2008年10月 のアーカイブ

池田澄子著『あさがや草紙』 角川学芸出版 2008年8月刊

2008年10月31日 金曜日

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この著書は、角川の『俳句』総合誌に巻頭の文章として二年間ほど連載したものを主軸にした一集である。以前に紹介した「休むに似たり」の評論集と同様の文体である。この文体はまた、これまでの俳句の文体にも通じる独特のもの。

その文体は一章ごとのタイトルにも及ぶ。
   
   送り火のあとも思うわよ
   二月に子を産んだことがある
   鯉幟はすぐからまる
   ぼうたんのあとはほーたる
   狼は松茸に痺れたか

こんな面白いタイトルが並ぶ本がいままであっただろうか。これだけでも、魅力のある書き手であり、人生の見方を感じさせる。  

岸本尚毅 評論『俳句の力学』 ウエップ 2008年10月刊

2008年10月31日 金曜日

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 1961年生、岡山生まれ

先に紹介した田中庸介さんと岸本尚毅氏は、偶然同じ東大卒であり年齢も近い。岸本氏の評論の特徴は俳句にかかわるものにとっての身近かなテーマであること。例えば「季題と取り合わせ」の項目では、花鳥は季題で俳句は季題の文芸。「感覚のついて」のなかでの感覚と感性についての論考などを、きわめて明確に提示させていることだ。

田中庸介 詩集『スウィートな群青の夢』 未知谷 2008年10月刊  

2008年10月31日 金曜日

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1969年東京生まれ
1989年「ユリイカの新人」としてデビュー、詩誌『妃』を創刊。ジャンルを超えた活動を続け、詩の領域を拡げている。詩集に『山が見える日に、(1999年思潮社)』

田中庸介さんは現在「ににん」に評論『わたしの茂吉ノート』を連載している。お目にかかるのは、いつも詩の朗読の会場である。11月2日には、明大のリバデイータワーTPF会場での「東京ポエトリー・フェスティバル2008」にも出演する。

作品は多彩な表現方法で実験的。なかで内証的だが、日常を日常の中で叙述することに、親近感が湧いて面白い。

週刊俳句の2008年10月26日号

2008年10月28日 火曜日

角川「俳句」50句応募    落選展 

 11月号の角川『俳句』が発売されたのが25日。すなわち50句応募の発表されている号である。それとほとんど同時に週刊俳句の「落選展」が発表されていた。 

 その落選した作品をそんなにタイムリーに集められるのが凄い。この素早さはインターネットの手柄である。見知った名前が幾つもあったが、実際にご縁のある上田信治さん・山口優夢さんが居たのは嬉しかった。山口さんは昭和60年生で、最年少。お二人とも是非来年も頑張って欲しい。

上田信治さんの作品を読むと、俳句は何でもない風景を言葉によって詩に転換させるものであるのが、しみじみと実感される。山口優夢さんの句には,日常の僅かな変化を見逃さない、感覚がある。

「アイスコーヒー」抄・ 上田信治
  てのひらのあかるき人に小鳥来る
  向かひあふ銀杏二本の散りつづく
  ゆふがたを川は流れていぼむしり
  さつきから犬は何見て秋の風
  椎茸や人にこころの一つづつ
  水涸れていつせいに人笑ひけり
  よこむきに飼はれてゐたる兎かな
  日永とは力の抜けてゐる河口
  たくさんの人が見てゐる夏の川
  あけがたの工場群よ向日葵よ

「湖上の風」抄・ 山口優夢
  ぶらんこの真下ときどき水たまり
  くちなはの胴の密度を感じをり
  炎天やのぼれば下りる歩道橋
  問診は祭りのことに及びけり
  病室のみんな見てゐる秋の川
  風に火のちぎれゆくなり豊の秋
  それぞれに十一月の木となりぬ
  耳袋線路の果てはひかりけり
  凸凹に雑巾かわく桜かな
  卒業や窓のかたちの日のひかり

http://weekly-haiku.blogspot.com/

『百磴』 2008年11月号  主宰・雨宮きぬよ

2008年10月27日 月曜日

 句集『嘘のやう影のやう』    鑑賞・ 遠藤真砂子
 
   暗がりは十二単のむらさきか
   花果てのうらがへりたる赤ん坊
   秋霖の最中へ水を買ひに出る

 第二句集『蛍袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞を受賞された著者の第四句集である。あとがきには「鹿火屋」故・原裕主宰、「貂」川崎展宏主宰、二人の師との思い出と、俳句は寄り道ばかりしてしまったと現在の心境を語られている。句集名は《嘘のやう影のやうなる黒揚羽》に拠る。
 
 一句目、華やかなその名からは想像もできないほど地味な花である十二単。その地味な花を見て、ふと口をついて出た言葉がそのまま一句となったように思える。「暗がりは」の措辞は地を這うように殖えるこの花を確と表している。又、下五は「むらさきか」と突き放したような表現であるが、作者は存外この花を気にいっておられるのかも知れない。

 二句日、赤子は一日、一日見ている間に成長する。桜の咲き始めた頃はまだ出来なかった寝返りが、花も終る頃には出来るようになった。初めてその時を眼にする喜びは、母親だけのものではない。家中の愛情を一身に集めている赤子の愛らしさが浮かぶ。「うらがへりたる」には、そのむちむちとした体つきや、力強さが想像され「花果て」の頃の何かほっとした気分も伝わり、微笑を誘われる。
 
 三句日、近頃は水道の水ではなく、ペットボトルに入った各地の冷水を愛用する人が増えている。いつ頃からの風潮であろうか。作者も秋霖の中、わざわざ水を買いに出たのである。いつの間にかそんな習慣が身についてしまったことを、やや自嘲気味に、客観的に眺めておられるのか。何でもない日常生活の一駒を掬いとられる作者の感性の鋭さを思う。そのほか〈雫する水着紋れば小鳥ほど〉〈運命のやうにかしぐや空の鷹〉〈雑炊を荒野のごとく眺めけり〉などの比喩の句の数々は、単なる比喩を超えて印象深く心に残った。 

『暁』 2008年11月号 主宰・室生幸太郎

2008年10月27日 月曜日

句集『嘘のやう影のやう』   鑑賞・岡崎淳子  

 『嘘のやう影のやう』は、同人詰「ににん」創刊代表・岩淵喜代子氏の句集、氏には、第一回俳句四季大官受賞の『蛍袋に灯をともす』をはじめ『朝の椅子』『硝子の仲間』他の句集と連句集やエッセイ集がある。
  
  花果てのうらがへりたる赤ん坊
  春窮の象に足音なかりけり
  古書店の中へ枯野のつづくなり
 
 本書は、「春陰」「花果て」「黒揚羽」と季節を追って七章二九六句から成る。どの作品も言葉が実に美しい。やさしい表現の向こうから作者の深い思いがゆっくり立ち上がる。日本語の美しさに改めて魅せられた。 一冊には大きな<象>から<海牛>まで多種多様な生きものが詠まれている。<天上天下蟻は数へてあげられぬ>と小さなものも一句の中でこころを保つ。
 身ほとりの生きものに著者の気持ちが重なった極致の一句が、句集名となった次の作品なのてあろう。
  
  嘘のやう影のやうなる黒揚羽
 
 著者は「、鹿火屋」「貂」に所属されたが、あとがきは、三十年前、立冬の月山の頂上を目指した折の師原裕氏の印象を、月山の黄葉の透明感の中に綴られた優れた文章である。芭蕉に思いを馳せた主宰のひと言は、今なお著者のさまざまな感慨を誘っているのである。 本書はエッセイスト岩淵喜代子氏にも触れる一冊である。

紅葉していた

2008年10月25日 土曜日

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 新前橋駅の欅は半分が見事に紅葉していた。
やはり、寒さが違うのだ。煥乎堂書店までの途中の欅並木も、あと数日で全部紅葉にかわるのだろう。東京では、今年は多分、こんな赤さは見られないまま、落ち葉してしまうに違いない。

教室の終ったあと、駅まで送ってくれる受講生が、、上州の空風もこのごろはかなり穏かになった、という。それがいいことなのか悪い前兆なのかは分からないが、とりあえず住んでいる人たちにとっては、楽になったことらしい。

眩暈その3

2008年10月24日 金曜日

つくづく人の痛みは分からないものだなー、ということを実感した。今週中にはいちど検査にきてくださいね、と言われていたし、私も気になっていたので、今日を外したら機会の逃してしまう、と思って病院に行った。

しかし、失敗したのは、同じ医師が居なかったことだ。その医師なら実際にわたしのその時の眩暈の程度も見ているし、苦しさも見て居る。だから、「この点滴で直らなかったら、入院ね」と看護婦さんと会話していたのである。

ところが、今日の医師はそれを知らない。この人は眩暈で救急車で運びこまれた人なんですよ、と説明を受けていた。その医師の想定の中には、私の激しい眩暈症状が入っていないらしい。

一通り検査したあとに、これからも、あるかもしれないけれど、静にしていれば収まるので救急車なんて騒がないで、薬を飲んで動かないようにしていななさい、というものだった。

救急車の中で血圧が60と40の数値になったことも知らない。「あーそれはきっと自律神経失調症になったのよ」という。だから大変じゃないの、と私は思うのだが、眩暈位で救急車は大袈裟なのだと、非難されに行ったような感じになった。やっぱり自分の体は自分が管理しなければ。

大袈裟だと思われてなんでも、訴えなくてはいけないことを実感。来週は脳外科の検査だが、これも自分で申し込んだ。「あー、そうね、悪くなければ、その記録を次の何かのときと比較できますからね!」 とその女医さんは言った。

眩暈その2

2008年10月23日 木曜日

あの眩暈はなんだったのかと思うほど、病院から帰ってきてからは何事もなかったので、翌日のカルチャー教室は休まずにでかけた。この日は月にただ一回の掛け持ち授業。大丈夫とおもったのに、家路のバスに乗り込んだときに、ぐらぐらしてきた。

大変!!多分バスに間に合わせようとして階段を駆け下りたのが、引き金になったのである。月曜日のような激しい廻り方ではないが、とりあえず静かにしずかに足を運んで、家ではそのまま横になってしまった。一時間くらいで止んだが、激しい動きに脳みそが混沌と揺れてしまうのではないかと思うような感じ。

明日は病院にいく日だが、どんな検査が待ち構えているのか。でも、それよりも、今日初めて連れ合いから、そのときの状況を聞いたのだが、救急車の中で測った血圧が60と40だったそうである。それを車の中から病院へ伝えている声を断片的には聞いていたが、そんなに低いとは思わなかった。

もうひつ救急隊員が何人来ていたのかも朦朧としていて分からなかったが、5人もいたそうである。「そんなにー」と言うと、だって階段がら下ろすのだって3人がかり、玄関に1人が担架で待っていた」という。それにあとは運転手が控えていたのだそうである。

大変なんだ。落着いたら、お礼に行かなくては。

第一句集『朝の椅子』 岩淵喜代子

2008年10月22日 水曜日

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新日本文藝協会の中枢の方とひょんなご縁が出来たのは二年くらい前だったか。このことについては、一年くらい前にここで書いたことがある。その新日本文藝協会で「文心」という機関雑誌を発行している。雑誌を編集している山内尚子さんご自分も「やさしい魔法ホ・オノポノ」という癒しの本を書き、読書会やら講演やらで精力的に活動している。

そこで私の第一句集『朝の椅子』を全文掲載してきたいと言われて吃驚した。しかも、その印刷を引き受けている社長さん秋小兵衛氏から、たのしみながら入力していますというおたよりを頂いていた。そんな経緯から今回の「文心」八号には、句集まるごとと原裕先生・川崎展宏先生の序文や栞、それに藤原龍一郎氏の作品評も収録されている。

機関紙「文心」は、詩、短歌、俳句の紙面があって、毎年芸術劇場で集まりがある。 今年は十一月二日の午後から。興味のある方は覗いてみてはどうだろうか。

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