2008年6月 のアーカイブ

みなづき賞受賞式

2008年6月27日 金曜日

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 山ノ上ホテルでの『件』の会、みなづき賞授賞式。
今年は芭蕉研究家の雲英末雄監修の『カラー版 芭蕉、蕪村、一茶の世界」(美術出版社)及び『芭蕉・蕪村・一茶 雲英コレクションに見る近代俳諧の美』展。

雲英末雄先生はお体の具合が悪くてお見えにならなかったが、お弟子さんの、蕪村の俳画についての講演が面白かった。蕪村は絵は売るために、俳句は自分の遊びとしていたらしい。蕪村の何枚かの俳画の解説を聞いていたが、学問っていうのはこうやって探るのだなー、ということを実感した。

例えば、上の俳画は「夜にうとき星の匂ひやんめのはな  台斗」。蕪村のこの絵の人物は頼朝であるというきめてが、着物の笹の紋。これは現在の鎌倉市の紋章であることから、追っていくのだ。そうして頭のおおきな頼朝にゆきついたあと、覗いているのは、極楽寺坂の途中にある星月井という風に解明してゆく。なぜ星月井かは、台斗の句の内容から。

それにしても雲英末雄先生の授賞式なら、磯辺まさるさんもお見えになるははず、と思っていたが、懇親会のときにようやく、姿を見ることが出来た。磯辺が10ヶ月ほど前に刊行した江戸俳画紀行 は雲英末雄のアドバイスも受けながら纏めあげたもの。それにしても、少し会わないうちにかなり痩せた。自然に痩せたのだという。

句集 三冊

2008年6月25日 水曜日

 句集『冬夕焼』 金子 敦    ふらんす堂刊

著者は1959年神奈川生まれ。この句集は第三句集。
最近、ご母堂を失ったようで、後書きには「今は亡き母に捧げます」ということばが添えられている。

色彩も鮮明、輪郭も明確な構図の明るさがことにいい。

   春雨の雑木林に銀の猫
   夏果つるパスタの中に小さき貝
   花吹雪連れて黒猫やつて来る
   寒林を抜け太陽と出逢ひけり

一句目の銀を主題にした映像化。二句目の静物化。三句目の色彩感。四句目の太陽のなんともみずみずし。すべてが、繊細な叙情で統一されている。他にも、作者の呼吸の聞える句がたくさんある。

   花吹雪浴びながら行く神経科
   秋の海なにか喋つてくれないか
   床の間の芒に風の届かざる

                   ~~☆~~☆ ~~☆~~☆~~☆ ~~☆~

句集『百年』  鍵和田袖子    角川書店

帯に「母が百歳で他界した。書名を決める時、不意に「百年」の語がうかんで来た‥‥」とあるが、ことに100年の句があるわけではない。鍵和田袖子といえば、新人賞のときの「未来図は直線多し早稲の花」という句の印象がいまも鮮烈である。
あれから第八句集に到るまでの道程を想像するような気持ちで読み進んだ。

   男ひとり消して真昼の桃畑       の彼の世、此の世の境。
   覗くたび舌うすうすと寒蜆        の人生観。
   晩年や花の高さに風さわぎ       の達観。
   広島忌すつくすつくと柱立つ       の象徴性的表現法。
   着ぶくれていよいよ獏となりゆくや   の放下。

自在になっているが、自在が淡さにつながる不安がある。

        ~~☆~~☆ ~~☆~~☆~~☆ ~~☆~
句集『荒神』    伊藤通明     角川書店

まれな大冊で一朝一夕では読めない句集。『荒神』という句集名が示すように、地霊への挨拶句の一集とも言える。
その方向は、春燈の抒情に男ごころをくわえたような手法。

    玄海を北に置きたる鏡餅
    荒海を神とし夏の来りけり
    瞠るべき目をもち蟹の生れけり
    念はねば思ひかなはず大花野
    日本海かすかに鳴れり蟲送り
    己が巣を掴みて立てる夏の鷹
    ゆがみたるところに力くわりんの実 

醸し出す香り

2008年6月22日 日曜日

三日間、福島のリゾート地レジーナの森で遊んできた。その留守に、山のような郵便物。多いのは雑誌と句集である。その中に角川の『鑑賞女性俳句の世界』六巻目も届いていた。最後の巻である。
わたしの鑑賞を「醸し出す香り」というタイトルを付して書いて下さったのが藍生の高浦銘子さん。彼女の鑑賞を読んでいると、俳句は書き手によって生きる、ということが実感できる。鑑賞されている句を書いておくことにする。どんな切り込み方をするのか想像してから、本書を開いてみる楽しみのために。

嘶きの悲鳴に似たり八重桜
秋祭家鴨は川に浮きしまま
花槐ゲーテの家の時計鳴る
空腹や海月はゆらす身のすみずみ
深吉野のかくもおおきな落し文
青空のひらと舞ひこむ雛祭
座布団を並べ直しぬ仏生会
夕暮は鯔の海なり手をつなぐ
落書のやうに瓢箪生りにけり
炉に近く野良着をかける釘ひとつ

 

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他誌より転載3点

2008年6月19日 木曜日

六月一日  読売新聞

   更衣したる鎌倉幼稚園   句集「嘘のやう影のやう」から

鎌倉は三方が山に囲まれ、もう一方は海。夏になれば町中に青葉が茂り、潮風が香る。鎌倉幼稚園は若宮大路沿いにある古い幼稚園。その更衣の光景を詠むが、鎌倉という土地の名前が生きている。緑に映える園児たちの真っ白な夏服。(鑑賞 長谷川櫂)

         ~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~

『天為』六月号 新刊見聞録   句集「嘘のやう影のやう」評  深谷義紀

「ににん」代表の第四句集。句集を読み進むうちに、幾つかテーマめいたものがあることに気が付いた。

    馬市に残暑の男集めけり
   かすり傷つけて集る村芝居
   もうひとり子がいるやうな鵙日和
 これらの句では存在と不在。

   百年は昨日にすぎし烏瓜
   生きた日をたまに数へる落花生
   五十年までは待てない冬鷗
 これらでは「時間」。いずれも伸びやかな詩情を感じる。
他にも佳句は多い。

   夏めくと腰にぶつかる布鞄
   まるごとの己毛布の中にあり
対象の捉え方に惹かれた

対象の捉え方に惹かれた   春眠のどこかに牙を置いてきし
   それぞれの誤差が瓢の形なす
   古書店の中へ枯野のつづくなり
一方、これらの抽象句は作者の感性が結実した作品と言え、共感できる。
 
        ~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~

『向日葵』7月号  新書拝見   句集「嘘のやう影のやう」評   徳永亜希

   嘘のやう影のやうなる黒揚羽
句集名となった句。「春陰」ほか七章に別れ297句の上梓である。
著者は1936年東京生まれ。現在同人誌『ににん』創刊代表。句集、共著句集、エッセイ集など数冊を刊行する。

   釦みな嵌めて東京空襲忌
   花果てのうらがへりたる赤ん坊
   龍天に登る指輪の置どころ
   針槐キリスト今も恍惚と
自由にそして真摯に対象に向き合っていて好感が持てる。

自由にそして真摯に対象に向き合っていて好感が持てる。   三角は涼しき鶴の折はじめ
   雫する水着絞れば小鳥ほど
   古書店の中へ枯野のつづくなり
   日出づる国の白菜真二つ

個性のある佳句が多い。今後益々のご発展をお祈り致します。       

四季の森公園

2008年6月16日 月曜日

尾崎さんの個展に集った仲間のひとりが、もう蛍が出ていると言い出したので、会場をあとにしてから横浜まで出かけることにした。ちょうど、蛍の舞い始める頃にたどり着ける予定であった。

中山駅から住宅街をぬけるとすぐ公園の入口がある。一番見られるのは、葦沼沿いの路をつき当るあたりだが、途中で木立の中からときどき、蛍が夜空に舞う。こんなところから、蛍に出会うのは、蛍の数が多い日である。というのは、何回か来ている経験からである。

案の定、突き当りから左の沢水の上を飛ぶ蛍の数はいままでの中で一番賑やかだった。沢水はまだ奥に続いている。そこにも蛍は湧いているらしく、ときどき奥へ行く人の背が見える。

今日は風がさわやかだった。蛍もその爽やかさを感じているらしく、地上高く飛ぶ。湿り気のある日だと、蛍が胸のあたりをすり抜けていったりして、写真にその光りが納まったのだが、今日は蛍の光りは、捉えられなかった。帰りに公園管理事務所の前の掲示板に590匹とあった。どうやって数えるのかわからないけれど。

個展

2008年6月16日 月曜日

「ににん」会員の尾崎淳子さんの画展のオープンの日。夕方数人で画廊で待ち合わせた。せっかくだから、オープニングに賑わいを、という気持ちもあった。分野がリトグラフ。中で異質な色彩、構図の絵が一点あった。

 

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尾崎さんには、この数年「ににん」の表紙を担当していただいているが、現在の絵は東京駅をスケッチしたもの。「ににん」の表紙のテーマである線描の街の絵、というのは、抽象的構図で描く人なので、得意分野ではないようだったが、実際に東京駅の前で写生してきたようである。

途中で遠藤享さんに紹介していただいた。今回の句集『嘘のやう影のやう』の表紙を担当していただいた方である

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北海道育ち、そうして現在もよく北海道に帰っている尾崎さんの風土が滲み出ていながら、どこか都会的である。展覧会会場は銀座3丁目の銀座東和ギャラリー(銀座3-10-7)6月16日~6月28日まで

子育て中

2008年6月13日 金曜日

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水鳥はいまが子育ての時期。石神井公園の池では今カルガモや鳰の親子連れが見られる。

鳰は水に垂れさがっている桜などの枝を利用して、その枝に繋ぎとめた達磨船のような巣を作っていた。巣の中の子供に親鳥はかわるがわるに餌を与えていた。岸にはカメラを構えている人が何人もいて、大きなレンズのついたカメラで、巣のあたりが暗いなー、とぼやきながらばしゃばしゃと撮っていた。

そんな中を突然、鳰の一家が対岸めがけて泳ぎだしたのだ。 なんでー、と考える間もないほどの速さだった。まわりの人が蛇が襲ったのだと言った。

それなら当然、どういう方法を使ってか、親鳥が子に「逃げなさい!」と伝えたのだろう。3匹の子供と夫婦とが、猛スピードで水上を走り出たのだ。親鳥の一羽が群を離れて、さらに遠くのほうまで走って行った。追いかけてきた蛇を逸らしたのか、あるいは蛇を追い払ったのか分からなかったが、とにかく無事に済んだようだ。

古井由吉

2008年6月11日 水曜日

古井由吉をずーっと私より年長者と思いこんで読んでいた。
「仮往生伝試文 」「 槿(あさがお)」「忿翁(ふんのう)」にしても、ちょっと小難しい文体のせいだったかもしれない。そうして、最初から大作家的な風格を備えた小説のせいもある。

今日の毎日新聞朝刊の文化欄のエッセイ「『断腸亭日乗』を読む」は、ことにしみじみとする文章だった。
私が「『断腸亭日乗』に興味を持つのは、この日記が大正6年末から書きはじめているので、石鼎の東京での生活と重なるからである。由吉はその荷風の日記の最後の方は、殆ど毎日1行しか書いていないことに、焦点をあてている。

1月4日  日曜。雨。後に陰。正午浅草
1月5日  陰。後晴。正午浅草。
1月6日 晴。正午浅草、帰宅後菅野湯。

ーー こんな繰り返しなる。急ぐ読者はここまでくれば、用が済んだとばかりに読み飛ばすだろう。私は1日1行ごとに惹きこまれる。行外の意を読み取ろうとするのでもない。ただ日記の主の、姿がいまにも見えそうになる。銭湯にも行く。来客もある。風邪にふせるもする。しかし、つねに歩いている姿を私を思うーー

荷風忌は4月30日である。その死に近い3月の日記は毎日毎日、天候と大黒屋にいくことしか記されていない。食べることの切実さがせまり、大黒屋までの道程が人生の果てへ歩んでいるようにも思えてくると書いている。

由吉が云いたいのは、かけ離れた人生であろうとも、わが身にゆっくりと照らし合わせて読む。これが後年の読書の味である、ということ。なんだか、人生を感じさせる。その人生についても、人間は永遠を思うことはあっても、見ることはできないし、知ることもない。しかし、寿命の尽きる間際に自足を瞬間でも感じたら、それは永遠かもしれないと結んでいる。 久し振りに古井由吉に出会ったような気がした。

週刊俳句

2008年6月10日 火曜日

ブログ形式の「週刊俳句」はその名のとおり、一週間ごとに更新されている。
なかなか読み物の多いサイトである。その現れがアクセス数となっている。

http://weekly-haiku.blogspot.com/

この中に「俳句つながり」という欄がある。月に一回くらいの更新で、

現在は 雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝→細谷喨々→中西夕紀→岩淵喜代子→麻里伊・まで進んでいる。

この企画のおかげで、夕紀さんからは今回の私の句集「嘘のやう影のやう」の本格的な評論を頂いた。
その十分の一にも満たない文章だが、麻里伊さんへの次の句集への期待を書かせて貰った。

句集3冊

2008年6月9日 月曜日

山崎聡 第五句集『荒星』俳句四季刊  昭和六年生 『饗宴』代表

  あつまって肉食い春のすなあらし
  うつうつと春の木があり水があり
  さびしきは飲食のあと夏はじめ
  どこをどう行けば日暮るる雪の町
  とりたててすることもなく月の雨
  春のまんなかかさかさと紙袋
  秋分の大黒柱あるくらし
  豊の秋どしんどすんと山下りて

茫洋と四方に波状を広げてゆくような作品が魅力的である。

       ~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~

棚山波郎  第四句集『宝達』 角川書店刊 昭和十四年生。「春耕」副主宰

  密掘の細き隧道水冷たし
  荒鋤の田に動かざる厚氷
  物陰の後ろに残る寒さかな
  母の焚く栗飯の栗いつも多目
  眠りゐて梟の首よくまはる
  水槽の真中使はず熱帯魚
  曼珠沙華ひとかたまりに遅速あり

日々を丁寧に絡めとる詠みかたが、好感となる。
       ~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~
         
堤 亜由美  第一句集『リップクリーム』 俳句座☆シーズンズ叢書
1969年10月生まれ「ヘップバーン」で学んで、現在は、「俳句座☆シーズンズ」選者。

  春立ちて働きしものに猫の耳
  春の雪ふたりで使ふもの揃へ
  すれちがふひともみてゐるさくらかな
  どこまでも行ける気がして青き踏む
  0歳てふ春の光のごときもの
  歳一つ重ね色なき風の中
  今日泣いた分だけ眠り星月夜

俳句を始めて、結婚、子育てと13年間の収穫。こうした時期を一集にする機会をもつ俳人は少ない。それだけでも十分貴重な句集だが、作品も子育てに溺れない透明感がいい。

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