な話に思えて仕方がないのである。
 螢袋はその名のとおりに袋状の花。垂れ下がった咲きようはランプシェードのようである。その連想から「ともる」ということばが生れた。そうは言っても虚構の火であることには違いないが、念じて眺めていればともっているかのようにも見える花である。否、想いを凝らせば灯がともりそうな花である。
 
  穂芒も父性も痒くてならぬなり     (句集『硝子の仲間』所収 )  

 男兄弟の中の唯一の女の子だった私を、父は異常に可愛がった。というよりも、他の兄弟を父がどんな接し方をしたのか全く覚えていない。ただひたすら父の記憶は私と父だけの場面で、他の兄弟が介在していることがなかった。
 父が私を幾つになっても、頑是無い童女のままのつもりで扱うことが、鬱陶しくなっていた。その視線さえ嫌になっていた最中の二十歳のときに、父は亡くなった。それもまた、この句の情感をいつまでも引き摺ることになってしまっていた。眺めていれば淡々とした穂芒の、花とも言えない感触が、身の置き所に困るような思いで重なるのである。

   薔薇園を去れと音楽鳴りわたる       (句集『嘘のやう影のやう』所収 ) 

 神代植物公園に六、七人で吟行にいったときの作。木立の下の木のテーブルと木の椅子を陣取っての句会だった。句の締め切りも迫っていたのは、もう閉園を告げるアナンスが流れ、音楽が鳴り渡っていた。その最後の句として、この句を短冊に書き込んだ。
 清記用紙が周っていたときに、仲間のひとりが「凄いわね。これって今直前の出来事よね」とびっくりした。というよりは呆気にとられている感じだった。 あまりにも、ありのままだったからである。
 しかし、このような計らいのない一瞬ごとを、一句に閉じ込めていければいいと思っている。

梨の花

2009年3月24日 火曜日

吃驚した。ブログを操作しているうちに、昨日のブログを削除してしまったのである。ワードのように元に戻すというキーはない。仕方がないので思い出しながら消えたブログを修復しようとしたが、ふと思いついて携帯の自分のブログを開いてみた。

消した筈のブログが読めるのである。それを見ながら、急いで消えた部分を元に戻した。ということは、不味いことを書いたと思って消したものが、ほかでは残っているということだ。さらに認識したのは、私に見えるブログは修復したブログの中身だが、未だに携帯のブログは消す前に書いた私の文章なのである。

治りそうで、なかなか治り難い風邪である。取り憑かれたのは4、5日前。まだ走りだから薬を飲んで寝ていれば直るだろうと思ったが、こんなときに限って風邪薬がない。やっと見つけ出したのは、鼻炎の薬。それでも、鼻だけでも楽なほうがいいと思い服用していた。ついでに以前処方してもらった抗生物質が残っていたのもを、夜だけ飲むことにした。

しかし、一向に良くならなくて、今日は意を決してというより、病院へ行くタイミングが出来たというほうが当っている。あと30分もすると5時になって受け付けてもらえなくなる。渡された病院の体温計では6度8分。やっぱり受診して良かった。鼻炎の薬も喉の薬もあるし、抗生物質もビタミンCも渡された。

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帰り道は花盛り。桜ももう咲きそうで、木五倍子(きぶし)の花が塀から覗いていた。目立たない花だが春の山道でよく出会う花である。桃の花・雪柳・まんさく・土佐水木・木瓜の花。畑の方へ行けばきっと梨の花も咲いているだろう。

   青天や白き五瓣の梨の花    原 石鼎   昭和11年

ポトスライムの舟

2009年3月23日 月曜日

昨日、朝霞台駅に変な造形物が置いてある話を書いたが、もしかしたら透明な箱が先に発案されたのではないか、などという詰らないことを、風邪のなかなか抜けないベッドの上で・・。

そのうちベッドの端をのしのし歩く気配に「なによ、なによ」と思いながらもがいていて、やっと起き上がって見ると人の気配もない。なんだー夢かと思いながら、身を横にしているとまた同じ夢を見た。

2度目の夢ですっかり目が覚めてしまった。それでまた昨日のブログに行き着いた。多分、透明な箱は、いきなり駐輪場からスピードをつけて走り出る自転車がないように。そうして、スピードを落さないで駐輪場に下る自転車がないようにするための、ものではなかったかという思いに行き着いた。そうして、ただ空の箱では芸がないと、中に、銀色のオブジエを入れたのかもしれない。

そのうち、市役所の人に聞いてみよう。ついでに、なぜ緑樹や花壇では駄目なのかも聞きたい。いつも腹立たしく思うのは、駅前の欅の木が絶えず去勢されて情けない姿で立ち尽くしていることだ。きっと、鳥の塒になるのを避けているのだ。少しくらい糞で汚れたっていいではないか。夕方、少し喧しくてもいいではないか。

眠れないので、今回の芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」を読み終えた。退屈しかける寸前のところで奇妙に先へ先へと誘う巧みさを持った小説だ。これはこの作品の直前に読んだ吉村昭の「月下美人」と似ていて対照的な筆致だ。なぜ似ているかといえば、どちらも、自分の今を活写しているところ。

対照的なのは、作者の書く位置である。吉村は書くために行動があって、初めから虚の位置に身を置いている。津村記久子のそれは実の生活の中から紡いでいることである。いずれにしても、津村の次の作品が楽しみである。

粗大ゴミ

2009年3月22日 日曜日

通るたびに気になる粗大ゴミがある。それがなんと志木駅のまん前なのだから呆れてしまう。設置されてから、もう十年くらいにはなるだろう。写真の造形はきっと市内のしかるべき美術家に依頼したものに違いない。

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初めのうちは、このオブジエの真下から水が吹き出ていて、その水を受ける下側は砂利が敷いてあった。しかし、その後、その水の循環が思うように行かなくて何度も修理をしている場面に出くわしていた。そのときも、水が出ても美しくない、と思いながら通り過ぎていた。

その粗大ゴミはずーと放って置かれていて、通るたびに気になっていた。いったいどうなるのかと思っていたが、最近は水の循環は諦めて、真下を平にしてその上に街のマップが設置された。誰か取り払えと言えないのだろうか。

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ところが最近、一駅置いた我街の朝霞にも粗大ゴミが出現した。東上線朝霞台駅北口であり、JR北朝霞駅前である。 大小の銀色の柱を繋ぎ合わせて、造形美を見せようとしたもの。

この場所は駅前の駐輪場の出口。多分ここに何かを置くアイデアは、自転車が下からいきなり走り出して来たりして衝突しないように、あるいはいきなり、地下駐輪場に走りこませないという配慮から生まれたものだろう。

このオブジエは、置く場所によっては美しいかもしれない。しかし、ここは公共のいろいろな人が通る場所。子供がぶつかっても危ないし、そのオブジエを揺らすものがあっても危ない。上からプラスチックの箱を被せてしまったのである。

どちらも、どうして相応しくなかったら取り除くという決断が出来ないのだろうか。プラスチックの箱を被せられたオブジエを、作者自身が気持ちよく眺めることが出来るのだろうか。こんなことをいう門外漢に、「芸術の何もわからまい素人が・・、」と苦々しく眉を顰めているかもしれないが、芸術は芸術家だけがわかるのではない。

芸術はその場その場を得て美しいのであって、しゃにむに自分の見せたいもの、描きたいものを描けばいいというのではない。

平林寺

2009年3月14日 土曜日

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『俳句&あふふぁ』4・5月号  14日発売(毎日新聞広告転載)

 わたしのお勧めの平林寺吟行が掲載されている。撮影から2ヶ月経っているが、気がつけば春がある、という感じだろう。禅寺だから花がすくない。雑誌に唯一写されている山茶花も残っているのかどうか。

梅やまんさくはもう終っていて、やはりひっそりとしているかもしれないが、春の芽吹く呼吸がきこえるかもしれない。

   えいえいと餅搗きゐたる平林寺     日美清史
   平林寺寒ムや本来無一物        川崎展宏
   みづいろの風花降りぬ平林寺      渡辺 恭子
   粗朶積んで平林寺雪安居かな      原田しずえ
   根より湧く水の軽さよ野火止は      原裕
   森閑と平林寺領木の実落つ       深見けん二

   草萌や野火止塚の小高さに       深見けん二
   秋声や野火止用水翳なせる       加藤安希子
   
   めぐらすに蝌蚪の水あり平林寺     作者失念

石母田星人句集『膝蓋腱反射』ふらんす堂刊  (2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

シュールな世界だが、映像はたち易い。季語がみごとに中心に据えてある。

   街中に冬夕焼の棲む扉
   全宇宙に麻酔の及ぶ若葉かな
   新しき翼探してゐる海鼠
   海満たす冬満月の響きかな
   凍蝶の眼に沈みたる巨大船
   億年をかけて雫は白桃に
   春宵の奥の奥には犀の角
   夕芒未完の塔は地にささり

 

百瀬七生子句集『海光』 文学の森刊(2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

 この作家も海辺に住んで海辺を好んで、風土の恩恵に素直に身をよせながら詠んでいる。

   あたたかや魚の腹から小魚出て
   流れ来て干潟にのりし椿かな
   引潮を待つて杭打つ朧かな
   蛸の上に置かれし蛸のすべり落つ
   一枚の田のあめんぼのよく見ゆる
   つぎつぎと緑蔭の子の入れ替はる
   青鷺に魚の見えたる身の細り
   走りたき馬を走らす冬紅葉

藤本安騎生句集『高見山』 角川書店(2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

吉野という風土を確かに詠んでいる作家

   桃さくら散り込んでゐる傾斜畑
   土砂降りの濁り植田にひろがれり
   ひだる神祀れる峠雛納め
   仏壇の立派が透ける網戸かな
   蛸壺の口を鳴らせり春疾風
   春の雪吹きこんでゐる泉かな
   にんげんを七十七年草紅葉
   豆粒の蛙飛び込む泉かな
   杉山にプールを洗ふ子らのこゑ

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