2008年11月 のアーカイブ

『饗宴』50周年祝賀会

2008年11月29日 土曜日

昭和33年3月に和知喜八によって創刊された結社誌。現在の主宰は山崎聡氏である。
こことのお付き合いは「ににん」創刊後であるとおもうが、何がきっかけかは思い出せない。わたしは多分、現在の主宰である山崎さんとのご縁で、ご案内がきたのだろう。そうして今日はじめてお顔を拝見した。

山崎氏は第3句集「硝子の仲間」の応援もしてくださって、俳句研究の企画「アンケート」に感銘した作品として私の句も登場させて頂いたこともある。会場を見渡すと、現代俳句協会系の方たちらしい顔ぶれが揃っていた。句会をご一緒している桑原三郎さんのお顔もあった。

きっかけは覚えていないが、考えれば、和知氏も山崎氏も「寒雷」。そうして川崎展宏先生とつながるのだ。そのうえ、私は初期の数年は「寒雷」にも投句していたことがある。その数年の間に、二度ほど加藤楸邨先生の鑑賞を得たことがある。やっぱり「寒雷」つながりだ。

もうひとり、どうしたきっかけでお近づきになったのか分からない先生がいる。倉橋羊村氏である。とにかく倉橋氏が「水原秋桜子」の出版記念の座に連なっていたのは覚えている。そこの壇上で、羽織袴の姿でご挨拶したのを見て居る。

当時の私は俳句の世界は闇の中を歩いているようなもので、誰かに連れられて出かけたのだろう。その後、折々倉橋氏とお目にかかる機会がおおくなって、現在に繋がっているのだ。計らいもなく、いろいろなご縁が出来た。

「ににん」33号編集中

2008年11月29日 土曜日

95パーセントの編集完了。あとの5ペーセントは依頼原稿である。途中でページに組み込んでおくので、お願いしまーす、と声もかけておいたのだから、出来なければなんとか言ってくるだろう、と思っているのだが・・・。

まさに忙中閑ありで、町田の薬師池に出かけた。着いてみると、来たことがある場所だった。以前も冬だったかもしれない。第4句集の中の「運命のやうにかしぐや空の鷹」はここで作ったのである。おおかた吟行句を作り合った後の席題だった。

題は「運命」だったか、「かしぐ」だったか忘れてしまったが、どちらにしても気に入っている。しかし、この句は意外と誰も素通りしてしまう。やっと触れてくれたのが、朝日新聞時評欄での西村和子さん。

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ーー岩淵喜代子の第四句集『嘘のやう影のやう』(東京四季出版)は、比喩に冴えがある。「運命のやうにかしぐや空の鷹」「古書店の中へ枯野のつづくなり」実景と幻影の境界を明らかにしないおもしろさ。「「海牛をどこから運んできたのやら」「ブリキ屋に用はなけれど風知草」など、かろやかなおかしみがある。

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四句しか取り上げていない中に入っているのだから、自分の感覚を少しは信じてもいいな、という自信が生まれた。たしかに、こうした比喩というのは、感覚の誤差があって万人向きではない。同じ比喩でも「雫する水着絞れば小鳥ほど」のほうは具体的な物との比較があるせいか、万人に迎え入れられた。

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薬師池は、凄まじいまでの枯れ蓮として広がっていた。そのかわりに、池を囲む紅葉が鮮やかだった。

ホームページ投句コーナーより 33号掲載句

2008年11月27日 木曜日

淡白と言われ戸惑う暮れの秋          西方来人
だいこひき遠くの山は白き雪            松林六茶
片足袋や異国力士の白い肌              恵
酒臭き独白の人文化の日             廣島屋
月明かり我白髪とススキの穂           篠塚英子
指揮棒の白の残像冬隣               坂石佳音
小鳥来る句帳に余白ありにけり           海音
胃カメラの白い時間や残る秋           さわこ
山間の飯場白菜漬けられ居り          たか楊枝
白ワイン冷えて月下美人咲く            中村光声
天高く白いチャペルの鐘が鳴る           小夜
白い雲崩れて沈む秋の湖               ミサゴン
白地図に紅葉前線描き込めり          たんぽぽ
白墨の指を休めて鉦叩               橋本幹夫
二条城秋蝶白き影になる                 acacia
白壁や影絵の葡萄刻刻変わる          西方来人
秋日濃し枯山水の白き波               中村光声
落葉松の散る明るさや白秋忌          森岡忠志
白芒あの世の人へ母叫び             たんぽぽ
片腕の眠れる真昼白芙蓉             桂凛火
図書館へ曲がる標や白木槿           中村光声
晩年の余白も楽し真葛原              華子
夕月夜世は白象の背の上                    隠岐灌木
白線を引き直したる運動会                    ハジメ
月白のベンチに誰か待つてゐる            たかはし水生
追伸の後の余白や虫の声             阿愚林
地酒酌む白露の宿や峡の闇             岩田  勇
声掛けて白曼珠沙華褒めにけり          中村光声
鴨足草日陰の白はやや不安             倉本 勉
ピアノから水溢れ出す月の白            石田義風
秋空を白鷺一羽ほしいまま             遊起
あいたいと白鷺草もはねひろげ          小夜
北国のあまりに白き昼の月             ミサゴン
頬撫ずる風みな白き花野かな          中村光声
白票を投じて秋の総裁選               橋本幹夫
白神の山毛欅林より秋の声             横浜風
真白なる喉仏拾ひ夏終る                宮島 千生
短日の白煙走る狼煙台                黒猫
黄落や白きポットの暖かく              しま
耐えて立つ白くなびいてススキの穂        篠塚英子
白線を流して山の笑いけり              黒猫
紅白のテントが並ぶ七五三              緑浪
白球の行方はるかに天高し               たか楊枝
白けてる 繁華街の 朝の街              松代芭七
白すすき少し死人のにほひせり            匙太
白猫のまなぶたたたむ秋の昼             敏

句集2冊

2008年11月26日 水曜日

 箭内 忍句集「シエスタ」 装丁は清水哲男2008年10月 (有)オフィス・シーナ

この装丁はいかにも清水さんらしい。そう思うのは清水さんが発信している「Zouhai_10000Pages」というネットで読む雑誌を見ると納得する。そこには毎号美しいグラビアが何ページもあるからである。

    ぴーちゃんを埋むる穴に椿敷く
    鬼灯や要らぬといへば痛む子宮
    書き出しを変へても変へても雪催
    腸の中より発ちぬ冬鷗
    秋蝶は消え合鍵が鉢の下

1960年生れという年代を表出させた個であり孤の発信の一集である。清水さんも箭内さんも文学の森「俳句界」の編集に携っていたが、二人とも今年で編集からは降りるそうである。
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自註現代俳句シリーズ平沢陽子集 2008年12月・俳人協会刊

自註というのは俳句がはっきり自分史を形にするものだということをしみじみ感じさせた。

   日溜りのごとく姉ゐてしどみ咲く
   聞かざればよかりし風船かづらかな
   いもうとのままに老いたり桜餅

関西弁

2008年11月23日 日曜日

日帰りで神戸での集りに出かけたが、今回は関西弁を堪能してきた。もうしゃべっているだけで吉本興業だなーとしみじみ笑ってしまった。一年に一度の懇親会だが、関西で行なうのですべてを関西地方の人で進行した。

まずは会長が関西弁。パワーのある飾らなさが面白い。神戸くんだりまでいくこともないなー、と思って欠席にするつもりでいたのだが、返事を出す前に「岩淵さん、こなきゃーあかんよ」と有無を言わさぬ電話が掛ってきた。

司会者がまた生粋の関西弁。挨拶に壇上にあがった人がマイクが入らないくてもたついていると、「マイクに金払ってないんか」と駆け寄ってゆく。それだけで笑える。独特な文化だなーとほとほと感心してしまった。

そうして、今回隣の席に座った方が群馬に住んでいるとは言え、関西で生まれ関西で育った人。さすが会長や司会者ほどの関西弁そのものではなかったが、精神は関西人。関西人の開放性とサービス精神だ。

食事をしながら、彼女の結婚半生をじっくり聞いてしまった。山登りのことしか考えていない夫の話しなのだが、それだけで小説になるわよ、とけしかけてきた。登山などという地味な趣味と思いがちだが、これが外国の山に行くとなると、一回に300万円から800万円くらいかかるらしい。 それでは愚痴もいいたくなるだろう。

「なだ万」の食事は美味しかった。和食だったが、最後にはデコレーションを施したお洒落なケーキとコーヒーも出て大満足。この食事プランも独特の関西方式で交渉したのではないかと想像すると、思わず頬が緩んできた。 関西のみなさま、ごくろうさま。来年の東京の会までお元気で。

『ベェニス 光と影』 新潮社1980年刊

2008年11月20日 木曜日

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先月、古書店祭りの街を物色していて見つけた本。400円という安さにも惹かれたかもしれないが、写真が篠山紀信・文章が吉行淳之介であるので、手にとったのだ。ところが数件先の古書店ではほとんど定価に近い価格で売っていた。この豪華な名前なら、それが順当な価格だろう。本屋によって価格が違うものだなー、と思いながら帰途の電車の中で読み始めた。

淳之介は漠然と4泊5日の旅をしながら、「ヴェニスに死す」でも読めばいいかなー、と思っていたらしいが、結局とりとめもなく、町を散策したことが、文章になっていた。その文章に、ときどきちいさなチエック入っていることに気がついた。あー書き込みがあったので安かったのだと納得した。

①最初は、―ー橋を十分足らずで渡り切ると、風景は不意に汚れてしまう。湿った黒い土の上に立ち並ぶー―という何所の(風景は不意に汚れてしまう)の上に捧線が引かれていた。

②マルコ・ポーロの生家を訪ねる箇所の「その男を殺せ」にある。ガイドと「東方見聞録」の内容を話し合っている延長で、(その男を殺せ)と淳之介が冗談にいう、その会話。

③「仕事が忙しいんだから、もうここでいいですよ。ホテルの横っ腹のところに‥‥」の(横っ腹)に。

④「鐘の舌」

⑤「このレストランは退廃したね」
 食後のイタリア式焼酎を飲みながらーーこの二行の上にチエック。

⑥「よいお葬式を」 にチエックがある。

全部読み終わって、この読み手が不似合いな言葉にチエックを入れたのがわかる。たしかに、レストランが退廃したは相応しい表現ではない。「よい旅を」、とはいうが、「よいお葬式を」、などとは言わない。ひょっとして作家自身が書き込んだのではないか、などという妄想も抱いたが、新潮社では絶版になっている。

現在は、2007年の「魁星社」の再版が売られている。多少の写真の入れ替えはあったが、文章はそのままであった。 篠山紀信はこの本に挿入した以外の写真集『ヴェニス』を発刊しているから、写真を堪能したい人は、合せて読めば面白いかもしれない。

国立女性会館

2008年11月16日 日曜日

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ときおり行く武蔵嵐山は「ににん吟行」の穴場。車を少し走らせれば、紙漉・白鳥・蜜柑狩りなどの冬の風物詩に出会える。今回、当日は隣の畠山重忠館跡を散策。 そのあと研修室で句会。夜は予約してあった談話室で句会。

埼玉県の武蔵嵐山にある女性会館は広大な敷地の中に建物(ホール・宿泊棟・研修室)が点在している。写真は宿泊した部屋のベランダがらの朝の風景。見えている建物は三つあるもうひとつの宿泊棟。木立の中に煉瓦仕様の建物がしっくりしていた。

それぞれが一人部屋を申し込んだので、ツインの部屋に一人ずつが占領して、のんびり。土日のせいで、利用者が多かった。食事はブッフェ方式で、同行の仲間に気兼ねなく、好きなものだけを選べるのもいい。国立女性会館などといういかめしい名前がついていると、つい堅くなりがちだが、夜はあちらこちらに豊富にあるフリースペースのふかふかの椅子を占領して、深夜まで酒宴を開いているグループも居た。

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本館から研修室に移動の途中の芝生に一本生えている榠樝の実がたわわ。落葉の上にゴロント横たわっていた実を拾ってきた。

秋山實初期創作集・『天鳩』

2008年11月14日 金曜日

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 序・岡野弘彦  解題・村永大和  あとがき・秋山素子

現在の俳人たちは「巳乃流」の表記でインプットされているかもしれない。今回の『天鳩』は表題にもなっているように初期創作集である。若いときの創作熱が、のちの名編集長を作り上げたのか思えるような多彩な才能が盛り込まれている一集。

1・小説集 
2・短歌集
3・詩集

以上の3つの構成で学生時代からの同人誌などに発表したものの中から抜粋したものだという。『天鳩』は一章の小説の題名になっているもの。どの小説も青春性を謳歌している。

当時の心情がいちばん分かりやすいのは、3章の詩の部分だろう。若者特有の自己粉砕を試みているようにも思えた。絶望を書くのもまた青春である。その絶望感から、本物の文学が始まるのだと思う。

秋山さんは、それをバネに編集という分野に歩み始めたようだ。絶望を知らないで、文学の場にいる人は、本物にはなれないと思う。

満月だった

2008年11月13日 木曜日

立冬も過ぎて、紅葉も進んできた。救急車騒ぎも、一段落した。と言っても原因が判明したわけではない。やはり、右耳が災いしているのだろ、という見解。だからと言って、予防の特別な薬があるわけでもない。

「まぼろしの邪馬台国」の映画をみてきたが、一ケ月ほど前に見た「おくりびと」のほうが映画としては、出来がよかった。ただ、「まぼろしの邪馬台国」は壮大なロマンを秘めた実話に基づく映画なので、興味でいえば惹きつけらる内容を持っていた。宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」も読んでみようと思う。

映画は、竹中直人の熱演でひたすらフイルムが廻る、という感じだった。壮大な物語だから、二時間ほどでは語り切れないかもしれない。それにしても、竹中直人の衣装と吉永小百合の衣装のバランスが悪い。枯野のような埃だらけの道を歩くときの直人の康平はジャンバー姿、作務衣まがいの衣装。それに付き添う小百合の和子は真っ白なコート。花柄を施した真っ白なセーター。

冴えたまんまるな月に驚いたが、暦で確めたら今日が満月だった。

荒井八雪第二句集『蝶ほどの』 3008年11月  文学の森刊

2008年11月11日 火曜日

 著者略歴がきわめて簡単で、現在の所属が「句歌詩帖『草蔵』」「同人誌『大』」であることだけが書き記されている。終刊になった西野文代主宰の「文」にも参加していた。
句集の題名になったのは以下の作品
   
      蝶ほどの脳味噌あらば飛びにけり
    
一集は西野主宰の自在さに影響されていると思う。何気ない日常を視野に入れながら、その表現も沈着な写生。

   水底に影の伸びたる蝌蚪の紐
   巻葉まだ捧のやうなる芭蕉かな
   通されし部屋より夜の刈田かな
   牛膝ひとに着くとき尖りたる
   陽に当てし穀象逃げる逃げとほす

そうして取り合わせとも言えない偶発的な取り合わせの面白さ。

   流氷に合切袋一つ持ち
   蝌蚪生るる生春巻の皮透けて
   黒を着ておたまじゃくしと同じなり
   風船をつくときの唄忘れけり
   母あれば五月の第二日曜日
   けとばすに丁度いい石入学す

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