2009年1月 のアーカイブ

眼鏡

2009年1月31日 土曜日

ぱそこんを使うには、遠近両用でも駄目なのである。近眼用の眼鏡では近すぎるし、手許を見る老眼鏡では遠いのだ。それで至近距離、要するにぱそこんの画面にぴんとを合わせた眼鏡がいいと、店の人はいう。どんなふうになるのだろうか。出来上がるのが楽しみである。

眼鏡は近眼用も老眼用も、何度も作っている。作ってはみるのだが結局使わないのは、どちらも使わなくても見えてしまうのである。それなら作らなくてもいいではないかと思うのだが、目が疲れるので、眼鏡があれば疲れないのかもしれないと思いながら眼鏡屋に足を運んでしまうのだ。

読書に没頭するときには老眼を掛けるのだが、新聞やら手紙やらの短時間で済んでしまうものは使わすに読む。要するに、近くも遠くも、取り敢えずは支障なく見えるのである。わたしの目は左右がかなり視力に差があって、片方で遠くを、そうして片方で近くを見るように慣らされているのだ。片方で見るので疲れるのだと、眼鏡屋さんはいう。

いっそうのこと、遠近のどちらかが見えなければ必ず眼鏡を掛けるのだが、掛けずに済んでしまうので、何時までたっても眼鏡に慣れない。かえって厄介な状況となっている。役にも立たない老眼鏡や近眼用が幾つもごろごろ引き出しを占領しているのが、遣り残しのように気になって仕方が無い。

   降るものの雪の中なる薄紅梅    石鼎   昭和17年

句集『嘘のやう影のやう』評

2009年1月30日 金曜日

『萌』 主宰・三田きえ子 

句集「嘘のやう影のやう」評  渡井ふじ子

  暗がりは十二一単のむらさきか
  鬼柚子と呼ばれ大小ありにけり
  雫する水着絞れば小鳥ほど
  桐一葉百年待てば千年も
  古書店の中へ枯野のつづくなり

どの作品も視点が明確で表現に独創性があり、しっかりした骨格のなかに温みを感じる。「三角は涼しき鶴の折りはじめ」何事も始めが肝心、凛とした朝の空気が伝わってくる。「三度目は猫へころがす烏瓜」たびたび登場する猫への愛情「それぞれの誤差が瓢の形なす」個々に違う瓢の形を誤差と捉えた感性「老いて今冬青空の真下なり」感慨深い一句。ますますの活躍を期待したい。

                   ~~~~~~~~~~~~~~~~

『琅玕』 主宰・手塚美佐

句集『嘘のやう影のやう』 紹介・水越菖石

詩の波 詩の岸辺   松浦寿輝

2009年1月28日 水曜日

毎日新聞 1月28日

「わたしの茂吉ノート」を「ににん」に連載している田中庸介さんが最近詩集『スウィートな群青の夢』を上梓したのは以前のブログで紹介した。今日は、その評が毎日新聞にかなりな長文で取り上げられていた。

ーー言葉が軽やかに滑ってゆく、卓抜な運動感の漲る詩集だ。語り手の「ぼく」「私」「おれ」も絶えず自転車や電車やバスに乗って移動しつづ、一瞬もとどまることがない。では、悪天候で室内に閉じ込めれたらどうする?

〈こんな、こんな雨の日に
こんな雨の日に彼女とスローテンポで
彼女とスローテンポで踊りたい。こんな
雨の日にスローテンポで(スロー・テンポ)〉

と、1969年東京生まれの田中さんを、評者松浦寿輝はどの詩にもさわやかさを感じ、とても好意的である。この詩集は食べ物、たとえば「すいか」「白玉タピオカ入りの熱いぜんざい」「ぶっかけうどん」などを主題にし、遠目に「歪んだ自我の蛇」を置きながら詩を書いている。

薔薇は薔薇であるように

2009年1月28日 水曜日

40代から50代半ばまで、茶道と華道がわたしの生活の中心にあった。ことに華道はお弟子さんもいたので、かなりの時間を費やしていた。俳句はその隙間を縫って続けていたから、あまり、吟行などには行かなかった。

そうしたお弟子さんに俳句を勧めることなど、一度もなかったのは、俳句がかなりマイナーな分野で、そんなものに興味を持つ人など殆どいないと思っていたからである。

そのお弟子さんと或る日、俳句のパーテイで再開したときには吃驚した。俳句などに入り込むとも思っていなかったからである。それなら、もっとはやく誘ってあげたほうがよかったのかとも思った。彼女は今も遠嶺で同人として地道に続けている。

そういえば、文章仲間にも、出会ってから10年以上経ってから俳句をやろうかと思うのよ、と電話をしてきた人がいた。もしかしたら、彼女も誘えばあのときから始めたのだろうか。彼女は煥乎堂書店オーナーの夫人だったから、訪れる金子兜太さんや角川春樹さんに触発されたようだ。

でも今でも、やはり、自分から俳句をしませんかとは、声をかけたことがない。

華道は「龍生派」。池坊の分派だから、あんがい新しいのかもしれない。それもあってか、生徒へのしっかりとした教科書もあった。その提唱をみると、俳句に精神が似ているなと何度も実感した。

「ひと枝、ひと茎の植物が持っている個性を捉えて活かしていく」というのが根底にある。どういう事かといえば、薔薇は薔薇であることを特徴とする。造形されたものが、薔薇でなくてもいいような扱いなら、活けた意味はない、ということだ。

季語が動く、ということに似ている。

      一枝を山の上より山椿   石鼎   昭和25年

黛執句集『畦の木』 2009年1月刊 角川SSC

2009年1月26日 月曜日

昭和五年生・「春野」主宰

五所平之助から手ほどきを受けて、その後「春燈」で安住敦に師事。

   朴の木に朴の花泛く月夜かな
   仏飯に湯気のひとすじ緑さす
   風の木になる梟の去つてより

上記の帯の自選句を見ると、やはり抒情派だと思う。

   祭笛吹くに遥かな眼をしたり
   鉄棒の匂つてゐたる西日かな
   接岸の擦疵しるき西日かな
   ひえびえと炎天に立つ煙かな
   下校児の一人は泣いて春の土手

どこを切り取っても、この作者の気配はゆるがない。

煥乎堂俳句教室

2009年1月25日 日曜日

雨でもないが雪でもない、と思いながら気になっていたが、霰だった。風花ほどの僅かな降り方だったが・・・。特急草津号の車窓から、浅間山だけが完全な雪山姿。

帰りは、浅間とは反対の車窓から、まるで山焼きのような色で夕焼ているのを見た。水平線から雲の漂うあたりまでの、地上低く帯状に染められているのが、山裾が燃えているように思えるのだった。そういえば、これから野焼きや畦焼きがはじまる。

若草山の山焼きもこの一月のはずである。東上線も奥へゆくと、畦焼に出合うことがある。ときに煙の中を電車が貫いていく。渡良瀬遊水地のヨシ焼きもこれからだ。

なぜか火の色には引き寄せられる。一時期火の行事を追って北へ南へ旅行したことがある。全国に火を使う行事の何と多いことか。

   昼月や秋にも似たる野火の子等   石鼎  大正6年 

飲兵衛さんと

2009年1月24日 土曜日

依頼することがあって、飲兵衛さんと高田馬場で飲んだ、と言ってもわたしは舐めるほど。それでもやはり飲んだほうが会話ははずむ。

この居酒屋はお酒を熱燗で頼んでも、あっという間に持ってくる。見渡しても、遠くのほうから徳利を運んでくる。それなのに、注文して後ろ姿を見せたと思う間もなく、熱燗がテーブルに乗るのである。まるで、注文と同時にお燗が始まっているのかと思うほどである。いや、それでも早すぎる。

3本目の徳利がきたときに、拘りやの飲兵衛さんが、なんでこんなに早いの、とたまりかねて聞いていたが、店員は多分、これが普通と思っているのだろうか。困ったような、あっけにとられたような顔をするだけだった。そんなに早くても、徳利は持てないくらい熱いのである。

ここの居酒屋は「ににん」の最後の行き着き場所で、しかも必ず注文するのが昭和コロッケ。そういうと、取って見ようということになった。だが、飲兵衛さんは「どうもコロッケは小判型じゃないと」と難色を示した。ここのは俵型なのである。

「いーじゃない、押しつぶせば小判型になるわよ」と私がいうので、飲兵衛さんは、押しつぶしてから食べはじめていた。うーん、やっぱり飲んだほうが会話が弾むのだ。帰りに飲兵衛さんから貰ったお菓子を居酒屋に忘れてきてしまった。電話して保管をお願いしておいた。

夜になっても暖かい日だった。四月ぐらいの気温だとおもう。明日は雨かもしれない。

  大寒やみごとな雨をちりばめて    石鼎   昭和13年

榎本好宏句集『祭詩』 ふらんす堂 2008年11月刊

2009年1月21日 水曜日

昭和12年生まれ。長年にわたって『杉』の編集長だった榎本さんは、表現に独特のことば選びをしている。それはすでに榎本調と言っていいだろう。

  独活食うて世に百尋も後れけり
  猫抱かせもらふ荷風の忌なりけり
  八重ざくら貧しきころは池へ石
  鷹渡るはずもなけれど遠見せり
  子供らに隠しどころや百千鳥
  糸を吐く夏蚕のほかは真闇にて

なかでも「猫抱かせもらふ荷風の忌なりけり」の句は、忌日の句としても秀逸。なんでもない日常の中に、ふ気がついた荷風忌を呟くように表現している。
榎本さんのお仲間である「件」の方々全員の鑑賞が豪華に栞になっている。

続 パソコン

2009年1月18日 日曜日

16日にブログの画面の不調を訴えておいたら、早速、梨乃さんがチョイチョイという感じで直してしまった。そりゃー、この「ににん」のホームページ作成者であり、ブログも梨乃さんが選んだものだから、いちばん詳しいのだが・・・。とにかく一晩寝ているまに、居心地の悪いゴシック体文字が消えていた。やれやれ。

梨乃さんは、ホームページ制作のプロ。それでお仕事をしている。それにしても、居ながらにして訴えて、居ながらにして直ってしまうのはやはり、インターネットの威力である。

「ににん」は大方の人がパソコンを使える。私が必要を説いてパソコンを勧めるから、いつの間にか使えるようになるのである。これが、いちいち手書きの原稿がきていたら、とても編集などやっていられない。雑誌の完成する日数も伸びるだろう。第一、現在の会費では収まらなくなる。

 「吟行燦燦」などのUPなどは、交替で行なう。習得した人が次の人に教えるからである。「ににん」に入ってからいろいろなことを覚えた、という人もいる。

パソコンを使わない人に限って、パソコンは体に悪いとか、文章は手書きでないと・・・などという。使えてから後戻りしてアナログになる人はいないのである。

      朝戸繰りどこも見ず只冬を見し   原石鼎  昭和24年

パソコン

2009年1月16日 金曜日

ホームページの投句は現在「黒」である。この投句はアドレスを念を入れて書き込んでもらうし、勿論、返信すれば相手に届くはずである。たまには中国在住の人だったりして吃驚することもある。

ところが希に、あちらから問い合わせがあったメールに返信しているにも関らずエラーメールになることがある。そうなっても届いている場合があるから、もしかしたら届いているのだろうか。

パソコンも長年使いこなしているつもりでも、まだまだ不可思議なこと、わからないことがいろいろある。分からないといえば、現在使っているこのブログも分かりにくい。一度、ある部分をゴシックにしたら、それ以前のものもみんなゴシックになってしまって、何だか居心地の悪さを感じる。

その上に、サイドの ブログメニューまでゴシックになってしまって、どうしても戻らない。誰かー教えて。

      大空と大海の辺に冬籠る     原石鼎  昭和26年 

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